彼氏ができた! side朱里

「お……お邪魔します」



 遠慮がちに部屋に入ってくる彼は、靴を脱いで部屋にあがるときも、若干怯えているような緊張の面持ちであった。

 私、取って食ったりしないのに……心外ね!と後ろから彼を見つめる。

 その光景を見ていると不思議であった。

 一緒に働いてきて、彼の人となりを知っているからなのか、告白すると決心をしたからなのか……私の生活圏内である部屋へとを招き入れたくなった。

 このマンションを買ってから、部屋へ誰かをあげたことながった。彼氏であっても友人であってもだ。

 なんだか、そわそわ……ぞわぞわする。



「汚いけど、適当に座ってて!」



 部屋に入った彼は、物珍しそうに部屋を見回している。

 女の子らしい部屋でも想像していたのだろうか?残念……私の部屋には、必要最低限のものしか置いていない、可愛げのない部屋。

 一人で暮らすなら、物はそれほど必要でなかったため殺風景だ。

 誰かを部屋に招き入れるようなことをするつもりもなかったから、見栄えのするものなのなく余計に物が少ない。

 それと、仕事の机と違って、ごちゃごちゃと置くのは苦手だったりする。

 何もない部屋で、休日はぼうっと過ごすのが私の至福の時間だったから。



「着替えてくる!」



 彼に声をかけ、私は寝室へと移動する。

 職場では、ラフな服と言えど、それなりの年齢になったことと、チームリーダーとして服装もちょっと堅いジャケットを着るようになった。

 元々緩い服が好きなのだから、部屋着のモコモコとした服に早く着替えたい。


 服を脱いだ時点で、ドアが開いていることに気付いた。

 ワザとではなく、癖で開きっぱなしにしてしまったのだが、視線を感じてそちらを見ると彼と目が合ってしまった。

 自分の今の姿と言えば、服を脱いで下着姿。

 明かりはつけていないないが、レースのカーテンから月光が入ってきているから、向こうからは見えているだろう。

 ここは……怒るべきなのかと考えた。

 でも、どう考えても、私の過失だろう……癖でドアを開けっぱなしにしていたのは、他の誰でもなく私なのだから……


 目を逸らして、リビングにいそいそと慌てて向かっていった彼を見て微笑んでしまう。

 モコモコの部屋着に着替え終わり、リビングに向かうところで考える。

 さっきの……からかっても大丈夫かな?何か話すきっかけに使うことにした。

 最近、話すようになったとはいえ、仕事ばかりしている私の話題が、圧倒的に少なすぎたためリビングに行く前に彼の様子を伺う。

 買ってきた酒やつまみなんかを並べているところだった。

 よしっと心を決めて、準備してくれているところへ向かう。



「見てたでしょ?」

「いえ……」



 表情を見る限り、何か言い訳でも考えているのだろう。

 責めているつもりはないので、笑い話にしようと口を開こうとした。



「……見……見てたんじゃなくて、朱里さんが見せてたっていうと思うんですけど……?」

「そっか、癖でドア開きっぱなしだったもんね……ごめんごめん」



 顔を赤らめる彼を可愛いと思いながら、私は、テーブルを挟んだ反対側に座り、並べてくれた缶チューハイの缶を手にとった。プシュッと開け、ニコリと笑いかける。

 わたわたとしながら彼も座り、私は彼がビールの缶を開けるのを待っていた。

 例え酔えなかったとしても、少しくらいはふわふわできるので酒の力を借りようとしている私は、缶をぶつけ乾杯をした後、500mlを一気に飲み干した。

 こうして彼が目の前にいると、告白を決心したと言えどやっぱり緊張するので、喉がカラカラであったのだ。

 飲み干した缶チューハイを軽く振ると、ぴちゃぴちゃと音がしたが、空と判断していいだろう。

 2本目に手を伸ばす。彼は、目を丸くしていたが、2本目も飲み干したところで諦めたのか悟ったのか、何も言わずに彼はチビチビと自分のビールを飲んでいた。

 飲んでも飲んでも払しょくできないこの何とも言えない気持ちを抱えながら、13本目に手をかけたとき、さすがに思った。

 私、水分取りすぎだ……と。


 引いてないだろうか?と伺うと、何食わぬ顔をしてつまみを口に放り込みビールで流している。

 そういえば、ずっと飲んでばかりで全く彼の方を見ていなかったことに気付いた。

 私、どれだけやらかしたんだろう?と時計を見れば、午前1時を過ぎている。

 2時間も何も考えず飲み続けていたのかと思うと、恥ずかしくなってきた。


 世羅くんも……何か話しかけてくれればいいのに……


 ビールを煽っている姿をぽやっと見た。

 仕切り直そう……さすがに「ダメな朱里さん」を見せているだけのようだ。



「ちょっと、トイレ……」



 行きたくもなかったトイレに駆け込む。

 ドアを閉じた瞬間、大きくため息をつき、私はしゃがみ込む。



「何やってんの……私。お酒が飲みたいんじゃなくて、世羅くんとお酒が……じゃなくて……私、告白するんだよ……ダメな私をたくさん見せて、どうするのぉー!!」



 ドア2枚分あれば、小さく叫んでいるのは聞こえないだろう。

 アパートなら……隣から苦情が来ていたかもしれないが、防音もそれなりにあるマンションでよかった。

 よかったけど、よくない……立て直すと私はすっくと立ちあがる。

 水で手を洗い、顔をパンパンと叩く。

 夜中というのと酒を飲んだこともあって、若干ふわふわしていたが、気持ちを切り替えられた。



 前に……対面に座るからダメなのね。後ろのソファなら……大丈夫……かな?



 リビングに戻ると相変わらずマイペースで彼はビールを飲んでいた。

 今からしようとしていることを考えると、血が沸騰するように熱く、体中の血の循環がいい。

 私、このまま、緊張で心臓止まるんじゃないだろうか?

 拒まれることも、一応頭の隅の方に置いておくことにする。

 いつでもふざけただけだといいわけを忍ばせる保身まで身に着けたずるい大人だと嘲笑う。



 意を決して、彼の後ろのソファにドサッと腰を落とすと、驚いたのかこちらを向こうと体をよじってきた。それに構わず、私は彼に抱きついた。

 相変わらず、心臓の音はうるさいし、こうしている今も体温は上昇していっている。

 でも、抱きついた彼も、とてもあたたかった。



「あ……朱里さん?」

「ん……ちょっとだけ……」

「その、ちょっとは……ダメなヤツです」

「ダメなの?」

「……ダメです」

「じゃあさ……」



 私はソファからスルッと降りて膝たちになり、彼の顎に手をかけて上を向かせる。

 さすがに目のやり場に困っていたのか、泳いでいた彼の目と目があった瞬間、笑いかけ戸惑っている彼にキスをする。

 軽く唇を触れ合っただけであったのだが、彼が飲んでいたビールの味がした。



「ビールの味がするね?」

「そりゃ飲んでますからね、どうしたんですか?朱里さん。僕のこと、煽ってます?それとも、からかってる?」

「んにゃ、相当遊んできたんじゃないかと思って、裕の理性を試してみました」

「試されたんですか……この状況で試されたら……すごく困りますけど……」

「なんで?」

「なんでって……わざと言ってますか?」



 いつもは『世羅くん』と呼んでいたのだが、私の決心と共に呼び方も変えてみる。

 気付くだろうか?『裕』と呼んでいることに……

 それにしても、この腰に回ってきた手を見て咄嗟に試してみたなんて言ってしまったけど、全然そんなつもりもなかった。

 ただ、この手に支えられた女性がいたのかと思うと、嫉妬してしまったくらいだ。

 絶対言わないけど……そんな醜い私が恥ずかしくなって、誤魔化すようにニコッと笑う。

 彼より年上だからかっこつけたいし、彼には可愛く見られたい。

 両極端の感情を持て余し、嫉妬したことを誤魔化した結果でもある。



「朱里さんは、逆に意外と遊んでます?」

「そう見える?」

「いえ、全く」

「それは、ちょっと夢見がちかもだけど……泊ってって、いいよ」

「はい?」

「うん、いいよ」

「酔ってるんですか?馬鹿にしてるんですか?」



 ちょっと怒ったようにしている裕から解放された私は隣に並んで体育座りをする。

 裕の言葉の強さになんだか不安にも見舞われ、膝を抱えて座ると、ゆらゆらと揺れてしまった。



「そんなつもりはないけど……そう思うなら、帰れば?タクシーなら呼んであげるよ!」



 失敗しちゃったな……というのが今の率直な言葉だろう。

 タクシーを呼んで帰ってもらったら、月曜日から元通りの上司と部下になれるかなと考えながら、元居た私が座っていたところのスマホを取ろうと腰を浮かせると、先に私のスマホを取られてしまう。

 せっかくタクシーを呼ぼうと思ってあげたのにと、スマホを返してもらおうと体をよじろうとした。

 すると、お腹に腕が回ってきて、胡坐をかいていた裕の上にストンと引き寄せられ座らされる。

 私の背中に沿うように、裕は体をくっつけてきた。


 背中が温かくほわほわとした気持ちと抱きしめられているという緊張でドキドキとしている。



「朱里さん、いいんですか?」

「いいですよ?大事にしてくれるでしょ?」

「はい、それはもう……」

「なら、いいよ。イロイロ考えたんだけど、付き合って」

「付き合ってってそういう付き合いでいいんです?セフレ的な……」

「あれ……?彼氏になりたいんじゃなかったの?」

「なりたいです、なってもいいんですか?」

「うん、なってよ!」

「わーい、やったーって気持ちはあるんですけど……なった瞬間にこの状況っていいんですかね?」

「いいんじゃない?ほらほら、気が変わらないうちに……」



 耳元から聞こえてくる裕のおちついた声。

 いつでも逃げられるように緩く抱きしめられていた腕に力が入る。

 もう、逃がさないからというように。



「朱里さん、今日はやめておきます。でも、このまま抱いててもいいですか?」



 私より、裕の方が大人なのかもしれない。

 ちょっと身構えていた私も確かにいたのだ、真夜中の私の部屋に二人きり。

 邪魔になるものは何もなく、何が起こってもおかしくないし、二人ともいい大人でもある。


 焦っていた私が恥ずかしく、裕の心遣いが嬉しくてふふっと笑ってしまった。

 ただ、離れがたいのも事実なので、甘えるように抱きつくと受け入れてくれるようにぎゅっと抱き返してくれる。



「うん、そうしてくれると嬉しい。裕、これからよろしくね!」

「こちらこそ、朱里さん」



『朱里さん』って……職場と変わらないな。

 みんなに同じように呼ばれているので、全く特別感がなくて少し寂しい。



「朱里さんって言われると……仕事してるみたいね!朱里っていってごらん?」

「……朱里」



 裕に名前を呼んでもらえることは、特別で世界が変わったような気さえして嬉しくなる。

 さっきまでも、『朱里さん』と呼ばれていたのにも関わらずにだ。



「ご褒美ね!」



 2度目のキスをする。

 最初は軽く、少しずつ深く……



「久しぶりにキスすると、息の仕方忘れちゃった!」



 ここ何年か、ずっと仕事ばかりしていてすっかり忘れてしまった恋愛。

 キスひとつとってもよくわからなくなってしまった。

 だた、こんなに満ち足りた気持ちになるのは、相手が裕だからだろう。

 すっかり忘れてしまった恋愛も、これから、裕と二人で始めていけばいいのだと思うと、安心する。

 優しい年下の彼氏は、私と一緒の歩調でいてくれるだろう。

 それを確認できるような時間となった。

 ソファに寄っかかり二人で手を繋いで眠りにつく。

 繋いだ手や肩から伝わる裕の体温を感じ、やっと安らげる場所を見つけたようだった。




 ◇・◆・◇




「朱里……朱里…………」



 いつも聞く爆音の目覚ましではなく、優しい男性の声で目覚める。

 耳元をくすぐるように遠慮がちに呼ばれ、寝ぼけながらも昨日のことをぼんやり思い出しながら目を覚ます。



「ゆた……おふぁよ……」

「朱里、仕事でしょ?」

「うん……シャワー浴びてくる……」



 動かない頭を働かせながら、目を擦って風呂場へ行く。

 よろよろと歩いていると、裕が帰ると言い出した。

 うん、帰ってもいいけど……私に付き合って床で眠ったのだから、疲れていないわけもない。

 ベッドで眠ればよかったと、反省する。



「んーこんなところで寝たから眠いでしょ……ベッド使って寝てけば?鍵、オートロックだから、帰りたいときに帰ってくれればいいよ……」



 裕が焦っているのだけど、私はとにかく眠いのと仕事に向かわないといけないので、少々無理をしてでも風呂場へと再度移動を始める。



「朱里さん!大丈夫?」

「大丈夫……シャワー浴びれば、余裕!」



 熱いお湯をかぶれば、眠気も飛び、多少頭もスッキリする。

 そのスッキリした頭で思い出すのは、昨日の醜態と何をしたのかと言いたくなる程、私、裕にせまっていなかっただろうか。

 酒に酔わず、変な酔い方をしたらしい私は青ざめるが後の祭り。

 結果、こんな醜態をさらしたのに彼氏になってくれた裕に感謝しながら……風呂場から出る。

 長い一人暮らしの弊害だろう……着替えを持ってこなかったことを思い出し、バスタオルを巻いて出るしかなかった。

 こういうのは、これから家に裕を招くことを考えると直さないといけないななんて考えたが、今日は……今日は、仕方がない。



「朱里さん、ごちそうさまです!」



 リビングで私が出てくるのを心配して待っていてくれたようで、出迎えてくれたのだが、その出迎える言葉として、どうなんだろう?ツカツカと寄って行って、ゴスッと腹に蹴りを入れてしまった。

 痛かったのだろう、腹を抱えて屈んでしまう裕。

 そのまま見下ろした先が胸だったことで、反射的にバシンと顔を叩いてしまう。

 昨日は見せようとしていたにも関わらず、いざ見られると恥ずかしすぎる。

 20代の頃ならともかく、30代に入り体型も少しづつ変わってきているのだ。

 恥ずかしくて仕方がない。



「そんな見ないでくれる?」

「昨日は、見せてくれようとしたのに……」

「昨日は昨日。今日は今日。仕事行ってくるから、大人しく待ってて。冷蔵庫のもの、適当に食べていいから!」

「待っててもいいんですか?」

「ん」



 なんとも可愛い反応をしてくれることが嬉しく、キスをする。

 ゆっくりしたい気持ちももちろんあったけど、時間を見れば仕事へ行く準備をしないと間に合わないので私は寝室へ行き、行きたくない仕事への準備をする。

 今度はきちんとドアは閉めておいた。

 30分後、私はいつもの『朱里さん』を作り上げ、仕事へ向かう。


 見送ってくれる裕が、あだ名の通り忠犬ワンコのようで、ご主人の帰りを玄関で待っているかのようだ。可愛くて仕方がなかったので、いってきますとキスだけ残して部屋から出る。



「さぁ、今日は仕事、頑張って定時で終わらせるよ!」



 意気揚々と私はマンションから気合十分に出て、仕事場へと向かうのであった。

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