第4話 EMDRという名の治療

 精神病院に通い始めたきっかけは、もうあまり覚えていないが、おそらく離婚のときの元旦那の行動に対するショックからとにかく離れたいと思ったことがきっかけか、、、あるいは、ADHDの薬の処方が精神科だったからなのか、、、、先生に聞けば、経緯が分かると思うが、わたしには自分のカルテ(記憶)というものがそもそも存在しないのでわからない。

 私の人生が本に書かれていると例えるなら、目次とあらすじだけをすでに読んで知っている感覚。おおよその目次でいうところの真ん中あたりに「EMDR」という治療がかかれている。この治療が、良かったのか悪かったのかは、不明だが、何人かの人格が統合されたことにちがいないと先生は言った。ただ、統合されたというよりも、記憶が残らなかった子たちに関して言えば、ただ消滅したといってもいいのだと私は思う。消えた子たちが一体誰だったのか。何のために私の中にいて、何をしてくれていたのか。メモを残しておけばよかったと、いまさらになってそう思う。


 EMDRをしているとき、”今ここにいてこれを書いている私”は、傍観者だった。

先生が、指を追ってと言って、私は指示に従い何かをしていた。

また、ある時は、先生が「心の中の会議室」がどうとか「螺旋階段を降りていって、その先に何が見える?」とか何か言っていたように覚えている。


 ふと思ったんだが、フィクションでエッセイのようなものを書くときに、一語一句セリフのようなものを書いている方々がいる。それは、創造なのか真実なのか、どっちで書いているのが多いんだろうか。そこまで記憶というものは、ふつうは覚えているものなのだろうか。だとすれば、私にはまだ治療が必要だ。私からすれば、昨日、おそらく言われたであろう嫌な一言さえ、記憶には残っていない。嫌なことを言われたということだけ、覚えている感じである。嫌なセリフですら、繰り返していなければ5分で忘れる。解離だと知らされる前の私は、若年性アルツハイマーになったにちがいないと信じていた。


 話を戻すと、、、 目を瞑って螺旋階段を降りると、そこには大きなテーブルがあって、たくさんの仲間がいた。アキナは、必ず出席していた。奥には、鉄格子のようなものが見え、中には特別な子たちがいた。(俗にいう、悪い嫌な記憶を持つ者たちだ)一人はまだ子供で、(いつ見ても子供5歳くらいの格好をしていて背も低い)いつも小さなぬいぐるみを抱えて立っていた。もう一人は、私同じように歳をとるタイプの人で、今にも死にそうな面持ちで、希死念慮というやつを抱えている。


なんだか、想像のはなしに思えるかもしれないが、私の中の唯一信じられる事実なので、否定はしたくない。当時のメモには、たくさんの筆跡と、多くの事象が描かれていた。あるとき、まだ理解ができていなかったころ。気持ち悪くて捨てたあのノートの中に、おそらく私のほとんどが詰まっていたに違いない。


先生の指示で、よく会議をした。指示がなくてもあの頃の私は、車の中でよくアキナと話をしていたが、他の者たちと会う機会はめったになかった。

会議の内容こそ覚えていないが、時間いっぱいまで話していたように思う。

だって、診断室に入って、終わり!と思う頃にはいつも1時間ほどが経過していた。

今更ながら「先生、、、録音か録画かなんか方法あったでしょ?記録しといてよね。」なんて、思ってみたり。


とにかく、こうして、会議をしていくうちに、きっと必要のない人格を先生が消滅させていったのだと理解している。


ちがったりして、、、笑

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