第23話 最終階層 その3
サイド:戦乙女(ヴァルキリー)
ニブルヘイム。
ここは死者の国であり、神々の戦い――ラグナロクの前哨戦が行われる土地となります。
私の仕事は迷宮で選別した魂を運び、神の尖兵としてここに送り込むこととなっているのです。
ヘル、アヌビス、閻魔といった冥界の神々の治める土地を、アポロン、ラー、天照といった太陽の神々が侵略するような光景が繰り広げられる戦争……。
そうなのです。
これは古今東西のあらゆる神々による最終戦争となります。
はたして、究極といって差し支えのない次元の戦場において、私が連れてきた人間の勇者が、どれほどの役に立つというのでしょう。
と、憂鬱な気分で……前線に戦士の魂を届けるという仕事を終えた私は、迷宮への帰り道につきました。
――時は黄昏時。
帰り道、私は丘の上の岩に腰かけている一人の美丈夫を発見しました。
「あれは確か……」
私は丘を登り、瞑想中の男に声をかけます。
「人の身のままで神を一柱……屠ったと聞きましたよ。望み通りに強い者には出会えたでしょう?」
「ええ。確かにここの神々はあの迷宮とは次元が違う。しかし、私は思うのです」
「思う……とは?」
「神々は生まれながらに持っている力を、赤子のように振り回すだけなのです」
「……?」
「私のやっていることは、ただの暴力を武で制しているだけです。神々は……強者ではあるが決して武人ではありません」
「何が言いたいのです?」
「はは、聞き流してください。私の贅沢が過ぎるだけでしょうから。ところで……戦乙女(ヴァルキリー)?」
「何でしょうか?」
「夕暮れに染まった貴方も良いものですね。とても美しい」
「……本当に変な人ですね貴方は」
「貴方がここにいるだけで、ここが冥界ということを忘れてしまいます。さながら貴方は……地獄に咲く一輪の花です。美の神という存在にもいずれ出会いそうですが、存外――既に私は貴方という美の神に出会っているのかもしれない」
「美の神とは畏れが多い。私は死神の半神と侮蔑されるような存在です」
「死神ですか。それもまた良しですよ」
「と、おっしゃいますと?」
「恐ろしいものにこそ人は惹かれるものです。そうであれば、私が貴方に心を奪われたのもまた必然なのかもしれませんね」
「……半神を相手にナンパですか。本当の本当に……変な人ですね」
「しかし、貴方は初めてでしょう?」
「何がでしょうか?」
「口説かれるという経験が……ですよ」
そうして――。
事実として、産まれて初めて口説かれ続けた私が、彼に恋をするのにそれほどに時間はかかりませんでした。
「迷宮に戻りたい?」
夕暮れ時。
逢瀬を重ねたいつもの丘で、私は素っ頓狂な声をあげました。
「無茶を言って申し訳ありません。ですが……予感がするのです」
「予感?」
「あの迷宮に……とんでもない力量を持った人間があらわれる。これは武人としての私の勘ですが……間違いありません」
「ふーむ……。非常に難しいですね。厳密に言えば、貴方は今は魂だけの存在となります。肉の体は既にあの迷宮で腐り落ちて捨て去られていますし……」
「私の望みは強者と出会う事。それはかないました。けれど私は気づいたのです。本当は私は――磨き上げた武と武。武術という理を通して相手と戦いを通じて語り合いたいのだ……と」
その言葉で私は小さく頷きました。
彼の言葉は確かにワガママですが、真摯な彼の表情を見ていると……私自身がその願いをかなえてあげたくなってしまったのです。
力への意思、そして、力の比べ合いへの執着。
――本当に子どもの頃からこの人は何も変わらないのだろうな
いえ、男という人種自体が女の私には理解ができないのかもしれません。
誰が強い、誰が弱い、俺はこんなに強い、いやいや俺の方がもっと強い。
挙句の果てには、比べっこをする相手がいなくて……とても寂しい。
本当に何から何まで子供なのでしょうが、それでも――それを可愛いと思ってしまったからには仕方ありません。
「善処してみましょう」
そうして、私は魔神の迷宮を直轄する神のもとに向かったのでした。
クリスタルで作られた宮殿。
透明な床や壁は赤絨毯と豪奢な調度品で彩られ、幻想的な美しさを誇る宮殿となります。
――ぶっちゃけ、生活しにくいと思います
何から何もが透明なのでプライバシーも何もあったものでもありません。
私なら、ここに住めと言われれば全力でノーサンキューでしょう。
と、それはさておき、玉座の間で私の説明を受けたオーディン様は小さく頷きました。
「良かろう。彼の地の勇者を一名……迷宮に戻すと言うのだな?」
「本当によろしいので? オーディン様?」
「しかし、神が色恋沙汰か……」
そういう感情が今回の陳情につながっているのも事実なので、こちらとしては何も言い返すことはできません。
私はオーディン様の言葉に、ただただ畏れ、そして縮こまることしかできません。
「まあ良い。それでは肉の体は我が復元しておこう」
「私の神としての超常の技は……人の魂を導き、神界と人界の行き来をすることしかありませんので……感謝します」
「それでは明日……迷宮の最深層であるここに、菩薩とやらの魂を連れて来るが良い」
そうして翌日。
言われた通りに私は彼の魂を迷宮に戻し、そしてオーディン様が用意した彼の肉体に魂を移しました。
すると――
「グギュ……オ、オ……オデ……タベタ……タベタイ……ノウミソタベタイ……ナイゾウタベダィ……」
美しいと形容してよかったほどの、彼の美貌は瞬時に消え失せました。
変わりに、彼の目は瞬時に血走り、口からは涎を止めどなく垂らし始めました。
「……これはどういうことなのでしょうか?」
オーディン様に尋ねると、堪えきれない笑いと共にこうおっしゃりました。
「人間が黄泉より戻る。その意味を知らぬ訳ではあるまい?」
「……え?」
「神の法理すらも捻じ曲げる行為だ。歪みは当然に生じるよ。理性を司る脳の部位損傷で済んでむしろ僥倖だと思うがよい」
「そんな……」
私は力無く、その場で崩れ落ちました。
「まあ、私の力を全力で使えば完全な状態での復元もできたがね。ああ、それとな戦乙女(ヴァルキリー)? お前は魔神の遣いとしての自覚が足りぬな。半神とはいえ貴様の実力は中位魔神に匹敵するのだぞ?」
「……」
オーディン様の言葉が何も頭に入ってきません。
私は、私は……何ということをしてしまったのだ……と、慄きます。
恋は盲目とはよく言ったものですが、この悪趣味な迷宮を管轄する神々が……半神でしかない私の願いをまともに聞き届けるはずもありません。
そんなことは少し考えれば分かることなのに……。
「いや、未熟が故の半神か。ともかく、人間に心を奪われるなど神格に対する冒涜とも言える重罪だ。10万年のコキュートスでの幽閉を命ずる」
そうしてオーディン様は加虐的な笑みと共にこうおっしゃりました。
「その階層ではお前は人間以下の扱いを受ける。下賤なる人間に蹂躙されながら、己が行いを猛省するがよい」
サイド:セオ
「と、そういった事情でございます」
「今の話は本当か?」
ふーっと俺は深くため息をついた。
「はい。私の力ではオーディン様に抗うことはできず……」
「一つ尋ねたい。何故にお前は合気が使える?」
「護身術代わりに……とね。結局は彼が私に残した……ただ一つのものとなりました」
俺は拳を作り、戦乙女の左胸をコツリと叩いた。
「なるほどな。どうやら菩薩の意思はお前のココに残っているようだな」
そうして俺はニコリと微笑を浮かべた。
「なら、ここから先は選手交代だ」
「選手……交代ですか?」
「次の階層が最終階層。俺はそこで最後の仕事をしようと思う」
「仕事……とは?」
「強敵(とも)への手向けだよ――そして全てが終わった後は、神々の戦場への案内を頼んだぞ」
「なるほど。似たもの同士なのですね」
「いいや、俺は武と武でぶつかり合いたいとは言わん。それが武でなくとも力は力だ。俺は暴力であろうが武であろうが――強い奴に会いたいだけだ」
俺がそう言うと、戦乙女は呆れたように……けれど確かに笑ったのだった。
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