2.秀樹の家

秀樹の父親は全盲の鍼灸師、母親は近所の鉄工所で働いていた。二人が必至に働いても両親を養うのが精一杯で生まれた子供、即ち、秀樹を養子縁組に出すことが、連日家族で話し合われた。

父親が口を擦りながら、

「このままでは皆、共倒れになるから何とかせんと。一番上の姉に面倒見てもらおうと思う」

申し訳なさそうに言った。

これに母親が答えた。

「すんません。私の不注意で・・子供が出来てしもうて・・。本当にすみません。私が悪いんです」

「いや俺が悪いんやから、お前は関係ない。ほんまに悪くないんや」

父親が母親をかばった。

「秀樹が可哀想やから一年様子見たらどうや」

養子に出す話は祖父のこの一声で、父親も辛うじて思いとどまった。それほどの貧しさだった。秀樹の家は元々、堺の繁華街の翁橋にあってそこで、畳屋兼何でも屋を営む元ヤクザの祖父と後妻の祖母、この祖母は興行師の娘として生まれ、中国の大連、ハルピン、日本の留萌、石巻など人の集まる場所を回っていたと言う。歌舞音曲が得意だった。

成長した秀樹の感覚としては、祖父はカッコ良くて見習うべきところは多いが、父は存在感が薄く、意見を持たない頼りない存在に思えた。その点、祖父は間違いも多いが、自分の意見をはっきり言ってそこで勝負する人で、秀樹は祖父のようになりたいと思って意識して真似た。父親の偉さと辛さを知ったのは後年、秀樹が50歳を過ぎた頃からだった。


秀樹は結局、誕生翌年の1歳1カ月の時に、大阪市内で生活している叔母、即ち、父親の父違いの長姉に養子含みで預けられた。なお父親の母はそれぞれ父が違う三人の子供を生んだ貝塚の売れっ子芸者で、当時は既に亡くなっていた。因みに、秀樹は血のつながった4人の実祖父母のうち実際に知っているのは同居する祖父房次郎の一人だけだった。秀樹が人間関係にクールなのは、この育ちが影響しているのかもしれない。

だいぶ先になるが中学校の先生から、

「お前は、人からやってもらうことを当たり前と思って、人には与えない。その性格を改めないといけないゾ。嫌われるゾ」

勉強が出来るようになり先生から注目されるようになると、このことを何度も注意された。

「そうですか。注意します」

このように秀樹は淡々と返し、先生の言っている意味が理解出来なかった。この性格が変わるには経済的な豊かさと心の余裕が必要だった。


後年、秀樹を預けた時、父母には経済的余裕が無かったこともあったが、それより幼かった。即ち、父親23歳、母親17歳だったからで、「両親には子供を預けることに特段の思いはなかったように思う」と祖父から聞いた。こう言うと薄情な人間のように思われるが、人並み以上に子煩悩で家族を大切にした。秀樹が実家に帰るには経済的に自立し、子供を安定して養育出来るようになる時間が必要だった。ことの詳細は分からないが、今から思うと堅実な父親は、経済力が無いと根本的に問題が解決しないと覚悟を決めていたのかもしれない。それ程にクールで真面目な人だった。2年後、秀樹を両親に返してもらう時、伯母に父親が『もう二度と子供を手放す事は致しません。今度、手放す時は養子にします』と母親に書かせた念書を提出したと聞いた。それは、実際に秀樹を育てた長姉の妹、浜子、通称“はーちゃん”が持っていて、秀樹が中学生になった頃に見せてくれた。


幸か不幸か秀樹に大阪で生活した記憶は無い。後年、自分と“はーちゃん”の性格と容姿が似ていることで複雑な思いになることがあった。即ち、人の好き嫌いが激しく感情の起伏も大きかった。特に容姿、声が似ていたので、大人になると性格まで似るのではと思うと“はーちゃん”には悪いが暗い気持ちになった。

この伯母は昼間、刺繍の学校に通い、夜はホステスとして生活し、手先が器用で運動神経も抜群で人生を謳歌しているように見えたが、父親の顔を知らず芸者の娘として生まれたこともあって、心には満たされないものがあった。

「ねえ、今度いつ逢ってくれるの」

「そうやな。1週間後にまた店に行くからそれまで待っててくれるか」

「ええそんなに。もう待てない。2年ですよ2年も」

「すまん、もうちょっとだけ待ってくれ。家のこともあるし」

「奥さんのこと」

「そうや・・・それに子供のこともな」

「もう知らんは、ほんまに・・・」

浜子は拗ねたが、もうこのような会話が1年近く続けられていた。浜子はもうこの男は駄目と思いかけていた。男とのストレスを赤子の秀樹に愛情を注ぎ昇華した。赤ちゃんは、自分を裏切らないし、面倒を見た分、その見返りがあることを経験的に悟っていた。


もうホステス生活は疲れたと、店を3ヶ月間休んで趣味の刺繍に専念し、創作の「処女受胎」という作品を完成させ展示会に出品すると新人賞を獲得し、地方紙に取りあげられた。この時が、はーちゃんの幸せの最高点で表彰状を貰った時に情熱が急速に消えて、引いていくのが自分でも実感出来た。

はーちゃんは時間の経過とともに秀樹と過ごす時間が長くなった。やがて毎日、親子の様に世話をする姿が見られるようになり、二人の顔立ちが似ていることから近所の人は、あの子は「浜子の隠し子」だと噂したが、浜子はそれが無性に嬉しかった。

「秀樹、おまえのこの手は私を掴んで離さない。その手が愛おしい」

言葉の分からない秀樹に語りかけると何故か心が晴れて、自然と涙が出てきた。赤ちゃんはしきりに乳房を求めて乳首を口に運んだ。時間とともに浜子の目には涙が湧いてきて、それが少しずつ腕に落ちた。

これまで色々あったが、これからはこの子を支えに、もう一度人生をやり直したいと思い上の姉(長姉)に

「お姉ちゃん、この子、私にくれへんか」

思いつめた様に言ったが、長姉からは、

「この子は預かりものや、私の一存では決められん。それにお前にそれだけの経済力あんのか」

当然のことを言われ落ち込んだ。

「その気持ちをいっぺん胸に沈めて、素直にこの子の世話をしたら、また違った人生が開けるかもしれんよ」

このように姉に諭されると、これまでのことが脳裏に浮かび涙を止めることが出来なかった。それでも泣き終えると、新しい自分に生まれ変わったように思え力が湧いて来た。 

暫くすると秀樹がまた乳房を求めて来て優しく応じた。


両親が秀樹を預けて1年が経過した。秀樹の母親、小町はこの数ヶ月、悲観にくれることが多くなっていた。17歳の母親は、生活苦と若さから自分が生んだ子供を手放したが、後悔して憂鬱な日々を送っていて、寝床から中々起き出せない状態が続いていた。生真面目な職人だった父親は、嫁のこの状態を正確に把握出来ずに放置していた。

祖父は数日、様子を見て素早く対応した。この祖父は秀正の本当の親ではない。本当の父親は大阪府警の幹部で、芸者を囲い子供を産ませて、知り合いというか情報源の祖父、即ち房次郎が男の子供を欲しがっていると聞き養子とした。自分の立場を利用し汚点を巧みに消した。  

父親の秀正は実母が30歳、即ち秀正を生んですぐに亡くなったことによって母と話した記憶は無く、思い出となる写真も無いと言い、更に幼くして別れた実父や養父母から母親の話を聞いたことも無かった。残念だが、実父とは養子に出されてから一度も逢っていない。状況から考えれば、もしかすると抱かれたこともないかも知れない。後年、実父は唯一、遺産相続という形で秀正に少しだけ貢献した。


「小町さん。しんどいんかいな。どうしたや、わしや心配やな。お前の体が」

「お父さん、すんません。どうも体に力が入らなくて本当に申し訳ありません」

「ええのよ、俺もこれまでお前に色々心配掛けたから。お前に、優しくお父さんと言われると心が苦しゅうなる。何でもするから言ってくれ」

「お父さんありがとうございます」

祖父は、極道でヤクザの足は洗ったが放蕩癖は納まらず、ヤクザ人生を捨ててまで得た後妻の鶴、即ち、小町に取っては義理の母に当たる、を苦労させて表と裏をつなぐ生業の手先となって細々と生計を立てていた。たまに小金が入った時は、遊郭で遊ぶ生活が続いていた。そんな人だがやはり娘のことは心配だった。


「小町な、子供返して欲しいんかいな?」

祖父が聞いても答えは帰って来なかったが、小町の瞳には小さな涙の塊がある事を房次郎は見過ごさなかった。

「そうやな。最近は景気も良うなって来たし、生活もちょっとは楽になって来た。お前達で育てられるか?」

祖父の問いかけに、耐えられなくなって、祖父の手を取って涙を流した。その手を房次郎は強く握り返した。

「お前の気持ちはわかった俺に任しとけ」

「でもあの人がどう思っているか・・・」

「それは俺に任せれば良いから」

母は答えなかった。

「分かった。この件は俺が前に進めるから」

母はこのようにして祖父を無言で説得し、秀樹を返してもらうことが二人の間で決まった。


数日後、祖父は長姉の家で厳しい状況に置かれていた。

「勝手言って申し訳ないけんど秀樹を返してくれんか。ちょっと生活に目途もたったんで」

「そら良かったネ。私が面倒みたかいがあったは」

「この恩は一生忘れんから返してくれ。しっかり育てるから」

「勝手やね、もう二度と手放すようなことしたら承知せんからね。伯父さんの責任だからね。こんな身勝手な話しもう付き合い切れないな」

長姉には無念の気持ちがあった。

「何と言われても仕方ない。返してくれ」

祖父は頭を深々と下げた。

「浜子が可哀相や。あんなに一生懸命、可愛がってるのに・・・。それを自分の都合で返せか。秀樹は物やないで、可愛そうに浜子はもう母親の気持ちになっとる。叔父さんは身勝手や本当に身勝手やネ。浜子が可哀相やほんまに」

愛情から強い言葉で叱責し、手放すことを嫌った伯母達も祖父の、

「若い二人のこと思って許してくれ。この通りや」

予想外の涙ながらの説得で最終的には説き伏せたが、何故か父親の秀正がこの話を壊した。不思議なことに母親も了解し見送りになった。人生に不器用な父親は、祖父や叔母に借りを作りたくなかったのかも知れないが、その経緯は分からない。父親の複雑な気持ち、経済的な不安、祖父への対抗心などが絡み合っていたのだろうと理解するしかなかった。


それでも更に半年も経過すると、両親にも心の葛藤が生じ家族で秀樹を返してもらう、もらわないが連日話題になった。母親がパートから社員になり給料が多少アップしたこともあり、家族全員の総意として返してもらうことになり、今度も祖父が先に浜子と話し説得する事前調整をして道筋をつけた。今度は両親が揃って長姉の家を訪問し懇願した。

父親は水商売をしながら、実質的に秀樹の面倒を見た次姉である“はーちゃん”を嫌っていた。それで一悶着があった。

「あんな商売はあかん。足が地に付いてない」

「そんな私に何で自分の子供の面倒見させるの」

「そんなこと・・・・言わんでも、それとこれとは違う。でもな、お前の仕事は生業やないんや。まともな仕事したらどうや、立派な体してんのに。恥ずかしないか。俺でも頑張ってるんやで」

「そこまで言わんでもいいやろ。私も苦労してるんや」

「良い体があって才能もあるのにもったいないやろが。もっと頑張れや。水商売やめて・・・」

姉をなじった。父親は汗を流して金を稼ぐ仕事しか評価せず、物を生産しない水商売などは毛頭、仕事とは思っていなかった。

この時も、子供の世話を見てもらった自分の立場を考えず、はーちゃんの気持ちを逆なでし、秀樹を返してもらえなくなる危機もあったが、

「この子は私の宝です。もう二度と手放しませんから。はーちゃんには言葉では言えない程に感謝しています。これからしっかり育てますから見ていて色々指導してください」

母親の幼いながらも涙の必死の訴えにより事なきを得た。そして、浜子に件の念書を決意を込めて渡した。

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