第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(11)

 3 革の袋(11)

 



 三十六歳の剛志は、確かにマシンに乗ったはずだ。男たちが呆然と立ち尽くしていたというから、そこのところはまず間違いない。彼のバッグは岩の隅っこに置かれたままだし、となればやっぱり無一文で旅立った。

 ――ならばどうして、この時代になんの変化もないのだろうか?

 金がなければ旅館には泊まれない。まして児玉亭への援助なんかは絶対的に不可能だ。となれば何から何まで状況は変わるし、節子との出会いだって同じようにはならないはずだ。

 きっと、ミニスカートどころではなかったろう。生きていくだけで大変で、あんなアパートだって借りられたかどうか……?

 ということなら、あんな事故にだって遭っていないんじゃないか?

 ――俺は節子と、出会えてたのか?

 様々な疑念が渦を巻くが、この瞬間まだ、剛志は慣れ親しんだ庭にいて、中では節子が剛志の戻りをイライラしながら待っている。これは紛れもない現実で、いつもと変わらぬ日常だ。

 ――本当に、何も変わっていないのか?

 そう思って辺りをグルっと見回した瞬間、すぐに何かがおかしいと気がついた。

 節子が家の中に入ってから、少なくとも十分以上は経っている。きっと普段の彼女なら、今頃どこかの窓から顔を出し、とっくに何か言ってきたっていいはずだ。

 それなのに、すべての窓は閉じられたまま……。

「ちょっと、待ってくれ、やめてくれよ……」

 剛志は思わずそう呟いて、その場で一気に動けなくなった。

 たとえ今、三十六歳になった智子が現れても、それは節子の代わりにはなり得ない。

 もちろん剛志にとって、智子は今でも大事な存在には違いないのだ。元の時代で幸せになってほしいし、叶うならいつの日かもう一度、きちんと会って話がしたいと思っている。

 けれどそれは、五十六となった剛志にとって、昔懐かしい想いからくるものなのだ。

 これからの人生一緒に過ごしたい――などというものでは決してないし、まして十六歳のままの智子であればなおさらだ。

 この十年、節子と過ごした時間が大事で、彼女を失ってしまうことこそ、剛志の一番恐れていたことだ。

「節子!」

 彼は思わずその場で叫んだ。

 妻の名前を声にしながら、玄関目指して一目散に走り出す。玄関扉を押し開き、剛志は声を限りに叫ぶのだった。

「節子! 行かないでくれ!」

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