翻したいスカートは、タイトスカート side朱里

 行ってきますのキスを裕にして部屋を出た。

 自分のマンションを出ただけなのに、異様なテンションの高さのままエレベーターへ乗り込む。



「おはようございます。橘さん、えらくご機嫌ですね!」

「おっはようございます!そうかな?ふふっ!崇くんは、今から学校?あと1日だから、頑張ってね!」



 エレベータで近所の高校生と一緒になった。

 たまに同じエレベータに乗ることがあると、挨拶をしてくれる優しくて礼儀正しい高校生だ。

 私は、ウキウキした足取りで、崇くんと並んで駅まで行き、別々の電車に乗り込む。

 やたら機嫌がいいのを気にしていたようだが、私はいたって普通と思い込んでおく。



 駅から会社までの道すがら、スカートを翻してスキップしたいのをグッと我慢する。

 なんたって、タイトスカートでは、翻るスカートの裾はない。



「おっはよーございまーす!」

「おはよう、朱里さん」

「おはようございます、朱里さん!」

「朱里ちゃん、えらくご機嫌ね!」

「課長、ご機嫌じゃないですよ!いつもと一緒です!」



 明らかにテンションの上がっている私を同僚たちはポカンと見ている。

 私、自分が思っている以上に裕が彼氏となったことが嬉しいのだけど、そんなに外に出ているのだろうか?

 朝から、会う人会う人に言われる。



「朱里さん、今日はどうしたの?」

「杏ちゃん!どうしたって?特に何もないよ?」

「そんなことないでしょ?やたらとテンションが高いから、皆心配してるよ?」



 周りを見渡すと、気まずそうに視線を外す面々。



「そっか、気を付けるよ!」

「まぁ、いいけどね?浮かれている朱里さんなんて、めったに見れないから。

 何かいいことがあったんなら、教えなさいよ!」



 このこのっ!っと肘でついてくるが、誰にも内緒だ。

 私の心の中にそっとしまっておいて、こっそり楽しみたい。

 私の彼氏が隣の彼なんだという事実を。


 チラッと、誰もいない席を見て、私の家で寝ているだろうことを想像する。

 それだけで、なんだかくすぐったくなった。



「杏ちゃんにも教えないよ!私だけの秘密!」

「もぅ!そういえば、世羅くんは、今日休み?朱里ちゃんのワンコは、こんな珍しい朱里さんを見れないなんて、可哀想ね?すごい、懐いているのに……」

「懐いてって……皆、そろそろ、ゆ……世羅くんに悪いわよ!いつまでもワンコなんて、言わないであげてよ!仕事もちゃんとこなしていっているんだから!」



 周りから、はいはいと生返事が返ってくる。同僚たちの意識は変わりそうにないことを少し残念に思ったが、私は少しだけ優越感に浸る。

 朱里ちゃんのワンコは、本当に私のものになったのだから。

 自然と口角もあがる。



「なになにぃ?」



 杏が目ざとく口角が上がったことを見つけ、やっぱり何かあったんだって言い始めた頃に始業チャイムが鳴った。




 ◇・◇・◇




 今日の仕事は、いつもの3倍も4倍も捗る。

 就業時間の終了を知らせるチャイムが鳴る頃、いつも山のように決裁を抱えている私であったが、4時過ぎには全部課長である湯島へ回してしまって、今は、来週提出するための決裁を作っているところだった。



「毎日こんな感じだったら、いいのにな……家に帰るとおかえりって言ってくれると……」



 私は、思わず声に出てしまっていたことに驚いた。

 誰も今のひとり言を聞いていなかったか周りを見渡したが、誰も聞いていなかったようでホッとした。



 そこで、終業のチャイムが鳴る。



「お疲れさまでした!」



 チャイムが鳴り終わると同時に、鞄を持って私は会社を飛び出した。

 裕は、私の帰りを待っていてくれるだろうか?少し心配になりつつ、スーパーに駆け込む。



 何がいいかな?裕の好物を聞いたことがないことを思い出し、困り果てる。

 とりあえず、私の好物のハンバーグでもいいかな?



 材料を手早くカゴに入れて、買い忘れがないかスーパーを歩いていると、ふと目にとまった物があった。

 箸である。



「割り箸でもいいけど……こういうの、用意するって、さすがに重いかな……?それとも、喜んでくれるかな……?」



 おずおずと商品棚にぶら下がっている男性物の箸を選び取り、買い物カゴへと入れる。

 もし、ダメだったら、そこまでだし……喜んでくれることを期待してみようと心を決めた。




 ◇・◇・◇




「ただいま!」



 部屋に入ると返事がない。

 でも、玄関には、朝と変わらずそこに男性物の靴があり、私はホッとしながらリビングへと向かう。

 すると、ソファで寝転んでいる裕を見つけた。



「ベッドで寝ていいって言ったのに……しょうのない子」



 買い物袋を置いて、ブランケットを寝室へ取りにく。

 今更ながらかけてあげると、ブランケットを握りめて丸くなる。

 その姿が、大型犬のようで可愛らしくほっぺにキスをしたのに、全く起きる気配がない。



「本当に朱里ちゃんのワンコみたい」



 そんな裕の姿をみて、クスっと笑う。

 キッチンへ向かうと、食器類も出ていないし、冷蔵庫の中もそのままで、ずっと寝ていたことがわかる。


 私の残業に、ずっと付き合ってくれていたものね……


 仕方なさげにキッチンからソファへと視線を向けた。

 私は、早速夕飯の支度を始める。裕の目が覚めたとき、食べられるように。


 例の物をビニールから出し、シールをはぎ洗う。



「これ、使ってもらえるかな……?」



 じっと箸を見つめていると、裕が起きたようで、ソファの上で飛びあがった。



「ヤバイ!寝すぎた!」

「本当よね?ずっと寝てたんだね。ベッド使っていいって言ったのに、ソファで寝ちゃうなんて……」

「朱里さん?」

「朱里さんですよぉ!」



 洗い終わった箸の水気を切っていたところで、裕からは見えないが手には握ったままだった。



「ご飯、もうすぐできるけど、食べる?」

「えっと、そこまでお世話には……」



 そっか、食べないっていう選択肢を浮かれすぎてすっかり忘れていたわと私は思い、あからさまに肩を落としてしまう。



「あ……いただきます」



 なんだか、気を遣わせてしまったようなその一言が、さらに私を落ち込ませる。

 そう思っていたら、裕の腹の鳴る音が聞こえてきた。

 ここで帰したら、せっかくの料理がもったいない。それに、裕が喜ぶ顔を見たいと思って、作った料理だ。

 一人で食べるなんて、寂しすぎて泣けてきそうだったから、渡りに船である。

 絶対、食べさせてやる!という心意気で、畳みかけていく。



「すごいお腹の音ね?」

「えっ?聞こえました?」

「うん、聞こえた!よっぽど、お腹すいているのかな?お口にあえばいいですけどねぇー」



 裕が眠っていた前のテーブルに、私が1番得意な煮込みハンバーグを置く。

 湯気が出ていて、美味しそうに見えるし、実際おいしい。

 これだけは、私は自信を持って作れる料理なのだ。



「食べてもいい?」

「いいよ!ワンコのために作ったんだから!」

「いただきます!」



 裕が食べようとしたとき、手が止まる。

 私は、ドキッとしながら、わざとらしくならないように声をかける。



「何見てるの?」



 固まってしまった裕は、目の前に揃っている食器にも気付いたのだろう。

 あれから悩んで、結局揃えることにした。

 また、一緒にこの部屋でご飯を食べたいという思いを込めて。



「あぁ、それね。気に入ってくれると嬉しいんだけど……」



 柄にもないことをすれば、ものすごく恥ずかしい。

 でも、意思表示は大事だと思ったからこその箸や食器類。

 その想いをどう受け取ってくれるのだろうか?



「僕のです?」

「僕のです。帰りに買ってきたの。さすがに……お揃いは……ね?」



 また、沈黙になる。

 覗き込んでみると、じっとそれらを見ていた。



「必要なかったかしら?」



 だんだん緊張もしてきたので、この沈黙がどういう種類のものかとても心配になったのだけど、私に向けられた表情は笑顔で、ホッとした。

 買ってきて、よかった……と心の底から安心した。

 私が、一息したと思ったら、今度は対面の裕が涙を流し始める。



「朱里さん……う……」

「あぁ、はいはい、ちょっと待ってね?」



 私は裕を引き寄せ抱きしめ、頭を撫でてやった。

 そうするだけで、とても心地よい気持ちになる。まるで、大型犬を撫でているかのようである。



「ちょっと、タオルを取りに行くのが面倒だから、服で拭いておくわ!」

「嬉しいですけど、なんていうか、いろいろありがとうございます」

「バカ!」

「はい、バカです」

「もぅ、涙は引っ込んだかしら?」

「あとちょっと……」

「変態!」



 甘えるように裕が私に体を預けてきたのだが、なんだかちょっと大胆すぎたと思うと恥ずかしくなってきて、私からくっついていったのに離れる。

 冗談なのか本気なのか、裕がバカなこと言っているのもまた愛おしい。

 さっきのお腹が鳴ったことを思い出し、温かいうちにと思いなおし作ったハンバーグを食べるように促す。



「早く食べちゃいなさい。せっかく作ったんだから……冷めちゃう!」

「いただきます!おしいですね?これ、作ったんですか?ハンバーグなんて時間かかるでしょ?」

「裕って料理しないでしょ?」

「何でです?」

「ハンバーグって意外に簡単にできるのよ!」



 とっても感動して食べているところ申し訳ないのだけど、私の好物なので手早くできる方法を習得している。

 ちゃちゃっとできることがわかっていておいしいものだからこそ、裕にも食べて欲しかったので、裕のその反応が嬉しい。



「朱里さん、うまいっすね?」

「朱里ね?」

「あ……朱里さ……朱里、ハンバーグうまいね!」

「口にあったようでよかった!」



 うまいと言って食べてくれる裕をただただ見ていたい、そんな気持ちになる。

 そんなこと考えたこともなかったのに、裕といると今まで思ったこともないことが気持ちとして湧いてきた。

 戸惑うこともあるけど、ただ、食べる姿を見ているだけで満たされていく。

 少し大きめに作ったハンバーグは、跡形もなくキレイに食べてくれた。



「朱里、明日なんだけど、どっか出かけないです?」



 ついつい食事の間中仕事の話をしてしまって、申し訳ない気持ちになると、食事の後、妙に裕がこちらを伺うようにソワソワしているのでなんだろうと思っていた。

 まさかのデートのお誘いだったことで、私は嬉しくなる。

 もっと彼女らしくしたいと思っていても、数ヶ月の上司としてが抜けないでいる私には、この申し出はありがたい。



「うん、そうだね。服も昨日のままでしょ?」

「一応、洗濯はさせてもらったよ」

「そうなの?」

「あの、ダメだった?」

「ううん、いいよ!使ってくれて大丈夫」

「で、どこに行く?」



 私は特に行きたいところもない。休日は比較的家でのんびり過ごしていることが多いのでどうしようか考える。

 今日、箸や茶碗を買って思ったが……無機質な私の部屋に私以外が使うものがあるのが、とても心地よく感じた。



「買い物だね。アウトレットよりかは、大型商業施設の方がいいかな?」

「何買うの?」

「裕のあれこれ。ここに来るなら、必要じゃない?」

「必要です……」



 いつでも来てくれるよう、この部屋に裕の物を揃えたい。

 私、いままでそんなこと思ったことなかったのに、それほど大事なんだと自分の気持ちに驚いた。

 部屋に裕の私物が置かれているのを思い浮かべる。それだけで、幸せな気持ちだ。



「朱里」

「ん?」

「僕のこと好き?」



 不安そうに私に好きかと聞く裕が愛おしくなる。

 近くにいたくなり隣に行き座り直す。隣に並ぶだけでふわふわした気持ちになったが、今から好きだというと思うと一気に体温が上がったのじゃないかと思えるほど体が熱い。

 裕に体を預け、耳元で囁く……



「好きよ」



 チラッと見ると、嬉しいと不安がいっしょくたになった顔で私を覗き込んでいる。



「僕でいいの?」

「いいから、イロイロ揃えるんでしょ?むしろ、裕より私おばさんなんだけど、いいの?」

「そんなこと聞かないでくれる?初めて会ったときからあなたの虜です」



 初めて出社してきた日のことを思い出し、笑ってしまう。

 あの日、私は裕に会って数分で告白され振ってしまったのだった。

 それが、今ではこうして隣に体を預けているわけだ、わからないものである。



「同じシャンプーの匂いがするね?」



 抱きついた裕の肩口に顔を寄せると同じシャンプーの匂いがして、なんだか不思議な気分だ。

 こんな時間がずっと続けばいいな……そんなことを考えながら、裕に体を預けた。




 ◇・◇・◇




 真っ暗な部屋で、ゴロンと転がる。

 ベッドの端には、裕がいて、もう寝たのかなって覗き込む。



「なんですか?」

「ん?もう寝たのかなって……」

「今日はたくさん寝ましたから、まだ、眠くないですよ。朱里は今日仕事だったから、眠いでしょ?」

「うん、少し……でも、眠るのはもったいない気がして……隣に裕がいるんだもん」



 裕はコロンと転がりこちらに向きを変える。



「心配しなくても、どこにもいきませんから、ゆっくり休んでください。明日は、初めてのデートですからね!」

「うん、そうだね……」

「行きたくないですか?」

「ううん……違うの」

「じゃあ、どうしたの?」

「ずっと、隣にいてくれたら、いいのになって思って」



 ぼんやりしか見えない裕は、優しく笑ったように思う。

 すると、腕が伸びてきてすっぽり収まる。



「ずっと、側にいますよ!朱里さんが嫌って言うまで……」

「じゃあ、いっそのこと、一緒に住む?」



 背中から驚いていることが伝わってきた。



「展開が早すぎません?」

「嫌?」

「嫌じゃないですし、ありがたい申し出ですけど……」

「アパート暮らしでしょ?なら……」

「厄介にばっかりなるのは申し訳ないですから、明日一日考えさせてください。今日は、もう眠って。朝、起きるまで抱きしめているから……」



 頷くと私はゆっくり眠りにつく。

 背中から伝わる温かな体温に気持ちも優しくなっていくのだった。

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