堺の門屋物語
@takagi1950
1.門屋
秀樹が生まれた昭和25年10月8日は、朝鮮戦争の真っ最中で、ここから日本は右肩上がりの成長を経験することになる。大阪府下、堺市に回りの発展から取り残された一角があった。
そこは戦災から逃れた地域で、周りの人々から差別されるかのように「門屋」と呼ばれていた。この一つの門と長屋で廻りを取り囲まれた門屋で、8所帯が息を潜め、肩を寄せ合い生活していた。各々六畳と四畳半の二間に二~三世代、それぞれ2~7人が生活していた。
ご飯は土間のへつぃさん(かまど)で炊いて、家の前に七輪を出して、おかずの魚を焼いたりなべ料理を作ったりした。
「おっちゃんこれうまそうやな」
「そうか。ちょっと多いからもし良かった2、3個持って行きや」
「ほんまか、おおきに遠慮なくもらっとくは」
「こっちいも余ったら困るから助かるは。またこっちが、もらうこともあるしな」
このように門屋の仲間で分け合った。こんなことが、秀樹が中学に入るまでは自然に出来ていた。食事は、丸いちゃぶ台で食べ、折りたたむことが出来るので、寝る時にはたたんで広くして布団を敷いて寝た。
水道が引かれるまでは、大家さんが管理する共同井戸に水を汲みに行った。それを持って帰り、水甕に入れ蓋をして保管し、必要な時に柄杓で掬って使った。小学2年生の時に水道が来るまでこれが続いた。水道が来た時は、『これで水汲みから解放される』と嬉しかった。そして、水道口から水が流れた時は感動した。
トイレは共同便所が3カ所、家の外にあって各所帯が決められたものを使った。冬場は寒さで震え、雨の時は移動に傘が必要だった。
因みに門屋(もんや、かどやとも言う)は、江戸時代の隷属農民が、主家の屋敷地内の門小屋(長屋)に居住していたことに由来する。事実、秀樹が生まれた門屋(もんや)は、小さな潜り戸から中に入ると、大家によって大切に守られた中庭があり、その回りを囲むように長屋が並んでいた。
住人は門によって回りの地域から隔離されている分、団結力が強く、一族の様にして生活していた。貧しい分、助け合わないと生きて行けない環境が団結力を強めた。秀樹が生まれて1ヶ月後、秀樹の家から四軒隣に一人の小柄な女の子が誕生した。名前を香織と言った。
門屋の住人も関西人の特出として反骨精神と反国家思想が強く批判精神に富んでいた。その典型的な例として、ちょっと先の出来事になるが秀樹が8歳の時、父親が鍼灸院の広告を電信柱に貼った事を咎められ、警察署に呼ばれた出来事を紹介したい。秀樹は全盲の父親を道案内して一緒に注意を受けることになった。子供が一緒なら父への追及が手加減されるとの母の考えだった。真面目な父親は巡査に呼ばれ警察署にいるというだけでオドオドしていた。
巡査は父親に、
「法律違反は困るんだ。糊で公共物の電柱に広告を貼るとは。何を思っているんだ」
強く言った。
「法律知らずにすみませんでした。生活を立て直して、生活保護から早う抜けて、この子も養わんといかんので。この子をなんとか養わんといかんのですわ。どうか今回は、この子に免じて許して下さい」
父親が弱々しく答えた。
「こんなことでは示しがつかんのや警察の・・・。こんな小さな子供を連れて来て、お涙ちょうだいが見え見えやないか。警察をあもうみたらしょうちせんぞ」
巡査が父親を攻めた。
秀樹は『お父ちゃんは、客集めの営業のつもりや。他にも電柱に広告たくさん貼ってある。何でお父ちゃんだけや。警察は理不尽なところやな』と心の中で思ったが、口には出せない雰囲気を子供ながらに感じ取っていた。
こんなやり取りが有って少しして、門屋の住人が警察署に押しかけ抗議した。
「警察は、早よう盲人を釈放しろ。弱いもんいじめはやめろ」
十数人が口々に叫んだ。日頃、目立たずにひっそりと暮らしている人が声を出した。
「皆さん、興奮しないで下さい。調べが終われば直ぐに帰しますから」
「早ようせんかいな。新聞や共産党に言うゾ」
厳つい顔の福岡のオッチャンが大声で言った。この一言が効いた。
目に見えて巡査の態度が変わった。
「そう興奮しないで下さい。もう返しますから。もう少しで終わりますからそんなに興奮しないで下さい」
巡査は矛を収め父親を直ぐに解放した。この出来事で、門屋の廻りの人々からは『門屋の中の人は得体の知れない変な人』との思いを持たれ、なるべく係わりたくないと思われてしまった。秀樹の心には共産党は庶民の味方かもしれないが、得体のしれない存在と映った。そして、物事には表と裏が有ることも知った。
門屋の人々には、貧しさを強さに変えて生き抜き、幸せな人生を送りたいとの思いが充満していた。子供の誕生、結婚、就職など数少ない喜びを皆で祝福し、金が無いことによる多くの悲しみや不幸を分かち合う精神があった。
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