もう、逃がしてあげないからね! side朱里

 最近、裕の行動が明らかに怪しい。

 相談もなしに急に有休を使って休んだり……するわけだ。

 行先はあの分厚い雑誌を考えても、先日一緒に行った百貨店な気がするんだけど、それでも、今までこんなことは無かったので不安を覚える。


 私、こんなだったかな?もっと、人に興味がなかったはずなんだけど……


 裕のこととなっては、どうしても気にしちゃう。

 今までのことを思い浮かべた。


『俺に興味ないよね?正直言って、朱里から愛情のかけらも感じない。もう、別れてよ!』


 最後に自身のことを冷たいとか興味ないでしょ?と聞いたのは、6年前。幼馴染だった聡と付き合っていたときだ。結婚も考えていてくれたらしく、そういう話も出ていた。

 ただ、私はこういう冷めた性格だったし、聡が言うほど、あのときは結婚したいという気持ちにどうしてもなれなかった。


 学生のときも、付き合ってと言われ付き合ったけど、なんか思っていたのと違うと言われ別れたり、浮気されたり、結構な感じだった。

 そのときも、そんなもんだよねと、何の感情もわかなかった。


 こんなに胸の奥で、裕の小さな変化に妙な危機感を感じて焦っているのは、本当に私なのだろうか?

 自分がよくわからなくなってしまう。

 それほど、私の中で『裕』という存在は大きく、揺れ動いてしまうんだと今回のことでわかった。



 荒んだ心をこの前の百貨店でのことを思い出す。

 結婚情報誌を裕が買っていたのをいいことに、私はこれ見よがしに百貨店へと誘ってしまったのだ。


 ガラスケースに並ぶアクセサリーがキラキラとライトを浴びて輝いていた。

 たまたま、目のついたのは、私が初めて買った指輪と同じブランド。

 新作が出るこの時期にいつもフラフラと見に来ていたが、今つけている物以上に気に入ったものは無かった。あくまで、新作を見に来たよーっていうていで、ガラスケースを見て回る。

 チラッと後ろをついてきた裕が、ソワソワと私がどれを選ぶのかチェックしようとこちらを伺っている。

 その姿は、可愛らしく感じ、思わず微笑んでしまう。


 結婚指輪なら……シンプルなものかな?


 自然と結婚指輪が並ぶ方へ歩いて行こうとした所で目にとまった指輪があった。



「この指輪、見せてもらえますか?」

「こちらですね?少々、お待ちください!」



 ガラスケースから出された指輪を手に取ると、やっぱり私の好みである。

 ますます気に入ったのだが、15万だった。


 プラチナは、結構するな……でも、最近は、金の方が高いんだっけ?

 でも、私の好みからすると……こっちだな。


 頭の中は大忙しで、手に取ったプラチナとガラスケースに入っている金の同じデザインの指輪を眺める。



「お客様の指は細いですから……こちらも素敵だと思いますよ?」



 悩んでいる私に店員が金のデザインのものを出してきてくれる。値段も5万ほど安かった。10万なら……と、隣を見ると裕はすごい真剣にプラチナリングを見ている。クスっと笑い、声に出してこれがいいと金のリングをさして裕に聞こえるようわざという。



「うーん、もし買うとしたら……これかな?」

「どれどれ?」



 これっと言った金のリングを見て、少しだけ、ん?って顔をしていたが、すぐ納得顔になっている。

 初めてもらうプレゼントが、まさか結婚指輪になるなて思ってもみなくて、遠慮した結果でもあったが、デザインが気に入ったことには変わりない。



「どう?似合う?」

「朱里は、何でも似合うからな……」

「それ、何でもいいって言われているみたいで、嫌だな?」

「そんなことなくて、本当にそう思ってるんだけど……」

「じゃあ、ゴスロリとか着たとしても?」



 一瞬引いたが、想像しているらしい。フランス人形にでもなった私を。私から考えても……似合わないことはわかっている。裕のイメージからしても、私はスーツ姿が1番印象的ではないだろうか?



「うん……以後、気を付けます」



 その一言で、あぁ、やっぱり似合わないのかと残念に思ってしまったものだ。


 それからも何件か回る。

 でも、あれ以上気に入るものはなく、結局また同じ店に戻ってきてしまった。



「ちょっと、違うところへ見に行ってきてもいいかな?」



 後ろをついて歩いて裕が離れていった。



「お客様、おかえりなさい」

「はは……戻ってきちゃった」

「このリングですか?とてもお似合いですよね!先ほどは、金のリングを言われてましたけど……プラチナの方がお好みなのでは?」

「店員さんって、商売上手だよね!」

「今、されているのもうちのブランドのものですね。よかったら、クリーニングしますので、こちらにどうぞ!」

「ありがとう!」



 店員に薦められるがまま席に座り右薬指から指輪を外す。指にないと寂しく感じる程、この指輪とは長い付き合いだ。



「あの、もし、さっき一緒に来た人が買いに来たら……」

「あぁ、はい。お話を伺っても?」

「えぇ、いいですよ!」

「なんとなくですけど、ご結婚指輪をお探しではないですか?今は、デザインリングを結婚指輪とされる方もみえますので、お客様の欲しい指輪をそのまま結婚指輪にしても大丈夫ですよ!お揃いの物がいいとおっしゃられる方もいますが、毎日目のつく場所にあるものです。

 好きな人から贈られた指輪であっても、ご本人が気に入ってらっしゃるものを身に着けている方が、幸せに感じられる方もいらっしゃいますから」



 結婚指輪はお揃いの物でなくてはならない……固定概念のように思っていたが、店員に言われ、そういう考えもあるのかと思い至る。



「お客様のお誕生日は、何月ですか?」

「8月よ?」

「では、ペリドットですね!ペリドットは、太陽の石と言われ、夫婦愛を意味する石です。ご結婚される方にはとても素敵な宝石とりますので、例えば、彼がつける指輪の裏側にお客様の誕生石であるペリドットをつけてみたりとか、後は刻印サービスをしていますので、入れられてみるのもいいですね!」

「刻印か……」

「承りますよ!今でも」

「うん、たぶん、ここで買うと思うから……先回りしても大丈夫?」

「えぇ、内緒にしておきますので!」

「私の宝物……朱里の宝物ってスペイン語で入りますか?」

「えぇ、大丈夫ですよ!では、こちらに……」

「綴り……どうだったかな?」

「あの……」

「大学でスペイン語を専攻してて、いつか、指輪に刻印を入れてもいいと思える人に出会えたら、入れてもらおうと思っていたんです。内緒ですよ!」


『 El tesoro de akari 』


 ちょうど、刻印の文字を書き入れ、指輪のクリーニングが終わった頃、裕が戻ってきた。



「おかえり!」

「ご機嫌だね?どうかした?」

「指輪をね、クリーニングしてもらったの!ピカピカしてるでしょ?」

「あっ!ホントだ。よかったね!」

「用事、終わった?」

「うん、そろそろ、帰ろうか?」

「そうだね!お邪魔しました!」



 さわやかな柑橘系の香水が香る店員にしてやられた感はあるけど……なんだか嬉しくて仕方がなく、裕の左手を握り、家路に着いたのであった。



 ◇・◇・◇



 昼から、裕がまた帰って行く。

 今回は、職場ではあったが、休みますよ!と言われたのだけど……隣にいないのがやっぱり寂しい。



「外回り行ってきます!」

「えっ?朱里ちゃんが外?珍しくない?」

「たまには、外回りに行かせてください!そのまま直帰で!」



 課長の湯島にヒラヒラと手を振り、私は職場を出た。

 回るところとか特に考えていなかったが、スマートフォンを取り出し、先日電話をもらっていた取引先へと連絡する。

 相手先もちょうど電話する所だったと言われ、図々しくお邪魔することにした。



 この仕事についてから、ずっとお世話になっている取引先で私は仕事と雑談をして3時過ぎには暇になってしまう。行く当ても無かったから、近くにある結婚式場の前を通った。

 平日だというのに、たまたま結婚式が行われており、柵の外側から幸せそうに微笑みあう新郎新婦を眺めていた。



「まるで、私が新郎に振られて未練たらたらで覗いているみたいね……」



 新郎とは面識は全くなかったが、なんとなく微笑みあっている二人を見ていると羨ましくて仕方なくなる。


 私も、ウエディングドレス着れるかしら?それには……いろいろと準備が必要ね。


 整えているつもりでも、30はとうに越えている。なんたって厄年ど真ん中な私なのだ。体のメンテナンスの必要はそこかしこにある。

 ましてや、相手の方が5つも若いのだから披露宴なんてしたら……若い子ばかりが来ることも予想され……。



「裕の奥さん、おばさんだよね?なんて言われたら、無理……実際、おばさんでも……その日ばかりは、綺麗なお嫁さんね!って言ってくれるかしら?若い子の言葉は、心をえぐるからな……」



 なんて呟きながら、マンションまでの30分程をてくてくと歩いて帰った。



「おかえり!」

「た……ただいま。今日は早かったんだね?」



 出迎えると、なんだか気まずそうにする裕。

 何か隠していることは確かなんだけど……結婚指輪を買いに行ってくれていたのかな?と思いなおす。



「うん、今日は外に出てたから、そのまま直帰したの」

「そうなんだ……」

「裕は、お昼からどこかへ行ってたの?お休みだったよね?」

「えっと、大学のときの友人に浩司に彼女が出来たって話を聞いてさ、1ヶ月後ぐらいにからかいに行こうって話が出てて、その打ち合わせに……」

「ふぅーん、そっか。ご飯は食べる?」

「あ、うん、食べる。朱里は、もう食べたの?」

「まだだよ!裕が帰ってからにしようと思って!じゃあ、温めるから着替えておいでよ!」



 私の隣をすれ違った瞬間、女性用の甘い香水がふわっと香る。

 前、百貨店で話をした店員とはまた違う香水だったため、訝しんでしまった。



「そういえばさ」

「何?」

「そのブランドの香水って……鼻につくね!」

「えっ?香水?」



 香水の匂いが移るまでの距離で、店員と話すことってあるのだろうか?

 1つ疑問が浮かべば、もう次から次へと湧いて出てくる。疑うわけではないと思いつつも、頭から離れなくなってしまった。



「あの、朱里……さん?」

「何?」

「怒ってらっしゃいます?」

「ん?別に?」

「いえ、あの……いつもの優しい声じゃなくて……その、できないやつを冷ややかに罵倒しまくっているときのお声ですよ?」



 つんけんした声で答えれば、裕がごめんと謝ってくる。

 また、それに腹が立ってきた。



「何か謝らないといけないようなことしたの?」

「いえ、何も……」

「自分の心が軽くなるためだけに謝るのはよくないよ!」



 それ以降、ご飯も無言のまま食べ、ベッドで体を沿わせて来たが拒み、どうしようもないことで、私は変な方向へと向かっていってしまった。

 顔を合わせることも辛くなり、裕より早く起きて出社し、裕が寝た頃に家に帰る。そんな生活を続けることになった。

 私のちょっとした不安と疑いがとんでもないことになってしまっている。

 さらにそれが不安になり、負の連鎖となっていくのであった。



 ◇・◇・◇



『何時頃、帰ってこれそう?』



 昨日、有休を取ると職場で私に話してくれたので、今日は隣の席は空いていた。メッセージは届いていたのだが、どうしても返すことも出来ずに、1時間、そのメッセージをチラチラ見ながら、返事を考えていた。



『会議行ってて、返事遅れちゃった。ごめん。今日は、金曜だから、めいっぱい残業かな?どうかした?』

『そっか、お疲れ様だね……何でもないから、大丈夫だよ』



 メッセージを送ったら、すぐに裕から返事が返ってきた。

 遅れたことも残業をするつもりのことも、責めることも何も言わず、何でもないからという。付き合ってきてわかったことがある。


 裕の『大丈夫』は、『大丈夫ではない』ことだ。



「課長、今日も残るつもりだったんだけど……帰ってもいいかな?」

「うん、朱里ちゃん、ちょっと残業ペースおかしいから、そうしてくれると、僕の首の皮が繋がるから、そうして……あと、朱里ちゃん、今日誕生日でしょ?そんな日くらい、自分にご褒美あげないと、長い人生大変だよ!」

「あっ!私、今日誕生日なんだ?」

「朱里さん、知らなかったの?」

「杏ちゃん……」

「世羅くんも可哀想にね。想い人が誕生日の日休むだなんて……片想いなんだから、こんなときくらい、仕事でもいいから一緒にいれたらよかったのに、間の悪い子だね?」



 杏は私に苦笑いしているが、たぶん、家で私の帰りを裕が待っていてくれる。お祝いするために……なら、なおさら、早く帰らないといけない気がするので、鞄とジャケットを持つと駅まで走る。



「朱里ちゃん、あんな子だっけ?」

「朱里さんにも、青春が来たんだよ!」



 杏と湯島が話しているのが少しだけ聞こえたが無視だ。とにかく家へと急ぐのであった。



 ◇・◇・◇



「……裕?」



 玄関を開けると、真っ暗であった。

 いつも裕が履いている靴はあるので、いるのだろうとそっと名前を呼んでみる。カーテンを閉めきり真っ暗だったため、私まで不安になってきたが、電気をつけると寂しそうに丸くなった裕がソファに寄りかかっていた。



「おかえり……」

「急いで、帰ってきたんだけどね……これでも」

「どうして……?」

「帰った方がいい気がして。今日、私の誕生日だったんだね……」

「気が付いてなかったの?」

「うん、いつも祝ってくれる人、いなかったから、忘れてた」



 机の上に置かれたシャンパングラスを見れば、私の誕生日を祝ってくれることがわかる。何処かに食べに行くでなく、私が疲れていることを考慮してくれたうえで自宅で準備してくれていることに、ほっこりしてしまった。



「準備してくれてたんだね……ごめんね、冷たかったかな?」

「いい、大丈夫だよ。それより、誕生日お祝いしよう!」

「ありがとう!」

「準備するから、着替えてきて!」



 着替えてきたら、いつものところへぺたんと座る。

 ここからは、キッチンにいる裕がよく見えるのだ。

 真剣そのもので、料理を用意してくれているのだが、匂いからして私の大好きな煮込みハンバーグなのだろう。


 1ヶ月、剣呑していた自分がバカみたいだ……


 私のために、お祝いを準備してくれる人は、家族以外ではこの世に彼だけだろう。そう思うと、心から笑顔が零れる。



 愛しい人。

 ずっと、側にいてくれるかな?ううん、もう、逃がしてあげないからね!



 テーブルの上に置かれた煮込みハンバーグを見つめ、裕に笑いかけるのであった。

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