鳥になる夢
「はぁ……はぁ、はぁ……くそったれが……」
ヴィンの目の前には緑のなくなった地面があった。乾いた土と石ころだけがその瞳に映っている。身体を起こそうと腕を動かすものの、その腕もひどい震えで満足に動かせず指が土をかくだけだ。
雛乃と別れてから、出来るだけ裂け目から離れようと飛んできたが、距離を稼げたかはわからない。とうとう飛ぶ力も尽き、島に降りて倒れてから一歩も動けていない。
酷い飢餓感がヴィンの意識を引き裂くように襲いかかる。
「もう、駄目か……」
悔しさが全身を包む。遅かれ早かれこうなることはわかっていた。だからと言って、仕方がないなどと割り切ることは出来ない。
瞳を閉じると、ヒナが歓声を上げて喜んでいた美しい楽園の姿が浮かぶ。そこに集う鳥たちの姿が。
鳥になど興味を持たなければ良かった。こんな感情など知らなければ良かったのに。
そう思った瞬間に、鳥の群れを指差してはしゃいでいたヒナの笑顔がヴィンの胸に蘇る。その声が、笑顔がヴィンの胸を微かにあたためた。
「ヒナ……」
今にも摘み取られてしまいそうになっていた小さな命。楽園の外から来た、唯一ヴィンが助けられる命。
ヴィンには楽園を救うことが出来ない。ドゥードゥもナツもナギも、大切な友なのになにもしてやることは出来ない。最後まで彼らを欺きながら楽園の崩壊を享受するしかなかった。
けれどヒナは違う。助けられる。ヴィンにはヒナの帰るべき場所までその命の糸が繋がっているのが視えていた。ヴィンの瞳は命を視る。だから間違いがなかった。ヒナは楽園さえ出られれば帰れるのだと。
今頃はもう楽園の外に出ただろうか。ドゥードゥが連れて行ってくれるのだから出たのだろう。意識を集中すると微かに感じるヴィンの光の翼の気配は、遠ざかって行っているようだ。
口元に笑みが浮かんだ。そうだ、帰るんだ。そして自分の世界で幸せに生きてくれたらいい。
「せめて、俺が……」
最後まで送っていけたなら良かった。ヒナが思う楽園の鳥ヴィンとして、最後の別れをゆっくりしたかった。
叶うならもう一度あの唇に……そこまで考えて、失笑する。そんなことが許されていいはずがない。楽園の命を吸い尽くし、崩壊させる元凶である自分が、感情など持ち合わせていなかった自分が、誰かを愛しく思うようになったなど……。
ヒナはもう戻らない。その考え自体が無駄だ。だけど思考が止まってくれない。
わたしが帰ったら嬉しい? そう聞いて来たヒナに嬉しいと返したのは本当の気持ちだ。楽園に残っていてもヒナに未来はない。
(もし、俺が、鳥だったなら……)
そんなことを考えたところでそうなるわけもない。それなのにその夢想が頭から離れない。
ヒナの手を、本当は離したくなかった。一緒に生きられたらどんなに良かっただろう。ドゥードゥも、ナツもナギも一緒に、生きられたなら。
動かない手のひらが冷たい。ヴィンの手を、心をあたためてくれたのは間違いなくヒナだ。なぜなのかなどヴィンにはわからない。わからないが、それだけがヴィンの心の真実だ。
ヴィンの心をあたため、わき上がる飢餓感をおさめてくれた。これから来る終わりの事も、ヒナといると忘れられた。楽園の鳥ヴィンとして飛ぶ事が出来た。
「ヒナ……」
ますます強くなる飢餓感にめまいがする。その飢餓感に呼応するかのように、なにかが地面を這う音がした。
かすれて見えにくくなった瞳がとらえたのは、鳥喰草。
二体、いや三体か。もっといるだろうか。
一時的とはいえ力の大半がなくなり疲弊した今、鳥喰草を操ることも不可能だ。そしてもう飢餓感も意思の力では抑えられない。意思とは無関係に命を喰い続ける。その事に吐き気が込み上げた。
これまでも、最後は必ずそうなっていた。喰っても喰っても飢えがおさまらず、自我を失いその世界の命を喰い尽くすのだ。
(俺は、なんで存在しているんだ……なんのために……)
命を求め、その命を喰うことを拒否しようとしても自分の意思ではどうにもならない。意思に反しているのに、どんどん命を喰っては補充する。自傷しても死にきれない。命を補充され続けて生きるしか道がない。そもそも吸収するしか能がない生命体だ。
こんな苦しみなど楽園に来るまで知らなかったのに。他の命を喰うことになんのためらいもなかった。そういうものだった。ただ飢えることだけが苦しみであり、命を喰うことは自分という存在に与えられた救いだった。
楽園で鳥に興味を持ったのが間違いだったのだ。思えば興味を持つという心の動きが初めてのことだった。その初めての感覚に酔って、鳥を観察し始めた。それが始まり。
今ならわかる、あれが初めての憧れだったのだと。
そして今また新たな感情を知ったのだ。楽園が崩壊しようとしている、今になって。
鳥喰草を見上げる。そこからゆらゆらと無数の触手が伸びてくる。
「なんでだ……」
なぜ感情を学べるような知性を持っていたのだろう。なんのために。楽園にたどり着くまでそれは不必要なものだったのに。
この手の中で死に絶えていく世界を、友を見ているしか出来ないなど。
触手がヴィンの腕を絡め取る。次々と伸びたそれが、首を、胸を、足を、翼を、あらゆるところを締め上げた。
「うぁ……ぁ……っ」
抵抗しようにも力が足りず、身体が持ち上げられた。周囲は鳥喰草にとり囲まれている。
一段と強い飢餓感がヴィンを貫いた。命が欲しい。命を吸い尽くしたい。全部をめちゃくちゃに壊してしまいたい。
「やめ、ろ……」
触手から発せられる欲求がヴィンの内側をかき乱す。命が途切れる瞬間の輝きが見たいその瞬間の味、魂の震える断末魔が欲しい。
全ての命を味わい吸い尽くして自分の力に、そんなことは望んでいないのになぜ命を奪うことしかできないのかそれは命が欲しいからだ命を感じたいからだ恐怖や怒りに震える命の輝きを感じる時自分の存在を感じるそんな存在など要らないのになぜだなんのために生きているんだ俺は、生きているのか?
突き上げる飢えに吐き気がした。ヴィンに絡み付いた触手はさらに増え、より集まった鳥喰草はヴィンを取り囲むようにして互いの身を絡ませて一つになっていく。
それを止めることはもうヴィンには出来なかった。
意識が混濁していく。命が欲しい。この飢えを癒したい。そんなことなど望んでいない楽園を、鳥を、友を救いたい。彼らの悲鳴が聞きたい。
呑まれていく––––––––。
(誰か、助けてくれ……)
闇に沈むように薄れていく意識の中に、ゆらゆらと人影が浮かぶ。ヴィンを見て笑ったようだが、その顔はぼやけていて見えない。
ヴィン、と名を呼ばれた気がした。そしてその人影はヴィンへ向かって手を差し出す。
その手をにぎると、身を焼くような熱が送り込まれ急に視界がはっきりとする。
目の前に立っているのは、愛しい少女の姿。
「そこにいるのね? 待ってて」
「だめだ、来るな‼︎」
楽園は崩壊する。ヴィンが全ての命をなぶり、喰い尽くす。ここへ来てしまえば彼女だって犠牲になる。
自分の手で、愛する人の命を奪うことになる‼︎
少女は笑っている。両手をヴィンの手に添えた瞬間に姿がかき消えた。
途端にまた意識が引きずられて混濁してくる。
最後の意識に浮かんだのは、はにかんだように笑った少女の顔。
(––––––––ヒナ)
◆ ◇ ◆
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