第5章  1973年 プラス10 - 始まりから10年後 〜 2 岩倉節子(5)

 2 岩倉節子(5)

 



 こんな話を聞いていて、彼女はやっぱり違う時代を生きてきた、と、剛志は何度もそう思うのだ。それでも不思議と気が合ったのは、お互い共通する時代を知っていたからだろう。

 もちろん本当は、そのほとんどが同じ時ではまったくない。

 時の流れとして別々に存在する……昭和という歴史の中の一時代をだ。

 剛志は昭和三十年代に十代を生き、昭和三十八年に戻ってからは、彼女と近しい年齢のまま同じ時を生きている。

「終戦から東京オリンピックの頃までが、やっぱりわたしたちの世代には、一番〝思い出〟深い時代よね……もちろん、良くも悪くもなんだけど……」

 なんてことを言われれば、本当の意味合いは大きく違っているものの、

 ――そうそう、本当にそうだよ。

 といった感じに反応できた。

 そうして出会いからひと月くらい経った頃には、節子と一緒に散歩までするようになる。

 病院の周りをグルッと一周するくらいだが、彼女は病室を訪れるといつも、車椅子に乗せて剛志を外に連れ出してくれた。

 やがてそんなことは、節子の診察日とは関係なくなる。

 二ヶ月も過ぎる頃には、顔を見せない日の方が珍しいくらいになっていた。

 当然、剛志も申し訳なく感じて、さぞ大変だろうと声にすれば、

「ここまで歩いて通うことが、わたしにとっては治療になるの。だから、そんなこと気にしないでください。それにね、名井さんと話していると楽しいから、会いたくなって、ついつい来ちゃうのよね……」

 などと、笑いながらに返してくれる。

 そうしてちょうどその頃だ。節子が剛志の病室に、彼女の担当医と一緒に現れた。

「広瀬先生から、名井さんにお話があるそうですよ」

 節子は剛志の顔を覗き込み、そう言ってから、医師の背後へ隠れるようにスッと下がった。

 目が覚めた時、そばにいてくれたのがこの広瀬という医師だった。

 彼は懐かしげにその時のことを口にして、

「で、名井さん、どうでしょう? リハビリ、そろそろ再開しませんか?」

 満面の笑みのまま、彼は唐突に剛志に向けてそう言った。

 そんな、いきなりの提案に、

 ――これまで、どうしてそうしなかったのか?

 剛志は素直にそう思うのだ。

 それからは、体重が増えただけ骨は折れたが、生まれ変わったように頑張った。

 トレーナーは前と一緒で、もちろんリハビリルームだって変わらない。

 ところが天と地ほどに気分が違った。

 ――こんなにも、違うものなんだな……。

 自分でも驚くくらい、節子の存在によって頑張る気になれる。

 あの頃、高校生になったばかりの彼の周りには、そんな存在がきっとたくさんあったのだ。

 両親や智子はもちろん、嫌っていたあの常連客たちだって、気づいていないだけで剛志の頼もしい味方だった。そして今、まさに天涯孤独の身となって、幸運にも節子という女性が彼の前に現れた。

 さらに彼女はきっと、リハビリのスケジュールを事前に調べていたのだろう。

「さあ、今日はどのくらい歩けるかしら~」

 リハビリの時間が近づくと、そんな声が響いて節子が病室に現れるのだ。倒れ込む剛志を心配そうに見つめながら、いつも最後までリハビリルームに居続ける。

 そうしていつしか二人のことを、周りは夫婦なんだろうと思い始めた。

「奥さん! ご主人、とうとうやりましたよ!」

 節子がトイレから戻ってくると、よく顔を合わす老人が突然そんな声をあげたのだ。

 節子のそばに走り寄り、介助なしで十メートル歩けたとニコニコ顔を見せてくる。

 するとすかさず節子の方も、

「あなた! もうひと踏ん張り、次はそのまま往復よ!」

 なんてことを言って返すもんだから、ますますそう思われたって仕方がない。

 ただそんなわけで、二人の仲はあっという間に病院中に知れ渡った。

 もちろん二人の間に何かがあったわけではない。それどころか実際剛志は、節子がどこに住んでいるかさえ知らなかった。だからたった一度だけ、尋ねたことはあったのだった。

「住まいはホント、ここの近所なんです。そうね、ゆっくり歩いて三十分くらいかしら……」

 そう言って返す節子に、剛志はあえてそれ以上を尋ねなかった。

 それでも病院までが三十分なら、玉川までは行けないだろうが、剛志の暮らした町からだってそうは離れていないだろう。

 ただとにかく、そんな微妙な感じのまま、二人の関係は平穏無事に続いていく。そうして目覚めてから四ヶ月と十日目、七月二十日にめでたく退院の日を迎えることができた。

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