第3章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 5 過去と未来(9)

 5 過去と未来(9)




「結婚は、してるの?」

「いや、してない。未だ、独身……」

「三十六歳なんでしょ? その歳で結婚してないなんて変じゃない……あ、もしかして、離婚したの?」

「離婚? 離婚なんかしてないよ……結婚も、離婚もしてない……」

 はっきり言って寝ぼけていた。

 だからこの後もいろいろと聞かれたが、うまい具合に答えられたか自信がない。

 やっとのことで眠りについて、二時間くらいが経った頃か……、

「ねえ、起きてください!」

 そんな声が響いて、剛志は慌てて飛び起きたのだ。

 すると目の前に智子が立って、いきなり結婚してるかなどと聞いてくる。そして剛志同様、きっと彼女も寝ていないのだ。赤い目をした智子は「起きろ」と言って、睨みつけるような目を剛志に向けた。

 そうしてさんざん質問を受けてから、剛志は顔を洗ってコーヒーを淹れた。智子をソファーに座らせて、頭で必死に考えながらおおよそ真実を告白する。

 どうして剛志であると隠したか? あの庭に居合わせた経緯は何か? など、智子の両親について以外は本当のことを話していった。

 その間、智子はずっと不機嫌だ。相槌どころか剛志と視線も合わさない。

 ところがだった。あの事件の核心について話し出した途端、智子の顔色が一気に変わった。と一緒にそれまでの厳しい態度も潮が引くように消え失せる。

「……結局、僕は三日間留置場に入れられてね、もし、あの写真が送られてこなかったら、本当に、殺人犯にされていたかもしれないよ……」

 そう言って笑う剛志に、智子は目をまん丸にして、口だけをパクパクと動かした。

「だからね、その写真に写っていた男から、伊藤さんは逃げてたんじゃないかって思うんだ。どんな理由によってなのかはわからないけど、とにかく結果的に見つかって、彼はあの場所で殺されてしまった。もしかするとさ、火事からっていうより、そいつから遠ざけたんじゃないかな? そのために、智子ちゃんのことをあそこに入れた……とかさ。そしてその時、運悪く手違いが起こって、君はこの二十年後に来てしまう。この辺は想像ばかりだから、本当のところは、よくわからないんだけど……」

 昭和三十八年と1938年。こんな勘違いのような単純ミスで、今こうなっているのかもしれない。もちろんそうであっても不思議はないが、まるで見当違いだっていう可能性も十二分にあるだろう。

 さらに剛志が話したどれよりも、智子は伊藤の死がよほどショックのようだった。

 男の振り下ろしたひと突きで、智子を救おうとした伊藤があの林で死んでいた。そんな事実は一瞬にして、剛志への怒りを小さなものにしてしまったようだ。

 そうして伊藤の死を知ってから、智子の態度は大きく変わった。

「今にも、死にそうだって時に、伊藤さんは……わたしのことを必死になって、伝えてくれたのね。そして剛志、……さんが、あの日わたしを追ってきてくれなかったら、わたしは今頃、この時代でたった一人っきり。きっと昨日のマンションを目にして、自分が狂ってしまったと思ってるわ。そして、今頃は警察? ううん? 違うな……きっと精神病院とかに入れられちゃってるかもしれない。とにかくわたしは、伊藤さんと剛志さんのおかげで、今、こうして自由でいられるってこと、なのよね……」

 そう言ってから、智子は暫し押し黙った。それから大きく息を吸い、俯き加減だった顔を剛志に向けて、そうして彼女は深々頭を下げたのだった。

 そしてとにかく、自分より、子供だくらいに思っていた剛志が、いきなり三十六歳で現れた。となれば一時、その接し方には戸惑ったりもするはずだ。

 ところが案ずるより産むが易しという感じだろうか?

 それからは、〝剛志くん〟が〝剛志さん〟に変わった以外、まるで昔の二人に戻ったような感じとなる。多少言葉遣いは丁寧ではあるが、それだって昨日までとは大違いだ。

剛志に対する感謝の気持ちが、そんな態度となって表れたのか? とにかく智子は、剛志の説明がひと区切りついて、今度は一気に剛志のことを質問ぜめにした。

 わたしがいなくなった後、いったいどういう人生だったか?

 大学には行ったのか? 仕事は何をしているんだと聞いて、剛志が大学名を声にした時、智子の喜びようこそ凄まじかった。

「すごい! 一流大学じゃない! そうでしょ? やっぱりな! 剛志くん頭がいいって思ってたんだから、わたしはずっと前からね~」

 嬉しそうにそう言われ、剛志はなんとも気恥ずかしい。

「そんなことないって、それにあの時、合格したって日の夜にね、アブさんが店で言いまくってたよ。合格だって聞いてさ、地震と雷、いや、大雪だったかな? とにかくさ、俺のせいでそんな災難が一気に起きるからって、さんざん言いたいこと言って、店の酒飲みまくってたよ……」

「アブさんね……。きっとアブさんだって嬉しかったんだよ、アブさんらしいじゃない? そんな言い方するなんて。でも、あの人たちって、今頃どうしてるのかな……?」

 次から次へと……智子の質問が止まらない。

 剛志はそんな問いかけに、みんな元気だなんて返しつつ、

 ――またフナさんの店に行って、みんながどうしてるか聞いてみないといけないな……。

 なんてことを心でこそっと思っていた。

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