手遅れだ side朱里

 私の隣のデスクに新人が来て、早2ヶ月。

 OJTも順調に進んでいて、私の出す課題も難なくこなしていく隣の男の子が、入ってきたときに比べ、頼もしくなってきた。

 元々大手に入れるだけの実力はあるのだ。器用貧乏というのか……何でも出来てしまい、先回りで準備してくれているのがとてもありがたい。


 最近では、私の残業に付き合ってくれ、残っている日が多くなってきている。

 まだ、この会社に来て2ヶ月なのだ。私に気を遣う必要はないと言ってあるにも関わらず、頻繁に資料整理などを手伝ってくれて助かっていた。



「しーんじん!」

「わっ!あんさん……ビックリするじゃないですか?」



 最近は、こうやって私以外の社員にも可愛がられているのか、よく、楽しそうに話をしているのを見かけるようになった。

 今日は、杏に捕まったようで、隣を盗み見るとあわあわしている。



「朱里さん、今日、新人借りて行ってもいいかな?」



 私に聞くけど……世羅くんは、私の所有物でもなんでもない。ただの上司でただの部下である。

 朱里ちゃんのワンコと名付けられているが……迷惑でないのだろうか?


 なんだか、今日は話すのも億劫で、杏と彼にニコッと笑いかけるだけにした。わざわざ私に聞かなくても、世羅くんの手がすいてたら私の許可を取る必要もない。



「ほら、新人、行くよ!」



 杏に引っ張り出されていく世羅くんが私に助けを求めてくる。

 でも、ここで行くなというのも変な話であるし、もっと、職場内の他の社員とも交流を持てるチャンスなのだ。私にばかりかまけてなくても……いいのだから。



「あ……朱里さん!」

「ん?」

「あの……」

「行ってらっしゃい!」



 杏に引きずられていく彼を見ていると、なんだかもやもやした気持ちになってくる。

 見たくなくて視線を落とすと、椅子にジャケットがかかっていたので彼へ腹いせに投げてやる。

 まだ、何か言いたげにこちらを見ていたので、しっしっ!としてやった。

 すると、幾分か気分も軽くなる。ただ、その私の態度をみて、寂しそうな顔になっていて申し訳なくもなった。

 彼のちょっとした表情で、私の心も曇ってしまう。

 今は、あんなことをして、絶賛後悔をしているところだ。



「あらあら、朱里さんに振られちゃったね、新人。まぁ、お姉さんが、そのぶん可愛がってあげるから、ついてらっしゃい!」



 杏のいいようにも、勝ち誇った顔にもカチンとした。

 だから、もう、そっちを見ないようにして、私は何も言わず自分の仕事にすごすごと戻る。

 椅子に座ってふぅっと息を吐くと、今までのもやもやしたものが全て出て行った。


 ん?何か鳴ってない?


 隣のデスクを見ると、スマホが置いてあった。

 まだ、この辺にいるなら……と思い、私は彼のスマホを持って席を立つ。

 また、杏と仲良さげにしているのを見るのは嫌だけど……なくては困るものだからと言い聞かせ、急いで追いかける。


 ドアを開くと大量の荷物を前に、一人で途方に暮れていた。


 全く……杏ちゃんは、これを世羅くんに全部押し付けて、自分は何もしないつもりかしら?



「これ、忘れてたよ!持って行かないと困るでしょ?」



 まずは、スマホを手渡すと、ありがとうございます!と喜んでいる。

 現代人だ、スマホがないと落ち着かないっていう人も多い。

 彼がそうだとは言えないけど、さっきも何かメッセージが来ていたようだし、ないと不便だから、渡せてよかった。

 それよりだ……この状況は、どうしたものだろう。



「杏ちゃんには困ったね……この量はさすがに、世羅くん一人で持てるわけないじゃない。ちょっと待ってて、台車持ってくるから!私も一緒にいくわ!

 でも、私が一緒について行ったことは、杏ちゃんには内緒だからね!!」



 杏には内緒としーっと人差し指を口元に持っていってジェスチャーをすると、そんな私を見てうんうんと頷く。

 なんだか、悪いことをするみたいで、少しドキドキした。

 台車を借りてくると、その場から逃げるように借りにいく。

 その間に、そわそわした私を落ち着かせる。


 最近の私、どうしたんだろうか?


 台車を持ってきて、二人で指定された場所まで持っていき、私はすぐに帰ることにした。

 さすがに杏に手伝ったことがわかると……気まずい。

 今、わりと微妙な関係でもあるのだから、あてつけがましいと言われるのがおちだろう。

 でも、私と杏との間のことに、彼を巻き込むのは申し訳ないので、頑張ってね!と言葉を残して……帰ることにした。


 ふとエレベータに乗ったとき、ファイト!という意味を込めて小さくガッツポーズをする。こんな子どもじみたことを何故かしたくなった。

 驚いたような顔をしていたが、彼がニコリと笑うのが見えた。それだけで、ほっこりしてしまうのである。


 私……毒されたのかしら?


 閉まるエレベータの扉を見つめ、考えながら部屋に帰った。



 ◆・◆・◆



「朱里さん、3番に電話です!」

「はーい!ありがとう!」



 電話口に出ると、いつもお世話になっている顧客からの電話だった。



「朱里ちゃん……」

「どうかされましたか?」

「いや、こんなこと言いにくいんだけどね?今日、杏ちゃんがきてね……」



 ここからは、苦情の嵐であった。

 それも、1件や2件でなく……7件もだ。最後なんて、大目玉を食らってしまった。

 電話口で平謝りを続けること4時間……一体、杏は何をしてくれたんだという怒りがわいてくるが、仕方がなかった。焦っているんだなというのも薄々気付いていたからだ。


 今電話をくれたのは、杏が育休前に私に引継ぎをした顧客ばかりであった。

 1年間、叱られることもあったけど、良好な関係を築き上げてきて、そろそろ、彼に引継ぎをしていこうかと悩んでいたばかりのところで、今日の出来事だ。



「……最悪」



 思わず、声に出てしまっていた。

 とりあえず、苦情報告しないわけにいかないので、課長の湯島に報告しに行く。



「朱里ちゃんの言い分もわかったよ。まぁ、杏ちゃんもね……育休復帰したばっかりだから、時間も限られているし、もっと周りを信頼してくれるといいんだけどね?僕からやんわり言っておくよ!そうそう、世羅くんなんだけどさ?」

「はい」

「朱里ちゃんのおかげで、うまく馴染めてよかったよ!仕事も頑張っているみたいだし、この間、決裁見たけど、よく書けてたよ!朱里ちゃんに任せてよかった、この調子で面倒見てあげて!」

「はい、それはもちろんです」



 話は終わりと、湯島の前からデスクに帰ってしばらく、私は自分の仕事を進める。

 さっきまで、苦情対応をしていたわけだが、湯島に話したことで少し気持ちも整理できた。

 世羅くんのことで褒められたんだ。嬉しかった。

 あぁ、彼の役にたっているんだと……変な気持ちではあるが、自分が育てている新人が褒められると、嬉しい。

 今回は、特に嬉しかった。



「おかえり!」



 帰ってきた二人に声をかけると、私は杏に無視をされ、世羅くんまで、連れていかれてしまった。

 今日の話を聞こうと思っていたのにだ……


 せっかく課長から嬉しい言葉をもらったばかりなのに、二人の後姿を見送って、また、もやもやとしてくるのだった。



 ◆・◆・◆



 30分したころ、別の同僚が外勤から帰ってきた。鞄をデスクに置いて、私の方へ歩いてくる。何か報告でもあるんだろうか?と身構えていると、ちょっと困ったような顔を向けてきた。



「外勤、おつかれさま、浮かない顔してるけど、どうかしたの?」

「ありがとうございます。あの……こんなこと言っていいのかわからないけど、さっき、朱里ちゃんのワンコが、その、杏さんに罵倒されてて、可哀想だったか……」

「ありがとう!どこ!」



 私は、最後まで聞かずに立ち上がって、駆け始める。



「朱里ちゃん!駐車場の奥の人気がないところ!」

「わかった!ありがとう!」



 とにかく、走った。エレベーターが地下につくのが異様に長く感じる。

 早く、早く!早く!!


 世羅くんが何かという心配は、全くない。

 寧ろ、今は、杏の方が、気持ち的に追い込まれているのだろう。

 帰ってきた顔を見れば、わかる。


 チンとエレベータが地下に着き、扉が開くのももどかしく半開きの状態から体を挟んで出ていく。


 いた!



「あ……」

「杏ちゃん、世羅くんはここにいるのかな?」



 私は、彼を呼びに来たという体で、ひこっと顔を出した。

 明らかに、私のことをよく思っていない顔をしている杏。ここで、怯むわけにもいかない。

 チームリーダになったのだから、こういうことも解決する必要がある。



「世羅くん、課長が呼んでるから先に帰りなさい!」

「でも……」

「でももへったくれもありません。業務命令!」

「朱里さん!今、私が新人と話して……」



 私への当てつけを世羅くんにしていることに、無性に腹が立った。

 みんなが見えるところで彼を責めれば、庇いようがあるのに、こんな誰も来ないようなところで言うことではないだろう。

 それは、成長へ繋がる教えではなく、ただの八つ当たりである。

 杏を私ができる限り怒りをもって睨みつけた。



「世羅くん、すぐに行きなさい!」

「はい、では、お先に失礼します……課長のところへ行けばいいんですね!」

「うん、そう!」



 嘘を言ったわけではあるが、まぁ、たいしたことではない。

 私の指示が間違っていたとすればいいだけの話なので、とりあえず避難させる。



「杏ちゃん、今のは何?」

「何って、指導よ?」

「こんなの指導っていわないわ!ただのいじめよね?」

「いじめですって?」



 杏も私を睨み返してくる。それはいいのだ、私に感情をぶつけてくるには……何の問題もない。関係のない顧客や世羅くんを巻き込むことがダメなのだ。



「そう、いじめね。杏ちゃん、今日、何件回ったか私は知らないけど、7件苦情がきたわよ!私をチームリーダから、引きずり下ろしたいのは構わない。

 元々、杏ちゃんがなることが決まっていたのだもの、受けてたつわ!

 ただし、今日のやり方は間違っているし、世羅くんを巻き込むのは、もっと間違ってる!」

「間違ってる?チームリーダになったからって、いい気にならないでよ!私だって……」

「杏ちゃんは、チームリーダになれるわよ!それだけの実力があるのだもの。

 でも、今は、焦る時期じゃないんじゃない?

 子育てもして家事もして仕事もしてって……杏ちゃんいつか壊れてしまうわ。もう少し、子育てが落ち着くまでは、私たちにも任せてくれていいと思うのだけど?杏ちゃん、私たちチームなんだから……みんなそれぞれ事情は抱えてる。補えるような職場を私は目指しているんだから、杏ちゃんもそんな私のチームの輪の中に入ってよ?」



 それ以降、杏は何も話さなくなってしまう。

 仕方がないので、私は、部屋に帰ろうと提案するのであった。



 ◆・◆・◆



「あ……朱里さん!」

「世羅くん、どうしたの?」

「課長が、打ち合わせ行くからって伝言……」



 私が嘘を言ったのがバレたのだろう。ただ、後ろの杏を見て、話を変えてくれた。本当に損な役回りね、なんて、心の中で苦笑いしてしまう。



「あの……大丈夫でしたか……?」

「ん?何が?」

「いえ……」

「あっ!そうだ、頼みたい仕事があるんだけど、やってくれる?って、もう定時じゃん!」

「やります!残ります!」

「いいの?残業……?」

「家に帰っても一人なんで、誰かと居れて仕事も出来て残業代もつくなら、いいんじゃないですか?」

「でも、程々にしてよね……私の評価に響く……」



 私は、ちょっと拗ねたように彼の腕をバシンと叩き、仕事に戻ろうと声をかける。今晩は、私の一人占めだと思うと心が軽くなる。

 ん?一人占め?何を言っているのだろう。私……と、考えていると後ろについてきていたはずの人物たちがいなかった。


 まぁ、もう大丈夫だろうと思い、デスクに戻る。



 ◆・◆・◆



 残業の時間になり、一人、また一人と帰宅する。

 気付いたときには、いつものようにただっ広い部屋に二人きりだ。

 今日は、苦情処理やらなんやらで疲れた。


 はぁ……と体中から息を全て吐き出すようにため息をついて、机につっぷする。チラッと隣を盗み見ると、私が渡した資料を見ながら、何事か入力しているのか、キーボードが小気味よくカタカタと鳴っている。


 何か言うわけでもなく、ただ、見つめる。


 私……好きなのかな?5つも年下だよね?私、初日に告白されたんだった……あれ以来何も言われてないけど……まだ、私のこと好きだったりする?


 心の中でもやもやっとしながらブツブツ呟く。



「朱里さん」



 急に呼びかけられて驚いた。



「はひ!」

「はひって……あっ!ダレてる。もう疲れましたか?帰ります?」

「あぁ……ううん、ちょっと考え事。で、どうしたの?」



 椅子を滑らせて、間近まで来る。

 それまで見つめていたので、急に近くにきたように錯覚して驚いて立ち上がり、椅子がガタッと後ろに倒れる。



「朱里さん、大丈夫です?」

「う……うん、ごめん」



 倒した椅子を元に戻してくれた。

 今は、そっちを向けない……顔が、あっつい。きっと真っ赤なんじゃないかと鏡を見なくてもわかる。



「そ……それで、どうしたの?」

「なんか、調子悪そうだし、結構いい時間になってきたから今日は帰りましょう!明日、教えてください!」



 片付け始める彼を見ながら、ふぅと息を吐く。



「そうだね……遅くまで仕事しても生産率上がるわけでもないし、帰ろうか」



 私たちは、机の上の書類を片付け、家路につくことにした。


 今日はイロイロあった。明日もイロイロあるんだろうな……


 駅に着き、スーツ姿の彼の後姿を目で追いながら、お疲れと呟く。

 聞こえていたのかわからないが、振り返って手を振っていく彼。

 それだけで、今日のゴタゴタしたことがスッとんでいくぐらい幸福な気分になった。



 あぁ……手遅れだ。

 恋に落ちちゃったみたいだよ……私は、彼を見送りため息をつくのである。

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