第12話 奈落の底のコロシアム その3
「貴方に何が分かるんです? 後、僕は少年じゃない……名前がある! アベルという名前がっ!」
「ならばこちらも名乗ろうか。俺はセオ……セオ=ピアースだ」
「セオさん……でよろしいのでしょうか?」
「ああ、それで良い。で、君はどうして鍛えていないのだ? 明日は生き死にを賭けた試合……いや、死合いなのだろう?」
「僕は僕なりに決意して……残された時間を……妹と一緒に大事に過ごしていこうと……それこそ一瞬一瞬を大事にして生きていこうと……」
そこでセオさんは肩をすくめて笑った。
「その結果が君は無様に何もできずに死んで、妹はオークに陵辱されると言うのか?」
「でも、それはこの街で決められた運命で――っ! 僕は運命に流されるしかない弱者で――」
僕の言葉で更にセオさんは笑った。
僕を見下した嘲笑を――隠しもせずに。
「運命は流されるモノではない」
セオさんは押し黙った。
そして大きく大きく息を吸い込んでセオさんはこう言ったのだ。
「――勝ち取るモノだ」
あまりの正論に僕はその場で押し黙ることしかできない。
けど、そんなの……できることと、できないことがあるのは明白だ。
正論は時として暴論となる場合がある。それは正に今のこの瞬間のことだろう。
「まるで、家畜だな」
「家畜……?」
「少なくとも、俺は君を人間だとは認めない。やりもしない前から無理だと決め付けるような腰抜けにはな」
「じゃあ、どうすれば良いって言うんですかっ!?」
「まあ、せっかくの準備期間……その半年を無為にすごしたんだ。まともにやって勝つことは無理だろう」
「無為にって……僕は僕の考えがあって……っ!」
「負け犬の言葉を聴く耳はない。だが――せめて死ぬ前に全ての理不尽に一発入れてみる気にはならないか? それができるなら、俺は君の話に耳を貸そう……いや、同じ人間として尊厳を持って接しよう」
「理不尽に……一発?」
そうしてセオさんは小さく頷いた。
「一発も殴り返さずに、ただ為されるがままというのでは兄として格好もつかんだろう。一撃の入れ方を教えてやる」
「殴り方……?」
「目に焼き付けておけ」
そうしてセオさんは仁王立ちになって、右拳を前方に突き出して――
「それは……?」
この打撃はまさか……と僕は息を呑んだ。
「このコロシアムで行われる対戦での装備は全て同じようだな。明日の対戦相手の装備が同じなら……この一撃が入れば勝てる可能性がある」
「確かに、この攻撃なら……でも……それ以前に一撃が入るとは思えない」
「弱者には弱者の攻め方がある。魔人のゲームのルールはちゃんと君にも適応されている。頭を使って考えれば勝ちの目はちゃんと用意されているぞ?」
「……」
「お前の対戦相手を見させてもらったが、絶対的優位にある時、アレは必ず油断する。そして、試合のルールを確認し、死ぬ気で頭を使え」
「……」
「隙はある。穴があるなら……そこを突け」
そうしてセオさんは後ろ手を振って去っていったのだった。
――そして翌日。
「はは、これは楽な試合をさせてもらえそうだぜ」
円形闘技場は満席で、客席の最前列には妹の姿が見える。
相手はワーウルフで筋骨隆々。2メートルに迫らんばかりの背丈で……しかも、このコロシアムで20年近くも王座に君臨している。
やはり、まともにやっては僕に勝ち目がないのは明白だ。
「ええ、どうやっても僕は貴方には勝てない」
そうして僕は試合開始前というのにその場に剣を投げ捨てた。
「はは、試合開始前というのに……もう諦めたのか?」
「父は変に抵抗したせいで、綺麗に死なせてもらえなかったですからね」
「ああ、アレはケッサクだったな。付け焼刃の訓練で……俺に通用すると本気で思ってたんだろうな」
「あれから貴方はここで無敗であり続けた」
「そのとおりだ。しかし、テメエは一つ勘違いをしているな」
「勘違い?」
ワーウルフは剣を抜き、舌を刃に這わせながらこう言った。
「相手が無抵抗だろうがなんだろうが……俺はとことんまで痛めつけるぜ? 雑魚相手の楽勝試合での遊びなんて滅多にできねえからな」
と、そこで――試合開始のドラが鳴った。
「さあ、どこから切り落としてほしい? 最後はオークに食われるにしても、その前に四肢を切り落とさねえとな?」
「くっ……」
僕は闘技台の中を走り回り、不恰好に逃げ回る。
「はははっ! 鬼ゴッコってやつかっ!」
ワーウルフが僕を追ってくる。
と、僕は闘技場の隅に追いやられた。
――客席はすぐ近くで、興奮の絶頂となっている大歓声が肺の奥にまで響いていくる
「これで終わりだな。逃げ回れないようにまずは足を落とすか」
と、僕はそこで力の限りに大声で叫んだ。
「今だっ!」
ビュオンと風切り音と同時に――客席からボウガンの矢がワーウルフに向けて飛んできた。
「なっ!?」
ワーウルフの視線の先……数メートルのところには妹がいた。
「この試合は特別ルール……客席からの攻撃を禁止する文言はないっ!」
驚いた表情のまま、ワーウルフが剣を一閃。
続くボウガンの矢を切り落としたワーウルフは冷や汗と共にこう言った。
「タネが割れれば問題ねえ。警戒してれば俺に死角はない。しかし……まさか妹を使うとは……まあ、中々良い線いっていたが……俺も闘技場の王者でな。この程度では死なねえよ」
僕は懐から袋を取り出し、そのままワーウルフに投げつけると同時に距離を詰める。
「でしょうね」
「なっ!?」
トウガラシの粉末をモロに顔面に食らったワーウルフは一瞬だけ――ほんの一瞬だけ瞼を閉じた。
そして、その一瞬があれば十分だ。
ワーウルフに詰め寄った僕は右手を突き出して――
――グギュリという嫌な感触とともに、ワーウルフの股間を握りつぶした。
「ギャッ! ギャッ! ギャアアアアアッ!」
この円形闘技場では上半身の軽鎧と、下半身を守るのは腰と腿当て程度となっている。
基本は剣を前提にされている装備で、素手による金的は完全にノーマークだったのだ。
「きたねえ……きたねえぞっ!」
そう、僕は最初からまともに勝負をするつもりなんてなかった。
まず、剣を捨てて相手を油断させるところから始まった。
次に、抵抗を一切せずに逃げて更に油断させた上でのボウガンの一撃。
そこからのトウガラシの粉末からの、金的狙い。
――正に弱者の戦法だな
自嘲気味に笑い、僕はワーウルフが取り落とした剣を手に取った。
そのまま悶絶して動けないワーウルフに歩みよる。
グチャリと、首筋の動脈を切って、そのまま胴体に軽鎧のスキマから剣を突き刺した。
噴水のように血液が溢れ流れる。
しばらくしてワーウルフは動かなくなった。
シンと静まり返った闘技場内。
僕は誰からの祝福の歓声も受けないままに、ただ妹に向かって笑顔とともに右手を突き上げた。
そうして静まり返った闘技場にパチパチと拍手の音が鳴り響いた。
その音はたった一人によるもので、観客席によるものでも、妹によるものでもない。
つまりは――
「いやあ、素晴らしいファイトだったよ」
黒スーツに黒ネクタイ。
そして僕と同じく線の細い少年だ。
「魔人……様?」
「ここまでの大金星――200年で一番のベストバウトじゃないかな?」
「特別ルールだったからですよ。闘技場は普段は細かくルールが定められている。が、今回はエキシビションマッチとういうことでルールはゆるゆる……観客席からの攻撃も持ち込みの武器も認められている」
「正確に言えば、ルールを確認せずに普段と同じと思っていたワーウルフの油断だね。まあ、ともかく……素晴らしかった」
そうして僕は安堵のため息をついた。
これで終わる……これで僕と妹は解放されたんだ……と。
「さあ、それじゃあ引き続きもう一試合いってみようか?」
「え……?」
引きつった僕の表情を見て、魔人様は楽しげに笑った。
「確かに観客席からの攻撃も、粉末の持込みもアリだ。ルールで禁じられてないからね」
「そのとおりですが……」
「でも、それを言うならさ? ルール上さ……君が闘うのは一人だけとは言ってないよね?」
「あ……」
「安心して良いよ。相手はさっきの亜人よりは弱い。ここの闘技場の2番手の実力者さ。王者を倒した君からすれば取るに足りない相手のはずだ」
その言葉で僕は床に膝を突いた。
同時に視界が絶望に染まり、だんだんとボヤけていくのがわかる。
「あらら? 絶望の表情でどうしたんだい? まあ、僕も鬼じゃないからね。これに勝てば終わりだと約束してあげるよ。あの方々が見ている関係上、勝率ゼロ%というのはやはり不味いからね」
「なんと……なんという無法なんだ……」
「そっちの方が、人間の絶望を提供するエンターテインメントとして盛り上がるんだから仕方ない。ま、諦めてよ」
と、その時、僕の肩がポンと叩かれた。
振り向くとそこには――
「セオ……さん?」
と、そこで魔人が少し驚いたような口調でこう言った。
「キミは何者……? 僕に気づかれずにいつの間に?」
「お前とは話をしていない。俺は今……小さな勇者……アベルと話をしているんだ」
「勇者? 僕が? セオさんは昨日は僕を人間だとは認めないって……」
「弱者の戦法……素晴らしかったぞ。それに……人は弱くても良いんだ」
「どういう……こと?」
「心の芯に強くありたい気持ちがあれば、強者に歯向かう心があれば人は皆勇者だ。俺にもまた弱い時はあった。そして俺もお前と同じく強くありたいと願った。その意味では俺とお前は同じ気持ちを持った仲間なんだよ」
だから――とセオさんは大きく頷いた。
「――選手交代だ。ここから先は俺が引き受けよう」
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