第5章  1973年 プラス10 - 始まりから10年後 〜 3 名井良明として

 3 名井良明として




 まさか! と思った。

 目を開けているのに、閉じているみたいになんにも見えない。もしも身体も動かなければ、あのリハビリも、退院だってぜんぶ妄想だったということになる。

 ――節子さんも、幻だったのか!?

 そう思った途端、彼は一気に起き上がろうとした。

 するとなんとも呆気なく、上半身がヒョイッと浮き上がる。と同時に身体がグラグラっと揺れて、あっと思った時にはドシンと全身に衝撃を受けた。

 それでも、ベッドから落ちた程度って感じだろうか……?

 彼は慌てて絨毯らしき上に両手をついて、それからゆっくり身体を浮かした。そうして辺りをうかがおうとした時、急に地べたが揺れた気がして、身体が左右に大きく揺れる。続いて吐き気が込み上げて、そんなものと一緒に記憶が一気に蘇った。

 ――……だったとしても、ここはいったい、どこなんだ?

 起き上がって見回すが、うっすら見えるものすべてに見覚えがない。

確かに、夕方から酒を飲んだ。

 大した量ではなかったが、外で酒を飲むのは実質九年ぶりくらいになる。

 そのせいなのか? それとも多少は緊張したか?

 とにかく不思議なくらい酔っ払い、途中から見事に記憶が消え失せている。

 ――ちくしょう! あの後、何があったんだ……?

 まさしく突然のことだった。まったくの予想外で驚きだったが、それ以上に今こうしている自分が理解できない。

 病院を退院してから、すでにひと月くらいが経っていた。

 節子の見つけてくれた賃貸マンションに入居して、家具や電化製品の購入から、細々した雑用に至るまで、彼女は何かと手伝ってくれたのだ。

 だから退院してからの半月ほどは、なんだかんだとしょっちゅう節子と顔を合わせた。そうしてようやく生活基盤も整って、節子と会わずに一週間くらいが過ぎた頃だ。特に用事はなかったが、節子に連絡しようと剛志は思う。

 ところが、いざ受話器を手にすると、

 ――なんて言う? どんな理由で、電話をかけたと言えばいい……?

 そんな思いが湧き上がり、彼は何度か、そのまま受話器を置いていた。

 そもそもこの関係とはなんなのか? 病院でいくら親しげに映っていても、実際は手さえ握っていない。彼女の家だって知らないままだ。

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