古ぼけた教会 side朱里

 家に帰ったのに、裕が帰ってこない。夜になっても、朝になっても、スマホの電源が切られているのか、同じアナウンスが流れる。


 うつらうつらとし始めたころ、玄関のロックが外れた音がする。

 無音の世界に私一人だったのだ。些細な音で、私は玄関まで駆けていく。不安で仕方がない……この部屋に入れるのは世界に二人だけといえど、その扉の向こうから裕が現れなかったら、怖くて怖くて仕方がなかった。



「……裕?」



 目の前にいるのが裕で不安や恐怖に囚われていたためホッとした。



「朱里……?仕事は?」

「仕事どころじゃないわよ!どこ行っていたの?」

「別にどこにいてもいいじゃん……朱里には関係ないし!」

「バカっ!いなくなれば、心配するに決まっているじゃない!裕が帰ってこなくて……」



 顔をみたら、涙がとまらなくなりその場に力なくへたり込んでしまう。



「朱里、大丈夫か?」

「ゆ……たかのバカ!」

「はいはい、バカですよ!よしよし!」



 泣きじゃくる私に驚いたのか、優しく抱きしめてくれる。泣いて泣いて、不安を流すように泣き続け、涙が枯れた頃には、部屋に夕日がさしていた。

 その間、ずっと背中をさすってくれる。



「あのさ、朱里?」

「ん……何?」

「僕に遠慮せずに、あの……アイツのところに行っても……?」

「行くわけない!行くわけがないの……!裕がいるんだもん、行くわけがない!ただ、ごめん……これ以上は」



 私が知ってしまった真実を裕にいうことが出来なかった。

 言ってしまえば、離れて行ってしまうようで、それすら怖くて、胸の内にしまってある。



「なぁ、明日、旅行に行かないか?仲直り……?でいいんだよな?」

「旅行?」

「休み取ってあるんだろ?」

「うん……取ってある。行こう!旅行!」

「どこに行く?急だから近場しか無理だけど、温泉とか?」

「いいね!一緒にお風呂入る?」

「えっ?僕、また、介護するわけ?」

「失礼ね!じゃあ、一人で入る!」



 介護と言われ、私は怒る。冗談で言っていることはわかっていてもだ。体を離そうとする裕を無意識に私はギュっと服を掴んでいたようで離れないでくれた。



「結婚式しない?」

「えっ?」

「結婚、僕のお嫁さんに……いや、僕をお婿に貰ってください!」



 ぷふふ……思わず笑ってしまう。



「素敵ね、嬉しいわ!」

「あぁ、世羅は妹がなんとでもするから、朱里の姓に入らせてよ!」

「ごめんね、籍は入れられない。このままで、二人一生を過ごすことはできないかな……?」



 私の提案にショックを受けている裕。それもそうだろう、結婚するとプロポーズを受けているのだ。なのに、いきなり籍は入れたくないという私に戸惑うのはわかる。

 でも、裕と私が同じ籍になるときは、夫婦ではないのだ。私が知っていることを知られたくない気持ちが優先してしまう。

 まだ、聡から結果はもたらされていなくとも十中八九、私の予想通りの結果をもらうことになる。 



「どうしてダメなの?」

「どうしてもダメ。私は、裕と一緒にいたいけど、籍をいれることだけはできないわ。そういう形では、ダメかな?」

「ダメではないけど……」

「不安?」



 覗き込むと不安そうにしている裕。さっきの私も同じような顔をしていたに違いない。



「じゃあ、神様に誓おう!今度の旅行、教会に行って二人だけで誓おう?指輪もちゃんとつけてるし、ね?職場に公表もしよ!私の旦那さんだって、自慢したっていい!」



 自分で言ってても、痛々しく感じる。

 でも、事実が発覚すれば……この夢のような時間は終わる。それなら、対等じゃないかもしれないけど、事実を隠し通すだけだ。



「いいよ、二人だけで神様に誓おう。愛しているよ、朱里」

「嬉しい!裕!」



 私はギュっと裕にしがみつき、もう離れないから……と小さく小さく呟いた。



 ◇・◇・◇



「朱里、荷物持った?」

「うん、大丈夫!」



 休みも少ないことだし、1泊2日で近場へ旅行へ行くことになった。その途中に忘れられた教会があると調べ上げ、そこに向かうことにした。

 本当は、ちゃんと結婚式だってしてあげたい。父にも紹介してあげたい……それをすれば、みなが苦しむことになるなら、私の胸の内で留めて置くことが最善のように思えたから何も話さないでいる。


 二人で遠出をしたことがなかった。何より私が忙しかったから、休日はずっとベッドでコロコロとしているか、家の中でだらーっとしているかだ。

 よく1年もの間、文句ひとつ言わずに、裕は私に合わせてくれていたなと思う。今日は、めいっぱい遊ぼう!裕も楽しそうにしているので、私はこれ幸いとハンドルを自由気ままに取るのであった。



「もうすぐ、〇△だって!」



 道路標識を見つけ裕に知らせると、ナビをしてくれる。途中、道を間違えるのは、ご愛嬌だろう。たどり着いた場所、それは古びた教会だった。


 森の中の教会で静かで趣のある雰囲気のあるところであった。



「素敵なところだね。とりあえず、誓っちゃおう!降りて!」

「なんか、神様もこんな適当に誓われたら……困らない?」

「いいと思うよ。神様は万物の神様だから」

「いや、教会は万物じゃないでしょ?」

「そっか……まぁ、いいじゃん!行こ行こ!」



 中に入ると、空気が変わる。裕の手を握っていたが、その手が震えていないか確認する。



「あっ!お客様ですか?」

「えっと、あの……」

「私たち結婚の誓いをしに来たのですけど、ここで誓わせていただいてもいいですか?」

「いいですよ!ぜひどうぞ!証人が必要でしたら……」

「お願いします!」



 牧師さんの準備が終わるまで教会を見て回った。やはり、歓迎されている雰囲気ではないことを身をもって感じる。裕は、知らないから、平気なのだろうか?チラッと見ると、あちこち興味深そうに眺めていた。



「誓いの言葉は、こちらで用意したものになさいますか?ご自身で言われますか?」

「自分で言います!」

「朱里、どうするの?」

「思った通りに言えばいいのよ!例えば、朱里を一生大事にしますとか、愛していますとか、ちょっとこっぱずかしいことを言ってくれれば、私はとっても喜ぶ!」

「では、よろしいですか?」

「ちょ……ちょっと待って……考えるから……」

「考えちゃダメでしょ?そのとき思ったことでいいから……」



 慌てている裕が可愛らしい。今、言葉を考えているようで、ブツブツと言っている。



「新郎裕、貴方からどうぞ」

「新郎裕、貴方からどうぞ」

「……僕は、朱里を一生大事に愛していきます。どんなときにも側で支えていけるよう、これからも健康に気を付けながら生きていきます。朱里と末永く笑って過ごせますようどうかお願いします」



 健康に気を付け?ふふ、長生きして私と一緒にいてくれるということかしら?


 思わず、笑ってしまう。



「では、新婦朱里」

「はい、私は、裕を一生の伴侶として選びました。たとえ、それが間違っていて赦されることでなかったとしても死ぬ瞬間まで愛して……愛し抜きます。どうか、私たち二人が、ずっと一緒にいられますようお導きください」

「では、誓いのキスを」



 牧師さんに見られてキスをするのは、恥ずかしい。結婚式なら、友人たちに見られてかと思うと、なお恥ずかしくなった。

 でも、それは、夢と終わったのだから……と、心の底に封印した。



「では、こちらで証明証を発行するので少しお待ちください」



 教会の空気感がとても苦手だ。

 私が隠し事をしているというのもあるかもしれないが、気持ちのいい感じはしなかった。



「誓っておいてなんだけど……教会って苦手かも」

「どうして?」

「神様がいるみたい」

「神社とかでもいるよね?神様」

「日本の神様は、寛容だからね。何事も」

「何事も寛容ね……何事かあるの?」



 うぅんと首を振り笑いかける。

 牧師さんから証明書だけをもらって、そっとその場を後にする。


 重かった気持ちは、教会から離れたことで、少しだけ軽くなった。

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