Burial

 彼女が庭の土を掘り始めたとき、空は曇天に覆われ、風が辺りを吹き飛ばそうと必死になっていた。それにもかかわらず、彼女は土を掘ることを中止しようとは、髪の毛一本のほども思わなかった。庭の土は固く、彼女の細く弱弱しい腕では、ちゃんとした穴を作り上げるにも、数日でも足りるかどうかわからなかった。彼女の傍にある巨木が、防波堤とはなっているが、それでも強風が吹きすさぶ中、立つことさえままならないようだ。

 傍から見れば、彼女は鉄製の大型スコップを上下に振っているようにしか見えないが、彼女の目は、今にも血走りそうなほど視点が一点に集中し、スコップを振り上げるたびに、握る力によって、がきんがきん、とうるさく鳴った。一時間が経っても、お世辞にも立派とは言えない穴が出来つつあったが、それでも彼女は腕を振り下ろすことをやめない。足と地面との摩擦で、座ることすらしない。歯を食いしばってすらいる。

 それから五時間が過ぎ、遠くでは雷の音がところどころで響き渡り、風はますます強くなっていく。彼女は巨木を背に、吹き飛ばされないように必死になっているしかなかったが、目の前にある穴は、人ひとり分がなんとか入れるようなサイズとなった。一瞬、風の勢いがわずかに弱まった隙を逃さずに、彼女は家の中に走っていった。

 それから彼女は熱を出したようで、さっきから咳が止まらない。抑えようにも、彼女のか細い体では抑えきれない、骨が折れてしまうのではないかと心配してしまうほどの激しい咳だ。普段寝ているあの甘い香りのするベッドのほうへついつい足を向けそうになったが、それでも彼女にはやらなければならない仕事がある。彼女は地下二階の冷凍室へ向かった。

 そこには、一つの裸体があった。髪は腰まで伸ばしたストレートで、身長は彼女と同じだろう。胸は控えめだ。喉にはひっかき傷が無数にあり、うっすらと鬱血になってしまったところがちらほらと見える。彼女の赤い瞳は、その「もの」と成り下がってしまった存在を、舐めるように眺めていた。やはり、何度見ても美しい、と彼女はそう思わざるを得なかった。許可無く触れることはためらってしまう。しかし、それでも彼女はやらなければならなかった。彼女の息を触れることすら、三年前から出来ない。もうこれは、彼女の愛した存在では無くなりつつあるのだ。悲しいことに。

 肢体を背負った。その感触は、ただただ冷たいという感想しか抱かなかった。これが、昔心と体を全て捧げた存在なのであるか、と彼女は他人事のようにしかとらえることができなかった。それでもやはりその皮膚の手触りは、タイムラグなしに昔のことを思い出させるには十分だった。体の奥から歓喜の感情が溢れ出た。その歓喜は熱による意識の曖昧化を、やや回復させた。それで十分だった。

 階段を上りきると、嵐の叫びが響く庭へ。

 やはり先ほどと同様に、立つことは難しかった。背中には重りがあったから、なんとか倒れることが無いように重心に気を付けなければならなかった。ただ、彼女の歩みは止まることがない。

 肢体を穴の中へ入れた。気に入った花瓶を割らないようにするかのように、真剣に丁寧に運んだ。

 風は少し弱まったみたいだ。木を背にしなければならないことは変わらないが、先ほどと比べれば、倒れないように気を付けなければいけないわけではなかった。

 彼女は土の棺に入れた肢体を眺めてみる。 真っ白な肢体につけられた傷は目立っていた。それが彼女を再び身もだえさせた。

 さらに風が弱まってきた。木の揺らぎもうるさくなくなった。

 彼女はゆっくりと穴の中に、肢体を覆う姿勢で入る。無数の切り傷がある右手で肢体の左頬に触れる。あざができた左手で肢体の右頬に触れる。顔を肢体の顔に近づける。唇を近づける。彼女は眼を閉じた。唇と唇を重ねる。それは軽いキスだった。

 彼女は眼を開けた。その死体は、目を閉じたままだった。長いまつげを揺らすこともなかった。彼女は、親指で死体の瞼を開ける。

 濁った青色の瞳だ。

 その瞳はもう彼女の姿を取り入れることはないのだ、永遠に。彼女はそのことを確認すると、死体の顔を遠ざけ、手も放した。

 相変わらずの曇天であったが、風はもう止んでしまったようだ。

 彼女は穴から出ると、木に立てかけていたスコップで、土を穴の中へ入れた。

死体が汚れることに、躊躇はなかった。一瞬の思考もなかった。 穴を掘ったときのあの血走った表情はない。そこにあるのは、何も写さない無表情の鏡だ。

 この作業は、すぐに終わってしまった。彼女はスコップを適当に放り投げ、家へ戻り、自室に入った。そこにはもう甘い匂いはしなかった。

 ベッドに横になると、熱もあって、すぐに寝息を立て始めた。

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