彼女の秘密と新しい宝物、そして……

誰もいない家に

 家に帰ると、真っ暗で、誰か部屋にいる気配など無かった。

 玄関の靴をみたら、いつも履いている朱里の靴が無くなっていて、思わず部屋中を探し回る。


 部屋はそれほど大きくもないし、部屋数も少ないので見て回る。部屋には、朱里の私物は置いてあるのに……朱里がいない。

 ここ1週間、体調が悪いと仕事を休んでいた。僕は、何度も何度も病院へと言ったのだが、大丈夫よ!寝ていれば大丈夫だからと言っていたのに思い至ってスマートフォンを握る。

 急に体調がさらに悪くなったのかと思い、朱里に電話をかける。



「この電話は現在使われておりません……」



 再度、電話をかけたが同じアナウンスが流れる。リダイヤルではなく、電話帳から検索し、電話をかけても同じアナウンスが流れていく。



「一体何の冗談だ!ふざけんなよ!」



 僕は、スマートフォンをソファに投げつけた。そこでやっと机の上に一枚の紙が目に入り、それ一縷の望みをかけ、近寄った。



『ごめんね、一緒にいられなくなりました。このマンションは、裕に譲るので自由に使ってください。私の私物については処分してください。

 警察とかにはいわないで……ただ、私の我儘で出ていくのだから。元気で過ごしてください。

                             朱里 』



 たった数行の置き手紙は、僕を奈落の底に落とすのに十分なものであった。


 一緒にいられないってどういうことなんだ?


 分けもわからず、杏に電話をして朱里の居場所を聞くことにした。



「もしもし、杏さん?」

「どうしたの?こんな時間に?」

「あのさ、朱里さんと電話が繋がらないんだけど……何か知らない?」

「繋がらないの?ごめん、わからないわ……」



 杏も朱里がいなくなったことすら知らないという。


 この様子だと病院に運ばれたというわけでもない。一体何がどうなっているのだろう……実家に電話だ!と思い至ったのに朱里の実家を知らなかった。

 場所も電話番号も何も知らなかった。


 なすすべもなく、どうすることもできなくなってしまった。


 数ヶ月前、神様の前で誓って結婚したばかりなのに……自分が朱里のことを知らなさすぎて、途方に暮れ項垂れた。



 ◇・◇・◇



 翌日、会社で事情を話し、結婚証明証を見せ、朱里の履歴書を見せてもらったが、実家に繋がるものはなかった。



 それから、休みを取り方々を歩き回った。朱里の好きな服のブランドや立ち寄りそうなカフェ。好きだったもの全部を探したが、見つからなかった。


 どこ行ったんだよ……朱里。


 ふと思い至ったのは、幼馴染のアイツだった。



「杏さん、あの、朱里さんの幼馴染って……どこで働いてるか知っていますか?」

「どこだったかな……あぁ、〇×ってシステム会社だった気がする」

「今から行ってきます!」

「あのさ、朱里さんが会社辞めたのって、それなりに事情があると思うんだ。世羅くんが朱里さんのこと慕ってたのは知ってるけど、そっとしておいてやりなよ!」

「それは、無理です。僕、朱里さんと結婚しているんで!朱里さんがいないと僕がダメなんです。それじゃあ、いってきます!」

「え……ブツン」



 ブチっと電話を切って、教えてもらったシステム会社に走った。受付で呼んでもらい、めんどくさそうに出てきたアイツの胸ぐらをグッと掴む。



「いきなり何するんだ!」

「朱里をどこにやった!」



 僕の質問に怯んだ上に聡という朱里の幼馴染は驚いていた。



「朱里?朱里がどうしたんだ?」

「しらばっくれるなよ!急にいなくなったんだ。必要最低限の荷物を持って!実家、幼馴染なんだろう?実家を教えてくれ!」

「朱里は何も言わずに出て行ったのか?」

「あぁ、お前は何か知っているのか?」

「知らない。ただ、何かに悩んでたことだけは確かだ」

「お前には、悩みも話すんだな……」



 その瞬間、掴んでいたものから力が抜ける。



「いや、俺もはっきりとは聞いてないから知らない。ただ、かなり悩んでたと思うってだけだ。朱里が何も言わずに出て行ったんだったら、俺からも言えることはない。朱里の本当の実家は、俺も知らないんだ」

「幼馴染なのにか?」

「あぁ、朱里の父の転勤で変わってきたときに一緒にいただけで、本当の実家はしらない」



 聡のその言葉に項垂れた。


 もう、僕にできることは……本当に何もない。朱里のことを知らなすぎる。結婚したというのに。


 ただ、毎日顔を合わせて、一緒にご飯を食べ、体を重ね、日々を一緒に過ごしてきただけだった。

 朱里のほんの一部を知っていただけに過ぎなかったことを思い知らされた。



「一体どこ、行ったんだよ……」



 それからは、朱里が残してくれたマンションに意味もなく帰る日々。ここにいれば、また、ただいまと朱里が帰ってくるんじゃないかと思い、待ち続けるしかなかった。

 朱里の想い出が残るこのマンションに帰るのは、とても辛い。いない人を想って、帰ってこないといけないから……



 ◆・◆・◆



 帰ってきてくれると期待して待ち続けて4年がたとうとしている。このマンションに住み始めてもう6年になるのか……と、感慨深げに見上げていた。


 味気のない毎日を過ごすうちに、朱里への感情が段々薄れていくような気さえしていた。


 月日が流れれば、僕も昇格し、朱里が座っていた席に座ることになった。僕がいた席には、新しく入った女の子が座り、僕が朱里にしてもらっていたようにOJTをしている。

 会社に向かうのも辛い日々の中、朱里との想い出だけに縋って生活していた。湯島の機転で、新入社員の子を先輩として教える立場を与えられなかったら、会社にすら行かなくなっていたのかもしれない。


 会社に向かうと、杏が血相を変えて駆け寄ってきた。それも、かなり顔色が悪い。



「杏さん、おはよう!」

「おはようどころじゃない!世羅くん、朱里が……朱里が……」



 朝から廊下で泣き崩れてしまった杏を落ち着かせ椅子に座らせ話を聞く。



「朱里がどうかしたんですか?居場所がわかったとか?」

「死んだの。交通事故で。今朝、ニュースになってたの知らないの!」

「……朱里が死んだ?いつ!」

「昨日の夜よ!」

「杏さん、どこかわかる!それ!その場所!」



 朱里の手がかりがやっとつかめた。ただ、最悪の手がかりである。

 杏に教えてもらった事故をネットのニュース記事を読み、その場所へと飛んで行った。職場から新幹線に乗り、朱里の故郷についたのは昼が過ぎていた。


 土地勘のない僕は、電車で大きな駅に降り、レンタカーを借りて住所を手掛かりに走らせた。焦って焦って事故りそうになりながら、朱里の実家へと急ぐ。



 着いた先は、山々に囲まれたのどかな田舎であった。

 車を適当な広さのある駐車場に停めて、朱里の家を探すと『忌中』という紙が貼られている。表札を見ると、橘と書かれており、恐る恐るその家に入った。

 朱里ちゃんまだ若いのに……なんて声が聞こえてきたので、ここが朱里の実家で間違いない。



 僕は、つかつかと家の中に入っていき、朱里の眠っている棺にやっとやっとたどりついたのだった。

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