第5話 小人の靴屋さん
私の交代人格の中に”ママ”と呼んでもいいほど生活のほとんどを担ってくれた存在がいる。よく小人の靴屋さんに出てくる小人のような存在だなぁと、私は思っていた。
子供たちがまだ小さかったころ、保育園から帰って、子供たちの食事やらお風呂屋らの世話をして、寝かしつけた後、夜の番を私の実の弟(一緒に住んでいた居候)に任せて、私は、水商売で働いていた。離婚をして、とにかく、お金がなかった私は、昼の仕事と夜のバイトで日々慌ただしい日常を送っていた。
夜中に疲れて帰って直行で布団で眠ったはずなのに、なぜか、朝起きた時には「まだ洗っていなかった洗濯がキレイに終わっていたり、自分をお風呂に入れた形跡があったり、子供たちが既に保育園に行く準備が整っていたり」とまさか弟がやってくれた???と思うような不思議なことが続いていたことがあった。
まぁ、酔っぱらったまま、無意識で子供たちの世話をしていたってことで、解決!
みたいに思っていたが、ふつうに寝てしまった「やばっ!」と、思う日も、なぜかこんな風に家事が終わっていることは珍しくなかった。ちょっと考えると怖いけど、どんな風だったか、子供たちに聞くと、別に、ふつうにママがやってくれていたよと言うだけで、変わったことはない。弟は、家事には手を出していないと言った。
記憶がないだけに、なんだかラッキーなのかどうなのかもわからんが、とにかく家事を世話してくれている人格でもいたのだろうか。
今、出てきてくれたらうれしいのに、もう今はいないのか。そうそう都合よくは、出てきてはくれないようだ。
子供たちが小さいころによく現れた人格なので、私は、ママと呼んでいる。
ママが遊んでくれていたころの子供たちの記憶を私は持っていない。子供たちと一緒に朝まで寝た記憶や、自分の意志で家事をしていた時の記憶は、少しはあるものの、大半をママが過ごしてくれていたのか、小さなころの子供たちの記憶が、「夕方~寝かしつけるまで」か、「不思議な朝」「不思議でない、いつもの朝」に限定されている。なんだか寂しいが、子供たちにとっては、よかったのか。今日はママがいっぱい遊んでくれたから、と言って眠るわが子を見ながら、不思議な感覚にただただ襲われていた。まだ、人格交代が行われていると知らなかったころの私。
知らない間にママに助けられていた。
小人の靴屋さん、これって解離のおはなしなのかしら。
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