閑話

初めて会った日

 さっそくDNA検査キットが届いたので、裕里の口の中を綿棒でグリグリとしているところだ。

 何故か、裕里もしたいといいだし、俺の口の中えいえいっとしている。時々刺さるのが、痛いのだけど……気にせずされるがままだ。



「ひゅうひ、ひたひ……」



 これでもかってぐらいグサグサと刺され、さすがに限界を感じる。



「いたかったの?」

「もう、いいだろ?」



 裕里の口内を撫でた綿棒を専用容器に入れ、俺のを別容器に入れた。

 そして封をして郵便ポストに投函すると結果がくるというわけだ。



「お父さん、あれって何?悪いことして、お父さんも裕里も捕まるの?」



 ポストに入れた検査キットを見送りながら裕里は呟く。不安はあったのだろう。繋いだ手がより一層ぎゅっと握られる。



「うーん、裕里とお父さんが親子かの検査かな?」

「お父さんは、裕里のお父さんでしょ?」

「そうなんだけど……なんて説明したらいいかなぁ?」

「あぁ、オトナのジジョウってやつだ!」



 なんか、また、大人が使う都合のいい言葉が裕里の口から出てきた。このシリーズ、一体どこまで覚えたんだろう……さすがによそで発せられると、ちょっと困る。

 でも、まぁ、そうやって裕里も大人になるのかと思うと……仕方がないのかと諦めた。



「大人の事情ね、いいね!そういうことにしておいて!」

「もし、お父さんが本当のお父さんじゃないって来たら、裕里のこと捨てるの?」

「なんで?」

「裕里は、お父さんの子どもじゃなかったら、一緒にいられないんでしょ?」

「そんなことないよ!裕里は、もう俺の子どもだよ。戸籍もちゃんと入ってる。ほら、名前、言ってごらん?」

世羅裕里|せら ゆうり

「世羅は、俺の苗字だから、もう誰がなんて言っても、裕里は、俺の子どもね」

「そっか、それなら安心だ。お父さん、ずっと私のお父さんでいてね?」



 答えるかわりに、くしゃと頭を撫でると嬉しそうに笑う。その面影がどこか、朱里に似ていて、朱里の子どもなんだなと実感する。



 ◆・◆・◆



 初めて裕里に会ったのは、朱里の葬儀の日であった。


 僕の前から消えて4年近くたっとときに、杏から朱里が死んだことを聞かされた。葬儀場やらなんやらを聞き出して、飛んで行ったときのことを思い出した。



 田舎の大きな家の仏間で、棺に入った朱里。

 消えたときと何ら変わらず、眠っているかのようだった。



「あ……朱里……朱里!」



 誰かとも名乗りもせず、ふらふらと仏間へあがり、朱里の棺の前で名前を呼び続ける。呼び続けたら……『何?裕!』と名前を呼んでくれるような気がして呼び続ける。ふいに肩を叩かれ驚き、そちらを見た。

 すると、そこには朱里の雰囲気に似た初老の男の人が、そっと立っていた。



「あの……すみません。朱里とは……」

「朱里の夫……です。4年前に急にいなくなってしまって……職場も家もそのままにして……探した……けど……見つからなくて……」

「朱里の?あの子は、結婚はしていなかったはずです」

「朱里の希望で籍は入れていません。ずっと一緒にいようと誓っただけですから……」

「あぁ、もしかして朱里の指に嵌っていた結婚指輪は、貴方とのものでしたか?」



 ポケットから取り出された指輪。見覚えのあるその指輪は、内側で黄緑の宝石が光っていた。



「そうです。それ、僕が朱里に……」



 急に涙が溢れて目の前が見えなくなり、嗚咽に変わる。僕の背中をそっと朱里の父がさすってくれた。僕なんかより、一人娘を失って、ずっとつらいはずなのに……



「大丈夫ですよ、いっぱい泣いてあげてください。きっと、貴方にとっても、あの子が大切な人であったのでしょうから」



 家中に響き渡る僕の嗚咽。1時間も泣き続けた。



「おじさん、朱里は帰ってきたの?」



 そこに聞き覚えのある男の声がした。朱里の幼馴染の聡だ。



「君はあのときの……朱里の元カレくんだね。今日、君がここにいていい日じゃない。帰りなさい!」

「聡くん、それは朱里が悲しむ。この方も一緒に参列してもらおう」

「おじさん……」

「さ、少し落ち着いたかな?こっちに来て休むといい」

「ありがとうございます。でも、朱里の側に……」

「朱里は、もう逃げたりしませんから……お名前、伺ってもいいですか?」

「……はい、世羅裕です」

「……世羅さんですか?」

「はい、あの、何か?」

「あ……いえ、なんでもないです。ゆたかさんとはどんな字をお書きに?」

「示すへんに谷です」



 あぁそうかと呟く朱里の父は、訳あり顔で苦笑いをする。そこにお茶を持ってきてくれた人にありがとうといい僕にも勧めてくれた。

 優しいその眼差しに、僕は、言いようもないほど懐かしさを覚えた。



「おじいちゃん!私、可愛い?」



 突然あらわれた小さな女の子が、ぴょんぴょん跳ねながら、朱里の父に抱きつく。その仕草があまりにも朱里に似ていて自然であった。



「あぁ、可愛いよ。裕里は世界で一番可愛い」

「やったぁー!!お母さん!おじいちゃんが可愛いって!あ……お母さん、死んじゃったんだ……ねぇ、おじいちゃん、お母さんいつになったら起きる?」



 棺に顔を突っ込んで、お母さんって呼びかけている小さな女の子。



 朱里の父が裕里と呼ばれている少女の側によっていき、話をしている。

 まだ、小さな女の子には死というものが理解できていないのか、ずっと話しかけていた。


 ふと目が合ったとき、ニコッと笑いかけてきた。その顔は、朱里の面影を残していた。返事をしない朱里の側にいることに飽きたのか、僕の方に寄ってきて、ちょこんと膝の上に座る。



「お兄さんは、だあれ?」



 その質問に、僕は戸惑った。僕は、一体何者で、何のためにここにきたのだろう。僕は、朱里の何だったんだろう。書類上、僕たちは夫婦ではなかった。

 だけど、僕は朱里を愛していたし、ずっと愛している。

 でも、朱里は僕を置いて、いなくなってしまった。再会したときには、棺の中で、永遠に眠りについていたのだ。あの温もりは、もう僕の腕の中に帰ってくることはなくなったのだと、現実を突き詰められている最中である。



「お兄さん、悲しいの?お母さんがね、悲しいときは泣いていいって言ってたし、こうやると辛くなるのが半分になるんだって!」



 そういって僕に抱きつく。朱里と一緒のシャンプーの匂いがする小さな朱里のような女の子は、僕をぎゅーっと抱きしめてくれた。僕は、その子を抱きしめる。



「お兄さん、名前なんていうの?」

「ゆたかだよ?」

「ゆたか?」



 ふぅーんと言い、僕の耳元で反芻している。言葉をたくさん覚える時期なのか、いろいろな言葉を発しながらも、その中に今覚えたばかりの『ゆたか』という言葉が聞こえてくる。

 心臓を握りつぶされそうなくらい、その女の子が発する言葉に悲しさや寂しさがこみあげてくる。


 やっぱり、朱里の子どもだな……発音が一緒だ。


 涙が零れると、泣いちゃダメ!と、小さな手で涙を拭ってくれる。ベタベタの手を僕のスーツや自分のワンピースで拭きながら、また頬に伝う僕の涙を必死に拭ってくれる。



「もう、大丈夫だよ」



 自分のスーツで目元を拭い笑いかけると、大輪の向日葵みたいに笑う。



「あの……」

「あぁ、その子、朱里の子どもだよ。急に仕事を辞めて帰ってきて、私、子ども生むから、お父さん私をここに置いて!って、ビックリしたよ。もう、ここには帰ってこないのだと思っていたからね」

「そうですか……僕は、朱里のことを少しも知りませんでした。お恥ずかしい話、実家がどこなのかも……」

「その子、君と目元がよく似ているね。君の……あぁ、いや、今日はやめておこう」

「裕里って、言ったかな?」

「うん、ゆうりっていうの」

「お母さん、好き?」

「お母さん好き、おじいちゃんも好き!」



 頭を撫でると目を細めて喜んでいる。



「ゆたかも好きだよ!」



 心臓が止まったかと思った。実際にとまったのは、周りの大人たちだったのだが……拙い子どもからの好きは、僕の心をぎゅっとさせる。



「ありがとう、僕も好きだよ!」

「ホント!嬉しい!」



 葬式とはかけ離れた会話を続ける僕ら。朱里の子どもだと思うと可愛くて仕方がなかった。



「あの……無理を承知でお願いします。僕にこの子を育てさせていただけませんか?朱里……朱里さんの子どもなのですよね?僕が、養父となります。仕事も辞めてこちらに引っ越してきますから……お願いします!」



 葬儀も始まっていないこんなときに何を言い出すんだと、僕自身も思った。

 でも、今言わないと、もう、言う機会が回ってこないんじゃないかという気持ちで焦った。

 だから、朱里の父は渋っていて当然。僕は畳に頭を擦りつけるように、朱里の父に頼み込む。



「正直な話……お断りしたいです。でも、こんなに裕里が懐くのは、何か繋がりがあるのかもしれませんね。あの子は、何も言いませんでしたから……私は何も知りませんし、何も言えません。

 ただ、私も年なので、この子を今後一人で育てるには無理があることもわかっています。裕さん、このこの成長を見守るお手伝いをお願いできますか?」

「はい、こちらこそ、お願いします!」



 熱意が伝わったわけではなく、裕里にとって僕がいた方がいいと朱里の父は判断をしてくれたのだろう。

 僕は、この子の手を離さないと……自然に小さな手を握るのであった。



 ◆・◆・◆



「裕里は、覚えているのか?俺と初めて会ったとき」

「もちろん!お父さんお母さんの棺の前で大泣きしてた。あのとき、お母さんに呼ばれた気がして、飛んでったの!」

「おや?俺の印象とはずいぶん違うな。新しいワンピースを着せてもらって、大はしゃぎしてた気がするけどな」

「でも、そのあと、お父さんを抱きしめてあげた気がする。覚えてないけど……」



 あぁ、抱きしめられたぞ?名前まで呼ばれて。



「お父さん、お母さんの話、聞かせて!」

「最近、聞きたがるな?」

「知っておきたい。私のお母さん」

「俺の朱里への愛情はいくらでも尽きることがないからな!」

「そういうのいらない。お母さんの話が聞きたい!」



 ガクッと肩を落とすと、俺の前にぺたんと座る。



「私ね、お父さんのこと、お母さんのお葬式のときもう知ってたの。お母さんに、どうして私にはお父さんがいないの?って聞いたことがあって、写真ならあるって……見せてくれたから。だから、あのときお父さんのところに行ったんだよ?」

「そうなのか?それも初めて聞くな?」

「うん、今思い出した!確かね……まだ、私持ってる。お気に入りなの!」



 おずおずと出してきた写真は、結婚式場でモデルになって撮った写真だった。朱里が気に入ったといっていた写真を裕里がずっと持っていたらしい。

 どおりで、この写真だけなかったはずだ。

 この写真、朱里が持っていてくれたのか……そう思うと嬉しくなった。

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