ペリドットとアクアマリン side朱里
「朱里」
「ん?」
「誕生日おめでとう!」
隣に座る裕に甘えコテンと体を預ける私。こんなに穏やかな気持ちになるのは……1ヶ月ぶりだった。
原因は、女ものの香水。裕に限って何もないことはわかっていても、裕に好かれているという自分に全く自信がない。
それなのに、私の誕生日だってことを本人も忘れていたのに、覚えてくれていたらしい。御馳走が用意されていたことに私はとても感動した。
体を元に戻し微笑むと、ホッとしている裕。
「裕、ありがとう。私もとうとう32になっちゃったよ……おめでとうって言われて喜ぶ年ではなくなったんだけどね。でも、今年は、裕に祝ってもらえてすごく嬉しいよ!」
落ち込んだ裕を見ていた私は、申し訳なさを胸に今日だけはめいっぱい甘えようと裕の首に腕を回し抱きつく。
支えるように腰から背中にかけ腕が回ってきて、私はすっぽり包まれるようで心地いい。抱きついているからか、裕の髪から香ってくる私と同じシャンプーの香りがした。
「裕から、私と同じシャンプーの匂いがする!」
「ごめん、僕の切らしてて……」
「うぅん、いいの。私のものだって感じがするから。それに、初めてうちに来た日を思い出すね?」
このシャンプーの香りは、私が1番好きな香りであった。控えめではありながら、ふわっと香ると華やかさもある。同じ香りがすると、あの日のことを思い出し、急にドキドキと緊張してきた。
「思えば……私、なかなか大胆なことしたよね?真夜中に男の子を家にいれるだなんて……軽率でした」
「あの日の朱里は、もっと大胆だったよ?」
「そうだっけ……?」
私は知らん顔をしてそっぽを向いたが、あの日のことは今でもはっきり覚えている。
まさか、自分から裕を家に誘うなんて……顔が熱くなってきた。もう、二度とこんなことはしないだろうけど、あの日頑張った私を褒めてあげたいのは今も変わらない。あの日、裕を帰していたら……こうして、二人並んで過ごせることがなかったかもしれないのだから……
「朱里もお風呂に入っておいでよ!僕はもう入ったからさ!」
「もうちょっと甘えたらね?」
心地よく甘えているのに、早くお風呂へと誘導され、ちょっとムッとした。もう少しだけ……と思っていたら、耳元で、優しく囁いてくる。
「今晩は、朱里が欲しい」
あまり裕からは誘ってこない。
基本的に私がクタクタな毎日を過ごしているから、気を使ってくれているのだろう。抱きついて眠るだけでも、私は程々に満足していたのだけど……気にはなっていた。
拒み続けていた手前、少しだけ緊張してしまったが、裕が私を欲しいと言ってくれるなら……ううん……私も裕が欲しいと思った。
「……いいよ」
返事をすれば、むしろ裕の方が緊張で体が強張っている。
拒まれると思っていたのだろうか?少し心外なような気がするけど、促されたとおりにお風呂へ向かうことにした。
◇・◇・◇
裕の腕の中から抜け出すと、そのまま着替えを取りに行き風呂場へ向かう。髪を洗い、体をいつも以上に丁寧に洗い、湯船に浸かる。
温めのお湯に浸かって、あちこちと触ると体中凝り固まって堅くなっていた。先にお誘いを受けたせいでの緊張もあり、どうしよう?と頭の中をグルグルと駆け巡っている。
「今更、どうしようもないよね……?」
私は、苦笑いしながら凝りをほぐす様に体中をマッサージする。長く浸かっていたからか、軽く湯あたりをし、のそのそと湯船から上がるのであった。
脱衣所にある鏡で下着姿の自分をクラクラしたまま見つめる。
「変なとこ、ない。準備は…………いいかな?下着も、うん、可愛い。うーん、ちょっとこの辺、お肉ついてない?」
普段は気にもとめていなかったのに、鏡の前でクルクル自分を見つめると粗探しが始まり、段々さらけ出すのが、恥ずかしくなってきた。
それでも、裕なら、受入れてくれるだろう。意を決して、もこっとしたパジャマに着替えて脱衣場を出た。
「髪、乾かさないと風邪ひくよ?」
ドライヤーを持って出てきて、乾かしてもらっているうちにもう少しだけ……心の準備をしようと言う魂胆で、裕にドライヤーを渡す。
ソファに座る裕の前に、ペタンと座ると、ドライヤーの熱風が髪を乾かしていく。
手際よく長い髪を乾かして行くのは、妹がいると言っていたからなのだろうか?
初めてお願いした私は、裕の意外な一面に驚く。触ってくれている髪や頭が気持ちいい。目を細めてすっかり委ねてしまった。
ドライヤーの音が鳴り止んだ後、後ろから抱きしめられる。
摺り寄せられる体がくすぐったくて身じろぎしてしまうが、ここが居心地のいい場所であることには変わりないのできゅっとその腕をしがみつく。
耳元から、優しく私を呼ぶ声。
「……朱里、朱里さん」
「ん?」
「僕と結婚してください」
まず、私は、裕に何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。
あの分厚い雑誌を目にした日から、心待ちにしていたのだけど……ここしばらくの私の態度を含め、驚いてしまったのだ。
そして、目の前に出された小箱。
私が好きなブランドの刻印がみえる。一緒に見に行ったとき、ちゃんとリサーチ出来ていたのだろう。
それでも、差し出された小箱に緊張してしまった。
裕の腕に触れていた両手で、私は目の前に出された小箱を手に取る。じっと見てしまった。
「裕、もらってもいいの?」
「うん、いいよ!朱里のためのものだから」
「ありがとう、嬉しい!」
理解が追いついたとき、私は涙が零れてきた。振り返ることはせず、パジャマの袖で目元を抑える。
「朱里、大丈夫?」
私は、努めて平静な声で返したつもりだったのに、グズグズな声で大丈夫と返してしまい、余計に裕に心配させてしまったようだ。
「裕、私とで後悔しない?」
「むしろ、朱里以外と結婚するなんて考えられない」
「……うん、ありがとう。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
私は裕に抱きついてキスをせがむと応えてくれる。自信のなかった私は裕の一言で全てがうまくいく……そんな錯覚さえ覚えるほど、満ち足りた気持ちになった。私、何に悩んでいたのだろう……そんなふうにさえ思う。
握りしめたままの小箱。
「これ、開けてもいい?」
裕は、私にあの金の指輪をプレゼントしてくれたのだろうか?
期待を胸に机に小箱を置いて、眺める。
青いリボンがかかっていて、そこにもブランドの印が刺繍されていた。
「いいよ!朱里が絶対気に入ってくれるものが入ってるから!」
「すごい自信だね?」
「当たり前!朱里が好きなものしか入ってないから!」
シュッと包装用のリボンを解くと、箱をゆっくり開く。
小さな小箱は、オルゴールになっていて、二人でよく聞いている想い出の曲が流れる。裕の選んだ曲に胸が熱くなり、驚いたり喜んだりしてしまった。
小箱を開ききると並ぶ二つの指輪。
私が、こっちのほうがいいなと言った金の指輪ではなく、同じデザインで当初から目を付けた方のプラチナリングが収まっていた。
「これ……」
「そっちが欲しかったんでしょ?」
微笑んだ裕は、私の左手を手に取り、プラチナリングを私の左薬指に嵌めてくれる。その一連の動作を見守っていたのだけど、嵌らなかったらどうしよう……なんて、無用な心配をしながら期待と不安で一杯になっていた。
サイズもぴったりで、薬指に嵌った指輪をみると、そこにあるのが当たり前のように、誇って輝いている。
「素敵だね!」
私の指に嵌り光り輝くその指輪をみて自然と口角が上がってしまう。
嬉しい……これだけ小さなものでも、あるだけで裕の愛情を感じ、心強く思える。弱い人間ではなかったはずだが、私の心の支えとなった。
「ありがとう!大事にするね!」
「うん、僕も大事にしてくれると嬉しいよ!」
「僕も?裕も、もちろん大事にするよ!」
裕のいう『僕も』を勘違いしてしまい、思わず笑いあった。もちろん、裕のこともこの指輪も大事にするつもりである。指輪を見つめ、私はほこほこと体が温まるような満たされた気持ちでいた。
ふと、耳に聞こえるオルゴールの音。
そういえば、この小箱の中には、2つ指輪があったことを思い出す。小箱を手に取ると、大きめのリングが収まっていた。
指輪を手に取ると、一回り大きなサイズで中を確認すると、打ち合わ通りの刻印が入っていた。
『 El tesoro de akari 』
ただし、見覚えのない宝石が両端に2つ。
ひとつは、私の誕生石である黄緑色したペリドット。もうひとつは……アクアマリンだろうか?裕の誕生石だったと思い至った。
刻印のこともバレていたのかと思うと少し恥ずかしくなる。両端の宝石が自分たちを意味しているのかと思うと、照れてしまう。裕の左薬指に、指輪を嵌めているところだ。
「なんだか、結婚式みたいだね!」
「本番は、まだまだ先だけどね?近いうちに、結婚式もしよう!」
照れてお道化たつもりが、もう先の話に繋がり嬉しくなる。
「あっ!」
私は、身に覚えのない宝石から、裕も何かこの指輪にしてくれたのではないかと考え、嵌めたばかりの指輪を外した。
やっぱり、あった!
私の指輪にも同じ刻印に同じ宝石がついていた。
『 El tesoro de yutaka 』
「バレたか!」
「裕の宝物?」
「そう、僕の宝物。なんか、朱里のをパクったみたいで、恥ずかしいんだけど……いいなって思って」
私たちの指輪は、お揃いではない。だけど、刻印や中の宝石が同じものを使われていて、お揃いなのだ。お揃いのものを持っている。それだけのことで幸福感が増してくるのだから、裕が狙ってしたのか、偶然なのかはわからないけど、嬉しいことには変わりなかった。
「ねぇ、朱里?」
「何?」
「指輪も僕も逃げていかないからさ……」
「ふふ、わかった」
さっきから、裕がソワソワしているのも知っている。私も準備したのだ。幸福な気持ちで一杯でふわふわしそうだったが、今からも私を満たしてくれるだろう。
立ち上がり、裕の手を取り足取り軽く寝室へと向かう。繋いだ手は温かく、ベッドへと誘う。笑いかけると、寝室のドアがパタンと裕が閉めたのあった。
◇・◇・◇
「まだ、起きてたの?」
突然話しかけられ、声の方へ視線を送ると、寝ぼけた裕が微笑んでいた。私は、月光に光る結婚指輪を眺めていたところだった。
「うん、嬉しくて、眠れない。裕は良く寝てたね?」
「あぁ、うん……」
ばつのわるそうにしているが、私の機嫌が悪く居心地の悪い1ヶ月我慢しながらいろいろと準備をしてくれていたのだ。
気持ち的にも疲れていたのだろうと私は申し訳なくなる。
そんな私にもそもそっと体を寄せてきた。
裕の体温が温かく、包まれているような安心感を覚える。
「そんなに嬉しい?」
「ふふ、そんなに嬉しい」
「それは、僕の人生をプレゼントしたのと、どっちが……」
「重いな……それ。
でも、2つとももらって嬉しいものだから、大切に宝箱にでも閉じ込めておきたいわ!」
「僕、箱には収まらないと思うよ」
「棺桶という宝箱でもイイかしら?予約しておくわ!」
「まだ、予約しなくていいよ!」
後ろから抱きしめられ、指を絡めると、もらったばかりの指輪がカチッとなった。慌てて手を離したが、裕の左薬指に収まった指輪を撫でる。
シンプルでツルっとした感触。なんの飾りもないものであった。
「裕の指輪は、シンプルなんだね?」
「宝石がいっぱいついてたら、ダメでしょ?朱里の指輪に合わせて、プラチナだし、二人の誕生石が入ってるから、シンプルでもいいんだよ」
「そっか。この指輪、結婚式までつけるとダメ?ずっと、つけてたい」
「いいよ、僕も外したくない」
「いきなり、隣通しが指輪してたら、みんな驚くかな?」
「大丈夫じゃない?デザインが違うから、わからないよ」
「そっか……じゃあ、裕は朱里さんを諦めて違う女に走ったのかと罵られるがいい!」
「それより、朱里さんにピカピカ光る高そうな?指輪を贈ったセレブな男が出来て、やけでも起こしたかと慰められそう……」
同じ職場の隣通しの私達。いきなり指輪をしていったら、職場の皆は驚くだろうか?隠しているつもりはないけど、誰にも裕とのことは言っていなかった。
さすがに、私たちの距離からしたら、職場で知られれば恥ずかしいのと、周りもどう反応していいのかわからなくなるのは、ちょっと……と思うと言えなかった。
それに、最初に言うのは、きっと、父にだろうとずっと思っていたが、まさか現実になるとは思ってもいなかった。
「朱里は、ウェディングドレスがいい?白無垢?」
「結婚式の話?」
「そう」
「うーん、洋装和装どっちもいいよね!色打掛とかもいいね?」
「和装だと襟足とか、エロいよね……」
「裕くん?」
「あ……はい。すみません、いらないことを申しました」
気の早い裕に少し笑ながら、きっと試着したり前撮りしたり、結婚式本番だったり……ことあるごとにちょっかい出してくるんじゃないかと小さくため息をついた。
「じゃあ、リクエストしてもいいのかな?」
「いいよ!何がいいかな?」
「僕、ドレスがいい。他のやつに見せるのは癪だけど、それ以上に綺麗な朱里を自慢したい」
「自慢されるなんて、光栄だね!」
「明日さ、時間あるなら……結婚式場見に行かない?」
「早くない?」
「善は急げって言うし、ドレスの試着とかあるなら……」
「着ないわよ!」
「えっ!」
「まだ、先でしょ?今の仕事片付かないと……」
「あぁ、そっか……そうだよね。お義父さんにも挨拶行かないとね。僕で大丈夫なのかな……」
心配そうな裕の声を聞くと、笑ってしまう。ドラマにあるようなシーンを頭に思い浮かべると、微笑ましい。父もきっと、裕のことを気に入るだろう。
「何かおもしろいことでもあった?」
「あれ、やってね?」
「あれって……?」
「お嬢さんを僕にください!」
「違うよ!お嬢さんに僕をもらっていただいてもいいですか?だよ!」
「えっ?」
「えっ?」
「婿養子?」
「そのつもりだけど……?あれ?」
婿養子になろうとしていることに驚き、思わずベッドの上に座って裕を見つめた。 まるで、当たり前のようにいう裕にちゃんと考えているのだろうか?疑問が生じてしまった。
でも、きちんと私とのことを考えてくれていることは知っているので、考え抜いた結論だろう。
「いいの?婿養子で」
「いいよ?うちの家系、女系だから僕が跡取りじゃないし、朱里と同じ橘になれるなら、喜んで!橘裕か……なんか、漢字並べると、かっこいいな」
『橘裕』
私は、裕に言われ、私と同じ苗字になった裕を想像した。
でも、今と変わりなく、温かく私を包んでくれる彼しか思いつかなかった。例え橘になったとしても、この人は変わりなく私を慈しんでくれるのだろう。
「やっぱり、明日ダメ元で式場に行ってみよう!楽しみすぎて、確認しないとどうにかなりそうだし……」
逸る気持ちが抑えられないと少し子供っぽい裕に呆れてしまう。それも、また愛おしいうちのひとつなのだから、恋は偉大だなと笑ってしまった。
「それより、目が冷めちゃった」
私を自身に引き寄せ抱きしめてくる。
「……仕方ないな」
私はそのまま、裕に身をゆだねるのであった。
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