退廃庭園にて。

 白と赤のツツジで作った花束を手に、僕はこの放棄された遊園地の入口でぼんやりと園内を眺めていた。

 一年前に来たときとは人影が無くなり、今まで動いていた機械達も何の音も出さずただ黄昏て、数多の雨に打たれたのだろう。錆びている今、過去の栄光を思い憂いているのかも知れない。夕方近くで夕日が上手い具合に暗く照らしているだけかもしれないけど。

 ふう、と溜息を吐き出し、一歩ずつ園内へと入ってゆく。

 元々ここはそこそこ広く有名で、たくさんの人で賑わっていた程だ。幼馴染はその遊園地が気に入っていて僕を無理矢理連れてよく行った。よく行ったはいいけど、毎回財布の紐を緩めるのは僕なのですっからかんになってしまったのだけど。

 それほどの遊園地がなぜ今となっては廃棄されているのかというと、一年前に起こった観覧車事故が原因だ。

 観覧車のゴンドラが突如地面に落下、一名がゴンドラの下敷きになり死亡。

 この事故が原因でこの遊園地を経営していた会社にクレームが多数。観覧車だけ整備を怠ったとかその遊園地を買収しようとした会社が起こしたとか根も葉もない噂がたくさん流れていたものだから実際のところは分からない。ただその会社の金や信頼が一気に地の底まで落ちたということは本当らしい。

 だけどそんなことは僕にとってはどうでもよかった。でもたった一名の死亡者が何を隠そう、幼馴染だった。僕が目を離している隙にゴンドラが落ちて下敷きになって上半身潰れて死んだ。想像するだけでも吐き気がする。

 今日は彼女の一回忌だ。今頃喪服を着た大人たちが家でお経でも読んでいるのかもしれないけど、そんな場所に彼女はいない。僕はそう思う。この遊園地のどこかで死んでいることも気づかずに遊んでいるのかも知れないと勝手に想像して彼女のあの優しい笑顔を思い出す。

 だから彼女の好きな二種類のツツジの花束を持って、遊園地の中央にある観覧車跡へ足を動かしている。姿形は見えないけど、彼女は喜ぶだろう。

 歩いて数分、観覧車跡まで行くとくっきりと残っている凹みと固まった黒い血が見えた。彼女が最後にいた場所。

 脳が勝手に反応してここでの記憶を思い出そうとするけど頭を振って無理矢理頭の隅に追い出した。吐きそうだ。もう一年も経っているのに体はまだ覚えてしまっていてもう過ぎたことなのに、体が震える。

 血に背を向け、カバンの中からボイスレコーダーを取り出し、録音状態にする。

「大したことなんて言えないけれど、声を録音してみるよ。聞こえていますか? ハルより」

 多分もし彼女が声を気づいても僕の心は分からないだろうから意味は無いとは思うけど声を残してみた。

 彼女が戻るなんて思わないけど、また一年後に彼女の声が残っているといいなあなんて勝手に想像してみる。これはただの自己満足。単なる自分だけの満足だ。

 声を録音したか確かめ花束の中に、花の茎が折れないようにそっと入れ、再び事故現場とご対面。

 必死に目を逸らし、花束を置き、手を合わせ合掌し、目を閉じて彼女の冥福を祈った。普段は届かない思いも、生と死の間なら伝わるのかな。そう思いながらゆっくりと目を開ける。


――――もういない筈の彼女の姿が、見えた。


 目の前に起こったことに体がついていけてなくて、ただ呆然と目の前の光景を目に焼き付けていた。

 なんで彼女が、いるんだ? 

 僕の脳内は視界の中で起こっていることに対する会議でキャパシティーがオーバーしてしまっている。

 だめだ、これは現実か? 夢か? それとも彼女のことを思っていたから幻覚を見たのか?

 頬をつねってみた。案の定痛かった。

 だめだ、まだ受け止めきれていない。いや、この場ですぐに受け止めることなんて出来たらどれだけ理解力あるんだよ。

 というかなぜ彼女が見えるんだ? いることはともかく、これまで生きてきた十六年間一度も幽霊の類のものなんて見たこと一回も無いし、とりあえず目をつむってみようもしかしたら消えるかもしれない。

 暗転。

 赤のスポットライトスイッチオン。

 …………消えてない。視界の中にまだ入り込んでいる。

 え、じゃあこれは本当? 本当なのか?

「…………ハルくん、久しぶり」

 僕の中で何かが弾けたような気がした。




 久しぶりに会った彼女の顔にはうっすらと陰が見えた。

 そういう僕もまだ彼女のことについて受け止められないことがたくさんあって、なんて言えばいいのか全く思いつかなかった。

 僕たちは遊園地内を足音立てずに歩いていた。彼女が歩こう、と誘ったのだ。その時は今より状況を理解していなかったからほとんど上の空で頷いてしまったのだけど。

 彼女がなぜかは知らないけど少し早歩きしている分、僕と離れる。

 それでも僕は追いつこうとは思わなかった。

 まだ信じることが出来ないんだ。そこに彼女がいること自体が。

 ここは夢の世界にいるとしか思えない。思うしかなかった。

 そこまで受け入れる器が小さいことなんて僕の場合知れているし、そうなんだ、とごく自然のようにいられることは難しくて。

 だから目の前にいる彼女に視線を送れなくて。

 下を向くことしか出来なくて。

 何やっているんだろ僕。夢の中まで幼馴染に会いたかったのか? まさか今日は一回忌だからという理由でそうなのか?

 頭の中がスクランブルエッグぐらいにぐちゃぐちゃにかき乱されて、流れに流されてぼんやりと歩いてしまっている。

 まさか一年前にタイムスリップしているなんて……ないな。風景がオンボロすぎる。

 本当に幻想だと思い込める、そんな慰めすら失ってしまった。まだ寝ているんだという口実なんてバカバカしくて出来やしない。

 彼女を視界から消すように周囲を見てみると、

「でも……本当に一年でここまでボロボロになるものなのか……」

 雑草とかはそこまで伸びきってはいないが、いかんせんアトラクションの機体が赤錆にとても侵食されていて一年間放置でここまで堕ちてゆくことが出来るものなのか。

 でも僕も大差無いようなものなんだろうけど。

 正面に視界を移すと、彼女が動いていた足を止めていたことに気付いた。

「……」

 僕が彼女の横に来ても何もせずにただ立ち尽くしているだけ。

 横からみる彼女はなんだか懐かしい感じで。

 今なら手を繋げられるような気がして。

 夢なら仮初であっても再び触れ合うことが出来るのじゃないか?

 そっと彼女の手のひらに自分の手のひらを重ねようとして、

 ――――虚しくもすり抜けてしまった。

「すっかり変わっちゃったね」

「あ? ……ああそうだね」

 微かに匂う虚脱感に襲われて反応するのに遅れてしまった。

 隣の彼女はまだ視線を前に向けている。気づいてないのか?

 いや、本当に気づいてないんだ。僕が手に触れようとしたこと。

 そう考えると胸の奥で大事にしまっていたものが突然盗まれたかのようにどっかに消えて、足のバランスが崩れそうになった。

 決められたことなのだろうか。

 なんだか視界が少しぼやけてきたような気がした。

 誰がやったんだろう、こんな状況を作り出したの。

 誰だ? なんで僕を苦しめる?

 なんだか今にも何かを、どす黒いなにかを吐き出しそうで頭を振って、無理矢理頭から消えさせる。

 目の前にはメリーゴーランド。彼女が好きなアトラクションのひとつ。

 外装はとっくの遠に汚れて錆びて少しでも衝撃与えたらバラバラに崩れてしまいそうになるぐらい脆く、見える。

 彼女は少し離れて、

「行ってみよ?」

 すぐさまメリーゴーランドの中に入り、塗装が禿げた木馬に跨った。僕も続いて木馬に乗ってみる。

 昔あったはずの眩しいぐらいのライトもすっかり無くなり影で黒くなって外の静かな夕焼けが少し入るぐらいで動き出しもせず、ただ前にある木馬がもはや役目を終えたと言わんばかりに消えるように寝ていた。

 消える。

 彼女ももしかしたら消えるのだろうか。この動かない木馬のように自然と消えてゆくのだろうか。

 また僕が見てない時に消えてしまうのだろうか、一年前のように。

 体が締め付けられるような感覚。

 それだけは。それだけは、嫌だ。

 隣で木馬を撫でている彼女は何か影を落として、悲しげな目がそこにあった。

 僕はまだ分からない。

 まだ分かっちゃいないんだ、何一つも。

 彼女がどう思って今ここに居るのか。




 メリーゴーランドから離れ、無言の散歩がまた始まった。

 僕は何を話そうか真剣に考えているのだけど、一つもまともなものが無い。

 この一年間何してたの、とか、なんでここにいるの、とか。必要なことなんだけどこれを聞くのは何か抵抗感を感じる。

 自分が今どうしているのか、と言ってもそこまで大したものではなく普通に生きて過ごしているぐらいのことで、人生がちょっと変わったことなんて一度も無い。きっとこれからもそうだ。

 一心不乱に目の前の彼女は歩いている。

 僕を遠ざけようとしているのか? でもそれだったらさっき隣に来た時は何も抵抗、というよりは拒絶というものは無かった。

 じゃあなんでだろ。

 彼女は今何を考えている?


 それから様々なアトラクションを回った。

 ジェットコースターはただの動かない機体と化していた。それに二人一緒に乗って見ても、あの頃に聞いた絶叫する彼女の声はどこにも無かった。

 コーヒーカップもお化け屋敷も何もかも廃墟として昔のように楽しませることも無く、ただただそこにいるだけ。記憶の欠片も掘り起こすことは無かった。

 ほとんどの場所を見回って再会した場所、観覧車に戻った。

 もう夕焼けも消え失せて、今は夜の時間帯。

 月明かりでまだ足元と周囲は見えるけど、いつか雲に隠れて辺り一面暗闇に包まれると本格的に視界は墨をぶちまけたかのようになってしまうので、観覧車のゴンドラの中に僕たちは入った。

 まさかこんな時間になるまでいるとは思っていなかったので灯りをつけられるものなんて持っているはずも無く、しょうがないからバッテリー残量少なめの携帯を起動してみる。

 九時五十九分。

 結構長い間歩き回ったらしい。もうこんな時間になっていた。

「…………」

 相変わらず会話が出来ない。

どうすればいいのかなんて一年前に置き忘れてしまったんだろうなあ。

他愛ないことでさえ思いつかないのだから重症だこれは。

「……ハルくんは変わってないね」

「え?」

 突然彼女が口を動かすものだから、僕は何を言ったのかわからなかった。

「ハルくんは変わらないね、って言ったの」

「……そう?」

「うん全然変わってない」

 小さい携帯電話の画面の光じゃあはっきりとは見えないけど、それでもさっきとは表情が違っていた。

 ちょっと吹っ切れたような感じの、顔。

「私もね、最初は驚いていたんだ。まさか私の姿が見えてるなんて思ってなくて」

「花束置いた時?」

「そう」

 そんな風には見えなかったけど、その時の僕は錯乱していたから単なる見間違えか。

「突然のことだったから何を話せばいいのかわからなくて、なんかそんな自分ちょっと嫌で早歩きしちゃったの」

「そうだったんだ」

 彼女も僕と、同じだったんだ。

 それだけで心が救われたような気がしたのと同時にさっきまで何真剣にどうでもいいことを考えていたんだろうと思った。

「だからね、気がついたら隣にいたときは顔を見ることなんて出来なくてとっさに言葉が出てそれから、それから……」

 少し間が空いて、

「昔のこと思い出しちゃって、泣きそうになったの」

 目をこすって言葉を続けた。

「なんで死んじゃったんだろう私、なんでだろう……まだハルくんと一緒に遊びたかったのに」

 僕は何も言えずただうつむいて、自分を呪った。

 なんで本当に肝心な時で何も言えなくなるんだろう。

 でも口はいつの間にか動いていた。

「泣いちゃえばいいよ」

 彼女はハッとした顔で僕を見たけど、一番驚いているのは僕自身だった。

 こんなこと言うつもりは無かった。

「悲しい時に涙を流して泣くことができるのなんて地球上で人間だけだと思うんだ」

 どんどん勝手に動き出して言葉を吐く口。

 でも内心自然で落ち着いた気持ちになれた。

「それにさ、僕もいずれは死んじゃう訳だからさ。もしあっちに行ってしまうなら待っててよ。また一緒に遊んで、さ」

「…………」

 長い長い沈黙。

 言いたいこと言っちゃって今更ながら後悔している。

 でもこれが多分僕の本心だ。

 表面の自分じゃ見つけられなかった、本当の自分。

「……ハルくん」

「……何?」

「泣いていい?」

「……いいよ思う存分」

 彼女は僕に抱きついて泣いた。

 思う存分泣いた。

 僕はそれを見ながら今までの緊張の糸が切れたかのように、意識を失った。


 少し寒さを感じる。

 目を開けてみると彼女の姿は無くなってしまってその代わり彼女がいた場所にボイスレコーダーと花束がその場所を支配していた。

 しかもそれらは僕が持ってきたものだった。

 なんでこんなところに?

 それにボイスレコーダーの画面を見てみると、録音した日が新しい。

 七月三十一日十一時。

 不思議に思いながらも再生ボタンを押して、『声』を聴いてみた。

「………………き、聞こえているかな……? ええとハルくん、多分ハルくんが目を覚ましている頃、私は消えちゃってると思うんだ。実際にね、メリーゴーランド乗ってから右手の小指が薄く見えてたの。言い出せずにいてゴメンナサイ。

 花束暗闇の中で必死に探したよ。私の好きな赤と白のツツジを持ってきてくれて。本当に好きなんだこの花。でも花束からボイスレコーダーが出てきたなんてびっくりしたよ。内容もハルくんらしく不器用さがにじみ出てた。私ちょっと笑っちゃったよ。こっちもゴメンね。

 そうだ、ツツジの花言葉知ってる? 知らなかったら赤と白のツツジの花言葉を教えるね。

 赤のツツジは『恋の喜び』で白のツツジは『初恋』なの。で、その花束を君に送るよ。

 ……私ね、ハルくんのことが好きということを昨日知ったの。不器用だけど優しかったし、私のワガママ全部叶えてくれた。

 天国に行ってもハルくんのことは好きでいる。これからも大好きでいて、ずっと先も大大大好きでいて!

 ……そろそろお別れの時間になっちゃった。体がもう半分消えているんだ。ゴメンねバイバイ」

 そこでボイスレコーダーから流れてくる音は雑音となった。

 でも電源を切ろうとは思わなかった。彼女の告白で自分も気付いた。

 僕も、彼女のことが好きだ。大好きだ。

 でもこの言葉を送りたい相手はもうここにはいなくて。どうすることも出来ない。

 ああ、だめだ。僕も泣いてしまうよ。昨日の君と同じように泣いてしまうよ。

 どんなに我慢しようと抑えきれない衝動が体全体に襲いかかってくるんだ。

 震えた手でボイスレコーダーを手にとって抱えて。




「僕も君が好きだったよ……愛璃」


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