第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(9)

 3 革の袋(9)

 



 この時一瞬、女の子がいなかったかと言いかけるが、もしいたんなら節子が口にしないはずがない。マシンが消えて、あの三人が驚いている間に庭からさっさと逃げ出したのだ。だからきっと、剛志が送り返したマシンは、今も扉の閉まったまま岩の上にあるのだろう。

 あの時、いきなり昭和三十八年の林に戻った彼は、一か八かの決断をした。

 ――このままじゃ、智子はあっちに行きっぱなしになる!

 智子を思えばそうするしかなかったし、マシンが向こうにちゃんと着けば、きっと彼女もこの時代まで戻って来られる。そう信じてマシンを起動させ、剛志は表に飛び出したのだ。

 ところがマシンが戻った時には、智子は庭のどこにもいない。

 幸い帰宅した節子も庭を眺める余裕などなく、大慌てで剛志の担ぎ込まれた病院までやって来た。

 あの時、剛志は自宅のすぐそばで、ひん曲がった自転車と並んで倒れていたらしい。

 そんなところを通りかかって、誰かが救急車を呼んでくれた。財布に入っていた身分証か何かで番号を知ったのか? とにかく家まで電話をかけて、この辺りで一番大きな救急病院の名前を節子に告げた。ところが病院に到着しても、剛志は目を覚まさない。

「身体の方は打撲程度なんだけど、また今度もね、頭をけっこう強く、打ったらしいの……」

 それでも今回は、節子が到着して十五分くらいで意識は戻った。

 ――それで、あんな変なシーンを、俺は見てたのか?

 実際は軽トラックと接触して気を失ったくせに、そのまま自宅に戻った気になっていた。

 であれば、あの四百万はどうなったのか? ショルダーバッグの所在を聞いても、現場には自転車以外、何も残されていなかったらしい。

 ――救急車を呼んでくれた誰かが、中身を知って持ち去ったのか?

 だから名前も名乗らず電話を切った。そう考えれば辻褄は合う。しかし、たとえあの金が戻ってきても、三十六歳の剛志はもうここにはいないのだ。

 すべては剛志の勘違いのせいだ。

 それさえなければ、昨日の夕刻には五百万だって置いておけた。そうすればきっと、時の流れの何かが変わって、あの革袋だってちゃんと姿を見せたのかもしれない。

 あの時、老婆の持ってきた札を眺めて、剛志はすぐに気がついたのだ。

「あれっ」と思って、手に取った札を端から端までじっと眺める。

「ない!」と思うまま、彼は札束をパラパラっとめくった。

 一万円札のどこを眺めても、札束の万札どれもこれも……、

 ――発行年なんて、印字されてないじゃないか!?

 結局、何がどうであろうと同じなのだ。この時代で流通している紙幣でも、昭和三十八年でだって立派に通用する……と知った時にはもう遅かった。

 ――どうして、発行年なんかにこだわったんだ?

 そのせいで、マシンは金のないまま行ってしまった。その後はおんなじことが繰り返されて、きっと今頃はマシンだけが庭にある。

 歴史の流れというものは、何をしようと変わることはない。そんな確信がここに来て、いとも簡単に崩れ去ってしまった。

 剛志はその晩だけ病院に泊まって、次の日の午前中には退院が許される。

 会計やら何やら節子にぜんぶやってもらって、二人はお昼頃には家路に就いた。門の前でタクシーから降りると、車輪のひん曲がった自転車がすぐ目に入る。誰が運んでくれたのかと節子に聞くが、彼女は何も知らないらしい。

 四百万のお礼のつもりか? 到底ありそうもない想像だったが、それ以外に誰が届けるかという気もする。

 ただとにかく、自転車の状態からすれば、たった一晩の入院で済んだことには感謝しなければならないだろう。それからさっさと家に入ろうとする節子へ、剛志はずっと頭にあった言葉を投げかけるのだ。

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