第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(10)

 3 革の袋(10)




「僕はちょっと、庭の方を見てくるよ。昨日いたっていう男たちが、もしかして庭で何かしてるかもしれないだろ?」

 そんなことより身体の方を心配しろと、呆れるような声が返ってきたが、こればっかりは「はい、そうですか」というわけにはいかない。だからひと回りするだけだと返し、剛志はさっさと岩の方に歩いていった。

 さっき、病院でのことだった。

 担当医が正式に退院を告げ、病室から出て行ってすぐのことだったのだ。

「でも、わからんよな、二度あることは三度あるって言うからさ、家に帰った途端すっ転んで、また意識不明になっちゃってさ、担ぎ込まれるなんてこともあるかもしれんし……」

 剛志は思わずそんな台詞を口にして、振り向く節子におどけた顔を見せようとした。

 ところが節子が振り向かない。ボストンバッグを膝に置き、丸椅子に座って身動き一つしないのだ。

 ついさっきまで、タオルや下着やらを器用にバッグに詰め込んでいた。それも途中で手を止めて、節子は背を向け、ジッと窓の方を向いている。だから剛志は続けて言った。ちょっとした気まずさを意識して、それでも明るい声で節子へ告げる。

「まあ、もちろんそうならないように、俺だって気をつけるから、大丈夫だけどさ……」

 そう言い終わった途端だった。

 節子の声が響き渡って、さらにひと呼吸置いてから、彼女の顔が剛志に向いた。

 いい加減にしてほしい。

 今度そんなことになったなら、

 わたしはあなたと離婚します。

 要約すればこうなるが、その何倍もの言葉が彼女の口から溢れ出た。

 目には涙が溜まり、息を吸うたびに口元がわなわな震えて見える。

 この瞬間、剛志は初めて節子の気持ちを知ったのだ。

 植物状態の男が奇跡的に目を覚まし、なんとか十年間は生きてきた。しかし今後、何かの衝撃でいつなん時、再び眠りに就くかもしれない。

 きっと彼女の心には、片隅にいつでもそんな恐怖があったのだろう。

 ――これからは、節子との生活だけを考えて、生きていくから……。

 そんなことを心に念じ、剛志は心の底から節子に詫びた。

 もう二度と、今回のようなことはやって来ない。すべては終わってしまったし、こうなってしまえば、あとは忘れてしまうくらいしかやることはない。

 そうして最後に、庭がどうなっているかを確認する。もちろん残されたマシンはそのままにして、いつなんどき智子が戻ってきても、使えるようにしておくつもり……などと、そう思っていたのだが、剛志の思う通りにはとことん進んでくれないらしい。

 マシンがあれば、太陽の光ですぐにわかるはずなのだ。ところがいくら目を凝らしても、岩の上にはなんにも見えない。慌てて駆け寄っても同様で、

 ――やっぱり、智子はマシンに乗ったのか?

 マシンがないということは、そういうことになるだろう。

 庭からは出て行かず、彼女はずっとどこかに隠れていた。男たちが逃げ去って、節子が家に入ってか、もしかしたら病院に向かってからかもしれないが、過去から戻ったマシンにきっと智子は乗り込んだのだ。

 それでも、二十年前には戻っていない。

 ならば操作を誤って、二十年未来へ行ったのか?

 二十年後、2003年で待っていれば、再びこの場所に現れるのか?

 そんなことを考えているうちに、新たな疑問が降って湧いたように浮かび上がった。

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