第5章 家族


 ロボットは、自分では処理できない予測不能な事態に陥った時ショート(機能停止)する。当然、一度そうなれば修理されない限りニ度と機能しない。だからそうならないように、開発者はあらかじめロボットにとって害になる物事や情報を取り除くのだ。

 けれどそれは完璧ではない。

 ましてや“自立したロボット”ならば、開発者でも想定できない行動をすることがある。

 その結果を、僕は今見下ろしていた。


「……」


 時間的に朔が使った後なのだろう。風呂場は水で濡れていた。


 そして床に転がっている、ところどころ塗装の剥げたロボット。数時間前にショートされている。


「……はぁ」


 僕はクチャッと前髪をかき上げ、ため息をこぼした。

 この光景は何度見ても慣れない。

“心”を持っている分たちが悪い。

 まあ僕が仕組んだことなんだけど、と僕は肩をすくめた。


「……」


 僕はポケットからスマホを取り出して電話マークをタップすると、耳にあてた。

 さっき会ったけどもう寝てる頃かなと考えていると、相手は三コール目で出た。


『……ん、何?兄さん』

「あ、起きてた?」

『起きてたって……今昼だぞ? さすがに寝てない』

「いつもは寝てるじゃん」

『休日は眠くならないんだよ』


 その言葉に僕はクスッと笑った。


「それ、普通逆じゃない?」

『別にいいだろ……。そんなことで電話してきたのかよ?』


 少し拗ねたようなその声に、僕は違うよと答える。



「……壊した」



 それで聡い弟には通じたようだ。今どこ、と短く返してくる。


「風呂場」

『は?風呂場?……今行く』


 プツンと切れたスマホをしまい、僕は壁に背を預けた。

 見渡せば、いつも通りの風呂場だ。何の変哲もない、どこの家庭にもあるようなもの。


 でも“あれ”の目には違えように見えたんだな、と僕は想像する。

 水も鏡も知らない。そんな彼からしたらここは得体の知れないものだらけの場所だろう。そこでエラーを起こすのも納得できる。


 ……これで何度目だろう。“あれ”がショートするのは。


 ガチャッと音がして、僕の横にあるドアが開いた。


「兄さん」


 入ってきた朔は僕を見た後床に目を落とし、僅かに眉を寄せる。


「……今回は遅かったな」

「ちょっと手こずった。父さんたちのガード強くて」

「ああ……」


“それ”を見る朔の瞳には何の感情も浮かんでいない。ただ見下ろすだけ。

 当たり前だ。“これ”は僕と朔にとってロボット以外の何者でもないのだから。


 いや、と僕は思い直す。


“これ”は、僕たちにはいらない存在だ。


「なあ、兄さん」


 静かに、朔が口を開いた。


「……いつまで続くの?」


 僕はハッとして朔を見た。

 暗くない。けれど明るくもない。そんな表情で朔は僕の瞳を見返している。


 ……いつまで続くのだろう。


 僕も聞きたかった。知りたかった。

 いつになったら。何回繰り返したら。

 栄一郎と藍子は諦めてくれるのだろうか。

“湊”は、何度殺されなくてはいけないのだろうか?


 僕はグッと拳を握った。


 栄一郎と藍子がロボットを作る度に、湊の居場所は奪われてしまう。偽物に取られてしまう。湊は湊で、ロボットなんかで代用することなんてできないのに。

 だから僕は壊してきた。やめてほしかったから。湊を殺さないでほしかったから。

 でも変わらなかった。

 いつまで続ければいいのだろう?

 栄一郎たちが作ったロボットを壊して、また作られたものを壊して。この日々はいつ終わるのだろう?


「兄さん……もう止めていいよ」


 え、と僕は目を見開いた。


「終わらないんだろ。ならもういいから」

「朔……」

「兄さん無理してるだろ。……最近ずっと、死にそうな顔してる」


 兄さんまでいなくなったら俺は……と、朔は顔を辛そうに歪める。

 今にも泣きそうなその表情は、普段の彼からは想像できないほど幼く僕の目に映った。

 しっかりしていてもまだ中学ニ年生なのだと、そう改めて僕は感じた。


「……そうだね」


 疲れているのかもしれない。

 こんな無駄なこと止めた方がいいのだろう。


「でも、僕は止めないよ」


 そう言って僅かに微笑んだ僕に、朔は何で、と少し掠れた声を発した。


「何でそこまで……」

「湊に悪いから」


 ビクッと肩を揺らす朔。


「あの日、僕は何もできなかったから。せめてこの家に湊の居場所を残しておきたいんだ」

「でも、あの事故は俺が飛び出したからだ! 兄さんのせいじゃっ……!」

「僕がいたからでしょ?」


 当時中学ニ年生だった湊と小学六年生だった朔。その日ニ人はたまたま帰りが一緒になり、そんなニ人を、高校一年生になったばかりで早く帰ってきていた僕は迎えに行った。交差点の反対側にニ人を見つけ手を振ると、朔が笑顔で駆け寄ってきて――横断歩道を渡った時、車が突っ込んできたのだ。

 湊が咄嗟に突き飛ばしたことで朔は助かった。

 けれど湊は代わりに……


 反対側にいた僕は何もできなかった。

 今でも思う。あの時手を振らなければ。迎えに行かなければ。湊は助かった。

 けれどそれは朔も同じだった。

 あの時走らなければ、と。自分のせいで、と。そう自分を責め続けているのを僕は知っている。


 僕は、湊も朔も助けられなかったのだ。

 そんな自分にできることはこれくらいしかない。


「朔。僕はね、もう……思い出せないんだ。湊を」


 僕の言葉に、朔は何を言っているのかわからないと言いたげな表情を浮かべる。

 僕はそっと視線を床に落とした。


「笑っている顔が思い出せない。それだけじゃなくて、楽しんでる湊を思い出そうとすると靄がかかっているみたいではっきりしないんだ」


 ねえ、朔。


「湊は僕のことを恨んでるかな」


 栄一郎たちを止められない、こんな情けない兄を今も慕ってくれているだろうか。

 ニ年経っても無力な兄を、受け入れてくれるだろうか。


「……湊兄さんは、兄さんを嫌わないよ」


 朔の言葉に僕は顔を上げた。


「何があっても。俺たちにとって兄さんは兄さんだ。それが変わることは絶対にない」

「……朔」

「俺も一緒にやる。兄さんだけが背負う必要なんてない。次からは、俺も一緒にやる」


 朔の瞳はまっすぐだった。

 まっすぐに、思いを伝えてくれている。

 もう何を考えているのかもわからなくなったあの人たちとは違う。



 ━━家族だと、思える存在。



「……兄さん?」


 朔の戸惑った声が聞こえて初めて、自分が泣いていることに気づいた。


「兄さん、俺何か嫌なこと言った……?」

「ううん、違う。……違うよ」


 違うんだと僕は笑った。

 声はみっともなく震えてしまっているし、眉は情けないくらいに下がっていて上がってくれない。

 なんて頼りないんだと自分でも思う。でもそれ以上に、嬉しい。

 朔がいてくれることに。

 まだ家族がここにいることに。

 改めて実感したことで、今まで堪えていたものが全部溢れてしまいそうだった。


「朔……」


 手を伸ばして、僕はぎゅっと弟を抱き締めた。


「朔、ありがとう」


 こんな僕と、一緒にいてくれて。

 ありがとう。


「……っ」


 腕の中にある体が僅かに震え、背中に回された手に力が込もった。

 それに負けないよう、僕もさらに力を込めて。


「……行こっか」


 栄一郎と藍子は必ずまた動き出す。

 だから僕たちも行かなきゃ。


 そっと身を離せば、朔は力強く頷いてくれた。




 ……守るんだ。


 大切な家族を。大切な弟の居場所を。


 いつかこの連鎖が途切れるように。






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