第7話 ゴブリンチェス 前編

 白髪に白チョビ髭に黒スーツに蝶ネクタイ。

 これほどに執事と言う言葉が似あう男はいないだろう。


 そして、その男が立っている――その室内の床には8×8マスの正方形が描かれていた。


 それぞれのマス目は3メートル四方で、その部屋はちょっとしたテニスコート程度の大きさがあった。


「チェスでございますよ」


 執事風の老人はテーブルに座る女聖騎士のコップに、ハーブティーを注ぎながらそう言った。


「……チェス?」


「お客様はお一人様のようで都合もよろしいですね」


 満足げに頷く男に女聖騎士は舌打ちと共にこう言った。


「貴様らのくだらぬゲームに付き合わされ、聖教会最強と名高き……我らがアイリス聖騎士団は全滅したからな。残るは私だけという有様だ」


「しかし、貴方様は生き残られているではありませんか」


「……それでチェスとは? 今度はどのような悪趣味なゲームをするつもりなのだ?」


「ハーブティーには口をつけられないので?」


「貴様らの出すモノなど信用できるか」


「ふふ……毒殺のようなくだらないことで殺すとでも?」


「今まで後出しで卑劣な手段をしてきた癖によくぞ……そのような言葉を吐けたものだな?」


「ゲームの前に生贄を殺す馬鹿がどこにいるというのです?」


「生贄……か。まあ好きに言えばいい。私は最後まで諦めない。で、チェスとは?」


「ハーブティーもお気に召さないようですので不要物は消しましょうか。席から立たれてもよろしいでしょうか?」


 女聖騎士が立ち上がると、執事はパチリと指を鳴らした。


 するとテーブルの上の茶器類と、そして椅子が音もなく消失する。

 その様子を見ていた女聖騎士は見る間に顔を青ざめさせていく。


「いや、今更……物を出したり引っ込めたりに驚いても仕方ないか。貴様らの人智を超越した業の数々は既に知っていることだしな」


「ルールは簡単でございます」


 そういうと執事は懐から砂時計を取り出した。

 そのままテーブルにコトリと二つの砂時計を置いた。


「ただいまをもって計測を開始します。制限時間……いや、持ち時間は1時間」


「チェスの熟考時間か?」


 サラサラと二つの砂時計の上方から下方に向けて流れる砂を、女騎士は食い入るように眺める。


「そのように考えて貰ってもよろしいでしょう。それではルール詳細ですね」



・ゴブリンチェス

1 基本ルール、例えば駒の移動可能区域等は通常のチェスと同様

2 持ち時間がなくなれば負け

3 どのような形でも勝敗が決定するまでに生き残っていれば勝ち



「ゴブリンチェス……だと?」


 パチリと執事が指を鳴らすと、突如として武装したゴブリンが現れた。

 それぞれが兵士(ポーン)や僧正(ビショップ)を模した武装であり、数も敵味方でチェスの駒のそれと同じだ。


「ゴブリンたちは生きたチェスの駒とお考え下さい。相手のいるマス目に自軍のゴブリンが辿り着けば、それぞれのゴブリンに持たせた強力な武器で一撃の下に屠り去るでしょう」


「なるほど。そしてそれぞれのキングは貴様と私ということか。ありのままの人間とゴブリンを駒に見立てて、戦場をこの場に作るのだな」


「ご名答。それでは貴方がゲームスタートだと言えばチェスのスタートです」


 サラサラと流れ落ちる砂を見て、女騎士は小さく頷いた。


「受けて立とう。ゲーム開始だ」


 ニヤリと笑う女騎士に執事は小首を傾げながらこう言った。


「えらく自信満々ですね?」


「ああ、私は生まれてこの方――チェスというゲームで負けたことはない」


 その言葉を受け、執事がクスリと笑った。


「自分の負けが確定していることに気付かないなんて愚かですね」


「負けが確定? チェスに自信があるようだが、私は聖教会主催のチェス大会で12連覇だぞ?」


「これは楽しみですね」


 そうしてゴブリンチェスが始まったのだった。






 ゲーム開始10分。


 通常のチェスと同じく、マス目に攻め込まれたゴブリンたちは死んでいく。

 ただし、通常のチェスとは違い――汚い悲鳴と共に。

 女騎士のチェスの腕は確かなようで、ほとんどノータイムで次々とゴブリンたちを盤面で動かしていく。


 そして、53手目で女騎士は大きく頷いた。 


「多少はチェスの腕が立つようだが相手が悪かったな! チェックメイトだっ!」


 女騎士陣営のゴブリンの兵士(ポーン)が、執事陣営のゴブリンの騎士(ナイト)のマス目に乗り込んで切りかかる。


「ギイっ!」


 首を刎ねられると共にゴブリンの騎士(ナイト)は断末魔をあげた。


「チェックメイト?」


 そこで執事は不思議そうに小首を傾げた。


「貴様のターンで……どのような手段を取ろうともキングは詰みだっ!」


「いえ、まだ終わっていませんよ?」


「……え?」


 そうして執事は自軍のゴブリンに命じて動かし、女騎士の陣営のゴブリンの騎士(ナイト」を討ち取った。


「何をやっているのだ貴様は? 私が兵士(ポーン)を前進させるとキングのマス目に突入するぞ?」


「それが何か?」


 涼し気な表情を浮かべる執事だが、そこで女騎士は笑い始めた。


「なるほどな。負けが認められん性格らしい」


 女騎士は右手を掲げて、自軍のゴブリンにこう命じた。


「兵士(ポーン)よ前進だ! 王(キング)を討ち取れっ!」

 

 ゴブリンが執事の立っているマス目に侵入して剣を振り上げたところで――


「グギャっ!」


 執事の左ストレートが唸りをあげ、ゴブリンの頭部が爆裂四散した。

 ボトボトと肉片と脳漿が飛び散る中、唖然とした表情で女聖騎士は言った。


「……ハァ? 反撃だと……? どういうことだ?」


「これはチェスではありません。ゴブリンチェスですので……反撃は自由ですよ?」


「何を言っているのだ? 今までのゴブリンたちは全員がチェスのとおりに……反撃などせずに……」


「予めマス目に仕掛けられた魔法によって、硬直時間が1秒間発生します。そしてゴブリンが装備しているのはゴブリンには不似合いな超越の武具ばかりです。必然的に初撃で必殺となる。そしてこれまた必然的に……私にとってゴブリン相手に1秒の硬直時間など何の意味もない」


「……何だ……と?」


「さて、茶番はここらでよろしいでしょうかね」


 そうして執事はパチリと指を鳴らす。

 すると、女聖騎士陣営のゴブリンたちの頭が爆発した。


「全滅……だと? しかし、ルール上貴様らは0%の勝率のゲームはできないはずで……貴様の実力行使が可能であればこれはゲームとして成立しないはずだっ!」


「最初の方に言いましたよね? 貴方様の負けが確定したと」


「どういうことだ?」


「ゲームを開始すると言った時点で貴方の負けなのですよ」


「……?」


「ルールをよく思い出してください」



・ゴブリンチェス

1 基本ルール、例えば駒の移動可能区域等は通常のチェスと同様

2 持ち時間がなくなれば負け

3 どのような形でも勝敗が決定するまでに生き残っていれば勝ち


「本当に……どういうことなのだ?」


「チェスそのものの勝敗はどうでも良かったのです。ここまで言えば――お分かりでしょう?」


 そうして男は、心の底から醜悪に笑ったのだった。


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