彼女の宝物

えっと……そういうこと? side朱里

 朝が苦手な私としては、朝起こしてくれる人がいるのは、正直嬉しい。

 それが好きな人だったら……寝起きも幸せだ。



「朱里、ご飯できたよ?」

「おふぁ……」



 この部屋で同棲を始めて1年くらいになるに起こしてもらうのが、私の日課であった。

 元々朝の弱い私にとって、裕の存在はとてもありがたく、優しい声で起こされることに幸せを感じる。裕が払う家賃のことを考えて、一緒に住まないかと持ち掛けたが、実は私の方が恩恵があったのではないかと、今では感じていた。


 ゆさゆさ揺すられ起こされても、まだ眠い私は寝ぼけながら裕の首に腕を回し、頬にちゅっとキスをする。

 一種の日課となっていて、これをするかしないかで、私の1日の頑張り度が、俄然変わってくるから不思議なものだ。



「ほら、早く起きて!」

「裕は、いつも早いね……」

「そんなことないよ?朱里は少し仕事を詰めすぎているよ?」

「わかってるけど、もう少しで大きな案件が終わるから……それさえ終われば、ゆっくりできるよ!」

「うーん、じゃあ、もう少しだけ頑張って!」

「はぁい、裕」



 まだまだ、寝ぼけている私は、裕に敬礼をしながら、のそのそとベッドから起き上がる。名残惜しい掛け布団から抜け出して、リビングに向かおうと立ち上がる。



「朱里……それ、僕のワイシャツ」

「えっ!」



 裕に指摘され、着ていたものを見れば、確かに裕のワイシャツをところどころボタンが外れ、だらしなく着ていて驚いた。

 昨夜、疲れてよく回らない頭をぐわんぐわんとしながら、お風呂から下着のまま出てきて、たまたまソファにあった裕のワイシャツを拝借してしまったようだ。

 しかも、濃い色の下着だったため、しっかり透けている。

 下も何も履いておらず、視線を感じたので慌てて裾を引っ張った。



「もう、裕のえっち!」

「いやぁ、不可抗力!彼シャツと朝っていうのが、また……仕事、休みませんよね?」

「休みません!」



 私は、ペタペタと歩きながら、シャツのボタンを閉め直し、リビングへと歩いて行く。

 もちろん、裕が用意してくれた朝食に舌鼓をするためにだ。

 この1年で、料理を少し教えたら、裕はかなり上達した。今では、私より上手になり、こうやって朝食も毎朝作ってくれている。



「それ、汚さないでくださいね!今から着るんで!」

「やだ、違うのにしてよ!私、一晩これ着て寝てたんだよ!」

「だから、いい気がするんですけどねぇー」

「変態やだ!」

「その変態を好きなのは誰ですか?」

「んぐ……」



 そう言われると、言葉が出ない。私が好きなんだから……裕がどのつくほど変態だったとしても、何も言えまい。

 食べ終わって、スマートフォンでニュースを見ながら、ほてほてリビングを歩いていると、違うワイシャツに着替え、裕が文句を言いながら自分の部屋から出てきた。

 すかさず、後ろから抱きつく。もちろん、時間がないのはわかっていても、私の彼氏はかっこいいから仕方がない。



「なんですか?時間ないよ!」

「ちょっとだけ、充電……」



 後ろから抱きついたので、裕の胸の前に手が行ったようで、私の右手の薬指をそっと撫でられた。

 どうしたのだろう?と少し覗き込むようにすると、指輪をじっと見つめているようである。



「いつもしてるよね?」

「えぇ、初任給叩いて買ったの。もうずいぶん長いことしているから、傷だらけなんだけど、とても大事なものよ!」



 私の言葉に少しホッとした表情を見せている。

 もしかして、誰かからもらったと思っていたのかしら?そんなもの、裕の前でつけるはずもない。

 この指輪は、私が社会人になって初めて手にした初任給を叩いて買ったものである。いつまでも初心を忘れないように、辛くなったときのお守り代わりのものだった。


 抱きついてまったり過ごしすぎたようで、答えがわかり満足したらしい裕に時間がないと急かされる。



「ホントだ!ごめん、洗い物!」

「はいはい、任せておいて!」



 私は寝室へ向かい、急いで服を着替え、化粧を始める。

 いつものことながら、もう少し早く起きれば、忙しい朝でも裕に甘えることができるのだろうけど……起きられない私が悪い。



「先に出るよ!」

「うん、いってらっしゃい!」



 声をかけられたのでもう出て行ったかと思っていたら、後ろから抱きしめられた。

 鏡に映る裕は甘えた顔で首筋にキスをして、耳元で「行ってきます」と囁く。急いでいるにも関わらず、おかげで化粧が手につかなくなった。

 鏡に映る私は赤い顔をしている。私の気も知らないで、やってくれるわね……と、ため息をつき今度こそ急いで化粧をして部屋を出た。

 時計を見れば、ギリギリ間に合うかどうかで、かなり焦ることになったのだった。



 ◆・◆・◆



「お先に失礼します!」



 隣からいきなり声をかけられ驚いた。

 何も言ってなかったはずだが、今日は有休を使ったようで、裕が帰っていく。声をかけないのも変だと思い、私は裕になるべく自然に声をかけた。



「お疲れさま、世羅くん。気を付けてね!」

「ありがとうございます、朱里さん」



 ガランと空いた隣の席。急にいなくなると、何故だかとても心細くなり、キーボードを打つ音も自然といつもより小さくなる。

 職場も生活する家もベッドまで同じで、行き帰りの通勤電車が違う以外、私たちは1日のほとんどを共有している。

 休みもお互いに報告していたのだが、今日は何も言われていなかった。それも寂しいが、ここまで裕に依存している自分にも正直驚いている。



「体調悪いのかな?朝、そんな感じじゃなかったけど……悪くなった?後で、連絡してみるかな」



 杏と一緒に出ていく後ろ姿を見送りながら、今日は早く帰る決意をする。


 早く帰ると決意したすぐからは、怒涛のように仕事が回ってきた。

 山に積まれていく決裁。回しても回しても終わりが見えてこない。

 さらに電話が立て続けに入ったと思ったら、緊急会議での招集やらなんやらで、気付いたら就業時間はとうに過ぎていた。

 半分くらい、決裁が終わっておらずどうしようか迷ったが、ざっと見て、至急のものだけ10件終わらせ急いで帰る。

 決裁より、裕の体調だ。

 結局連絡をする暇がなくなったため、私は急いで帰ってどんな状態なのか確かめるしかなかった。


 駅までもいつもより早歩きで急いで帰る。



「早く……早く……」



 電車に乗っても気が気じゃなくて、電車に乗っている時間にメールか何かで連絡すればいいことをすっぽり頭の中から抜け落ちてしまっていた。


 マンションのエレベータに乗るころには、焦りすぎて息が上がっていたが、エレベータに乗っている時間のおかげで整えることができた。


 マンションの私の部屋の前までたどり着いたとき、ひとつ息を吐く。焦っていた気持ちが一気に体から抜け出していくのがわかった。


 ガチャっとドアをひねると、リビングから慌てたような音とソワソワした雰囲気が伝わってくる。


 えっと……これは、あれかな?


 もしかして……?だったら、なんか、申し訳ない気持ちになった。最近、夜帰ってくるのが遅すぎて、帰宅、ご飯、お風呂、睡眠を規則正しくしていたのを思い出す。


 わざとらしく音を立ててリビングに入ると、やっぱり少し慌てている様子の裕。でも、そういう後ではなかったようで、引きつりつつもにこやかに迎え入れてくれた。



「ただいま!」

「……おかえり、今日は早かったんだね?」

「うん、裕が早く帰ったから、体調でも悪いのかと思って、早く切り上げてきたの!」

「そうだったんだ。ごめん、体調が悪いとかじゃないから、大丈夫だよ!ただの有休消化」

「そうだったんだ。まぁ、いいわ!たまには、早く帰ってきてゆっくりしたかったし」



 体調が悪くないって、やっぱり何だったんだろう……?考えながら寝室へと着替えに行く。

 着替え終わってリビングに戻ると、夕食の準備に取り掛かってくれていた。



「私も手伝う?」

「いいよ、そっちで座ってて」



 リビングに追いやられ、することもなかったのでキッチンで料理をしている裕を眺めていた。時々目が合ったら、照れたように笑いまた視線を落としている。


 しかし、今日はいったい何だったんだろうか?

 帰った理由が気になったが、私には話したくなさそうである。


 ソファに頭を預けて体を伸ばした瞬間、右手にコツンと当たるものがあった。

 何だろう?と思い、そっとパーカーに手を伸ばす。

 下にあるのは5㎝程の分厚い本で、あぁ、これ、エロ本なのかしら?と思って引っ張り出した。



 そこに書かれている文字に私は驚く。



「結婚情報誌……?えっと……そういうこと?私と?」



 次から次へと言葉が零れていくが、裕が隠していたということは、何かしら私との将来を考えていてくれることなのだろうか。

 元あった場所へ戻し、そっとパーカーをかけなおす。


 私は、隠された結婚情報誌を見てしまったことで、顔が緩んでしまう。

 キッチンにいる裕にニコニコと微笑みながら浮かれ気分で、私も未来の自分たちを想像する。

 ぽやっとしていると、夕飯の準備ができたと、机の前に並べてくれた。

 お腹がすいている私には、とても暴力的な食べ物の匂いにお腹をさすりながら、提案をしてみる。

 私の意図をくみ取って提案に乗ってくれるのかはわからなかったけど、無い用事を無理やり作って、久しぶりに外へデートに誘う。



「ねぇ、裕」

「何?」

「今度のお休み、外にデートに行こっか?私、百貨店とか回りたいな!」

「百貨店?」

「そう、そろそろ化粧品のストックも欲しいし、新しい宝飾品とか出てくる時期だから見たいなって思って!」

「いいですよ!行きましょう!」



 あの分厚い雑誌が家にあるということは、裕が私との将来を考えてくれているということに他ならない。

 とても、嬉しかった。

 私も裕となら、一緒に年を重ねていくことも苦ではなく、楽しみである。


 寂しかった私の子ども時代を思い出す。私が母親になるとかなんだか、うまく考えられないけど、一緒にいるのが裕なら、いつか子どもが生まれ家族が増えたとしても、いつまでも変わりなくいられる気がした。



 目の前にいる裕は、提案したデートが楽しみだと笑っているし、久しぶりに出かけられることも嬉しい。



「早く休みにならないかな?」

「そうだね、早く、休みになってほしいね!」



 休みまで2日。今日は、いつもより早く帰ってきた。



「ねぇ、今日は早く寝ようか?洗い物はしておくから……」

「はい、行ってまいります、お風呂へ!」



 何かを感じてくれたのか、回れ右をしてそそくさと風呂場へ向かう裕の背中を見送り私は微笑む。

 洗い物を終え、裕が風呂から出てきたら私の番だ。

 着替えを取りに向かう。うん、今日はこれかな?といい下着を引っ張り出す。気付きもしないかもしれないが……私の気分の問題だ。



 バタンと風呂場から出たであろうドアの音がしたので、入れ違いにお風呂へと急ぐのであった。

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