第2話 裏切り
――僕の中にはもう一人の僕がいる。
そのことに気付いたのはいつの頃からだったろうか。けれど、もう一人の僕はある時を境に僕の中から消えてしまった。
それは僕が恋をした時からだったのだと思う。
『力と人並みの幸せ……どちらかを選べ』
その時、夢枕に老人が立って、僕は……セシリアを選んだんだ。
そして夢枕から2年後、12歳のある日。
「何があっても僕はセシリアを守るから」
「だったら、私は何があっても……近くでセオを支え続けるから」
秋色の空。
昼下がりの陽光に照らされ、金色に輝く丘の中で笑う彼女があまりにも美しくて、僕は幸福の絶頂に包まれていた。
「ねえ、セシリア?」
「なあに? セオ?」
「人は大人になる。僕たちもいつか大人になる。変わるものがあれば変わらないものもある」
「うん、そうだろうね」
「けれど、僕がセシリアを愛する気持ちだけは変わらない」
「私がセオを愛する気持ちも決して変わらないよ?」
「うん。聖剣を担う僕たちの血族の長男が、神託によって代々勇者として選任されるのは知っているね?」
「ええ。そうでなければセオは遠くに行かない。どうして私は聖剣の担い手の血族に恋をしてしまったのかと……何度泣いたかは分からないけれど」
僕たちの村は遠い遠い神話の時代の頃より、勇者の血を引く血族として100年に一度、魔王を討伐する勇者が選ばれている。
そして、僕の家は聖剣を任された一族として、世界を救う勇者の任も担っているんだ。
「僕は1年後に勇者として選ばれ、世界を旅した後に魔王城へと向かう」
「うん……」
「……5年後になるか、あるいは10年後になるかは分からない」
その言葉でセシリアは涙を浮かべて……覚悟と共に小さく頷いた。
「うん……」
「寂しい思いをさせると思う。でも、僕が帰るまで……待っていて欲しい」
「……え? それって……?」
「魔王を倒して、帰ってきたら――結婚しよう」
すると、セシリアは満面の笑みを浮かべて大きく、そして何度も頷いた。
「うんっ!」
そうして、僕たちはその日に2度目のキスをして――初めて体を重ねたのだった。
そして1年後、伝統の通りに100年に一度の勇者が選ばれる神託は下された。
けれど、神託が勇者として選んだのは僕ではなく、セシリアだった。
――セシリアに神託が下って、あれから2年。
魔王討伐の旅の途中のセシリアが僕たちの村を訪れた。
そうして開口一番、彼女は「ねえ、セオ? 助けて欲しいの」と僕に言ったのだった。
曰く、彼女たちが攻略しようとしているダンジョンは、勇者の聖剣であるエクスカリバーでしか討滅できない特殊なアンデッドが多数生息しているらしい。
でも、エクスカリバーは担い手の血族である僕が管理している聖剣だ。
神託として選ばれていない僕は普通の村人としての力しか持たず、正に宝の持ち腐れだったんだけど……。
そうして連れてこられたのは青白く薄暗いダンジョン内。
魔核から漏れ出た魔力の満たされた岩盤は、ヒト種が最低限に活動できる程度の光量を保っている。
そんな洞窟内を歩いていると、物陰から何かが飛び出してきた。
――ケーブタランチュラ。
洞窟内において、討伐難易度C級の蜘蛛の縦横無尽の立体的な動きは僕には視認すらできるものではなかった。
ヒュオンっと蜘蛛の前足が僕の顔面に向けて振り落とされて――
「ボヤボヤしてんじゃねえっ!」
僕はセシリアの仲間の20代前半の茶髪の剣聖に足払いを受け、思い切りにその場にコケた。
蜘蛛の足が頭上を通過すると同時、頭をガツンと岩盤に打ち付け、意識が数秒飛んだ。
意識を取り戻し、慌てて起き上がると、剣士がケーブタランチュラを一刀両断にしている光景が目の前に広がっていた。
「ちょっとモーリス……やりすぎよ?」
「ああ? セシリア? 何言ってんだ?」
「セオは私の幼馴染。もう少し優しくできないの? ああ、タンコブできちゃってる……」
セシリアは僕の後頭部に回復魔法をかけながら、キッとモーリスを睨みつけた。
「俺等はSS級冒険者パーティーだぞ? 個人でもS級以上の戦闘能力を持ってるんだ。どこぞの王族の護衛ならまだしも、職業適性村人の護衛なんて馬鹿らしくやってらんねーよっ!」
「でも、この洞窟の奥底のアンデッドを完全に消失するには――」
「だ・か・ら! それを知ってるから渋々でもグズでノロマの面倒を見てやってんだろうがよっ!」
「言い方ってもんを考えなさいっ! 失礼にもほどがあるわよっ!」
「しかもこのゴミはお前の昔の恋人だったんだろ? 身内びいきのノロケなら他所でやってくれよ」
昔の恋人……か。
まあ、出立の日にうやむやになっている事項ではあるけど……。
「ゴミって言い方はないんじゃないっ!?」
「じゃあ何か? 勇者となって身分違いになった今でもこいつとヨロシクやるつもりなのか? 違うよな? そんな訳ねえよな? 地位も名誉も思いのままで男も選びたい放題で今更こんなゴミは選ばないわな?」
確かにモーリスの言う通りだろう。
――そうなるのは必然だろう。
でも、実際の所はどうなんだろうか?
あの日の約束は……前提が変わり、立場が逆になった今でも……生きているのだろうか。
「……」
押し黙るセシリアから続く言葉を待って、僕の心臓は波打った。
「ああ? どうしたんだよセシリアさんよ?」
「それは……」
セシリアが何かを言いかけようとした時――
「茶番はそこらにしておけ」
今まで沈黙を通していた30代後半の全身を甲冑に身に包んだ聖騎士が、モーリスとセシリアの間に割って入った。
そうして聖騎士は前方を向いて、巨大なメイスを構えた。
「――団体様のご入場だ」
見ると、暗闇には無数のケーブタランチュラの赤い目が輝いていた。
あっという間にケープタランチュラを3人は倒してしまった。
僕は戦闘訓練なんてまともにやったこともないし、職業適性も村人だ。
そんな光景を普通の人間の僕が見て思ったのが――
――次元が違う……ような気がする
それが素直な感想だった。
いや、パッと見た感じ、明らかに凄い。
けれど、気がするって言うのも本当で、何故か全く大したことがないように見えるのも確かなんだ。
「……」
「どうしたのセオ?」
あっけらかんとした表情のセシリアに、僕はただただ引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
そこでセシリアも僕の意図に気付いて、少しだけ悲しそうにこう言った。
「私が化け物みたいに……見えた?」
「ち、ち、違うよっ! そんなことは……」
そこでモーリスは僕を鼻で笑った。
「膝が震えてるぜ? 一般人(パンピー)ちゃん?」
「……」
確かに膝は震えているし、さっきの声も裏声が混じっていた。
言い返そうと思うけど、事実なだけに言葉が何も出てこない。
そこでため息をついて聖騎士は洞窟の奥を指さした。
「先を急ぐぞ。この辺りは魔物が多い」
言葉に従い、僕たちは洞窟の奥へと進んでいく。
「しかし、本当にセシリアは昔にこんな男と付き合ってたのかよ? さっきの戦闘を見ただけでブルっちまうような奴の何が良かったんだよ」
「……セオは優しい人よ」
ニヤニヤしながら、モーリスはもう一度セシリアに問いかけた。
「そういえばさっきの返答を聞いてなかったな? 勇者となって身分違いになった今でもこいつとヨロシクやるつもりなのか? なあ? セシリアさんよ?」
「だから、それは……」
聖騎士がそこで苛立った風に口を開いた。
「いい加減にしろお前ら……っ! ここは魔物の巣の中だぞっ! 少しは黙らんかっ!」
その言葉で二人は肩をすくめて、聖騎士の後ろを黙って追従していく。
しばらく歩き、僕たちは広場に出た。
中心部には大穴、そして壁沿いに螺旋階段状に小さい足場がつながっている竪穴……といった感じだ。
大穴の底を見てみるけれど、正に奈落の底という風な感じで文字通りに底が見えない。
試しに小石を拾って穴に投げ入れるけれど、聞こえるはずのコツンという反響音も聞こえない。
あまりの深さに、もしも落ちたら……と僕の背筋に寒いモノが走った。
「凄い深さだねセシリア」
「うん、そうだね」
と、モーリスが例の如くにニヤニヤしながら口を挟んできた。
「嘘か誠か……魔界へと通じているという大穴だからな」
「魔界?」
「ああ、神代の時代に封印された魔神の数々が封印されているっていう……ちょっとした歴史名所なんだぜここは?」
「神代の時代……ですか」
「良し、ここまでくれば十分だろう」
聖騎士が小さく頷き、セシリアとモーリスと聖騎士が、壁際に向かって僕から一歩下がった。
――言い換えるのであれば、今僕は背後に大穴、正面に3人のSランク冒険者達という格好となる。
「……どうしたんですか?」
「えーっとな、この先に聖剣でしか倒せないアンデッドが湧いてるって話……あれは嘘だ」
「……え?」
「俺たちが欲しいのは聖剣だ。代々の勇者が使っていたその剣はマジで有用っぽくてな? なんせ最強の金属であるオリハルコンでできている剣だからな」
「……どういうこと……ですか?」
「だ・か・ら! 俺たちは聖剣が欲しいんだよ。欲しいものは殺してでも奪い取るって理屈は分かるだろう?」
しばし僕はその場で固まり、そして何を言わんとしているかを理解して――
――やはり固まった。
「……え? 何言ってるか分からない……そんな……貴方たちは何を考え……」
そうして、モーリスはそこで腹を抱えて笑い始めた。
「ここまで言っても分からないってか? なあ、セシリア? お前の昔の彼氏ってどんだけグズなんだよ?」
「あっ……! そう、そうだよ! セシリア! この人……ちょっと変みたいなんだ! 急におかしくなったみたいで……止めてよ! この人に言って聞かせてよっ!」
そこでセシリアは顔を伏せながらこう言った。
「ねえ、セオ?」
「……え?」
「人は大人になるの」
「……セシリア?」
「変わるものもあれば変わらないものもある。切り捨てなければいけないものもあれば、守らなくちゃいけないものもある」
「うん。そうだよね? 僕はセシリアを大事に思っているし、セシリアだって僕を大事に――」
そこでセシリアは顔を上げる。そこには一切の感情の色は無く、ただただゾッとするような無表情があるだけだった。
「違うのよセオ」
「……違うって……何が?」
「ここで貴方を切り捨てる勇気を持てなければ……私は守りたいものを守れないの」
「守りたい……モノ?」
そうしてセシリアはモーリスの方を向いた。
「私達……結婚するんだよね」
「……結婚?」
セシリアはお腹をさすって、そして大きく「うん」と頷いた。
「生まれてくる子供の為にも両親は揃っていないといけないのは分かるよね? 来月に私たちは魔王討伐の遠征に出るの。生存の確率を上げる為に、そのためには――聖剣は絶対に必要なの」
「セシリア……君が何を言っているのか分からないよ。僕は? ねえ……君にとって僕は……何?」
「……ねえ、セオ? 人は大人になるの。大人になるためには、人は何かを切り捨てなくてはならない。大切なものは命にかけて守って、そうでないものに対しては冷徹に割り切った判断をしなくちゃいけない。私ね……それが人間が大人になることだって思うの。ううん、今回の件でそういう風に私はそういう風に結論をつけたの」
やるせない表情を浮かべ、けれど――その表情の奥底に確かな嘲笑を混ぜながらセシリアは言葉を続けた。
「だから、ごめんね? オリハルコンの聖剣は……どうしても必要なの」
そうしてセシリアは僕から聖剣を奪い取った。そうして僕の腹に向けて蹴りを放った。
――何を言っているのセシリア?
頭の中が真っ白になっていく。
殺してでも聖剣を奪い取るだなんて……。
腹の底からドス黒い何かが沸き上がり、僕の視界は真っ黒に染まる。
これは怒りという感情なのだろうか。
目の前の理不尽、その全てが憎くて憎くて仕方がない。
けれど、一番憎いのは……力の無い僕自身だ。ただ運命に翻弄されるだけで、一発も殴り返すこともないままに奈落に突き落とされようとしている……僕自身だ。
僕の腹に向けて蹴りを放つセシリア。
この蹴りが入れば僕は後ろに吹き飛んでこのまま奈落へと突き落とされるだろう。
セシリアは自分の手を汚したくないんだ。
だから直接は殺さずに……奈落の底へと……。
自分の手すら汚さずに、かつての恋人の僕を消し去ろうと……後々の罪悪感すら背負う気はないんだ。
セシリアは……この期に及んで、まだ自分を悪者にしたくないんだ。
何ていう……何て言うムシの良い話なんだ。
ああ……と、涙と共に僕は思う。
――力が欲しいっ!
目の前の理不尽を、全てを跳ねのける力が――欲しいっ!
と、その時――
――ここらで良いか? もう一度問おう。力を求めるか――幸せを望むか……どちらだ?
久しぶりに聞くもう一人の僕の声に僕は力強い声でこう応じた。
「力が欲しいっ!」
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