小野山くんと真城さん、それから呂村さんと来城くんが少し

 春休みの研究室は私を萌え殺すのかというほどの空気に満ちていた。


 昼下がりの眠たい陽気にも負けない、ぽやぽやとした来城らいじょう先輩が来たのはついさっきのこと。

 彼の登場で、まず室内の空気が変わった。ふいに響いたノックに顔をひそめていたすず先輩の背がピンとのびる。美人と評判の横顔は心なしか赤い。

 来城先輩は同じ学科だけど、ゼミが違う。研究室でも間違えたのだろうかと子供みたいな心配をするが、それが彼には当てはまるのだ。体は熊のように大きいのに、ぽやぽやとした雰囲気のせいで少しも威圧感はない。たまにボケたこともする。来城先輩は私達の姿に驚きもせず、にっこり笑顔で紙袋を握った手を示した。


「桜餅、好きでしょ?」

「す、好きだけど、何しに来たのよ」


 いつもなら、噛まないすず先輩が必死に平静を取りつくろおうとしている。

 彼らの後輩ではあるが、目の前の幼馴染み達とも二年の付き合いだ。この犬も食わない状況にも慣れたもので、私は空気に徹することにした。


「商店街の方に行ったらさ、桜フェアしてたから買っちゃった」


 来城先輩は買っちゃったと言っても許される系男子なのだ。恐るべし。


「あ、真城ましろさんの分もあるよ」


 来城先輩は私の存在を忘れていなかったらしい。

 すず先輩の肩がぴくりとふるえ、ぎこちない顔が振り返る。

 私、ここに必要? むしろ、不要じゃない? 二人でよろしくやればいいんじゃないかな?

 なけなしの気合いで笑顔を作るが、心の中は嵐が吹き荒れている。もちろん、私の心を削り取るものだ。


「桜餅いいですねー。私、飲み物、買ってきますねー」


 我ながら機転の利いた提案で研究室から逃げ出した。忘れずに、先に食べてていいですよ、という言葉も付け加える。

 しばらく時間が空いても、自販機に好きな物がなかったから遠くまで行ってきたとごまかしても問題ないだろう。

 というわけで、学部棟の入口でも出口でもない脇にある扉から抜け出す。室内から見た日差しはあたたかそうと思ったが、建物の影は案外さむかった。早足で抜けて、あてもなく自販機を探す。せっかくだから、ホットのほうじ茶を探そう。ミルクティーやホットコーヒー、緑茶はあるのに、意外とないんだよね。

 すず先輩の前ではできなかった、携帯チェックもする。目的のページを開いて、いつも通りにやけてしまった。こんな顔、二次元に興味の薄い彼女には見せれない。

 私の最推し、『高潔の理系男子』こと玄夜げんや様は今日も元気に無表情だ。くせのない黒髪に、つり目がちで涼やかな目元。前髪とバランスが絶妙な眼鏡のポジション。何といっても感情のとぼしいかんばせが麗しい。いつもいつも、ゲームのマイルームを飾る彼に癒される。他にもたくさんイケメンはいるけど、私にしてみたら玄夜様以上はいない。

 あたたかい陽気に反して、学内の木々は枝ばかりで寒ざむしい。首と髪の隙間を通り抜ける風も冷たくて、背を丸めて歩く。ちょっと寒いけど、いいのだ、玄夜様で心は寒くないから。早く、ホワイトデーイベント始まらないかなと思っていると、前方に人の気配を感じた。ぶつかってはいけないと顔を上げるとスーツ姿の玄夜様がいる。

 私、あまりにも強く願いすぎてゲームの世界に入っちゃったのかな。しかも、スーツ姿。ごほうびかな。


「真城さん、こんにちは」

「こん、にち、は」


 反射で答えて、脳内でボケた頭をはり倒す。玄夜様がゲームから飛び出してリアルな感じになったら、こんな感じだろうなぁ、通り越して、むしろ玄夜様のモデルかな、と思えるぐらいに完璧を通り越した完璧が三次元にいた。

 小野山おのやまさんだ。近くのスーパーでレジ打ったり、商品並べたり、鰻を焼いたりする小野山さんだ。脳裏にスチルのように保管された姿を思い出して、冷静さは……取り戻せなかった。そのコレクションにスーツ姿も追加保管する。


「す、スーツで、何かあったんですか?」


 気になりすぎて訊いてしまった質問に、小野山さんは不思議そうに瞬いた。ああ、と確認するように自分の姿を見て、答えてくれる。


「論文の発表があって、発表者はスーツって決まりなんだ、うち」

「それはそれは、お疲れ様です」


 小野山さんのゼミ、ナイス! 部外者の私が言うのもおかしいんだろうけど、ありがとう!! もう一度言う!! ありがとう!! 隠れガッツポーズをして、涙を我慢している私はふと思い出す。小野山さんがこの三月に卒業してしまうことに。


「あの、小野山さん」

「なんだ?」

「卒業されても、スーパーオノヤマに行ったら、会えます、よね?」

「そればっかりはわからないな」


 ぼそぼそと聞いてしまったが、小野山さんは律儀に答えくれる。少しだけ眉間にしわを寄せて難しい顔で。

 私の脳内では、さっきの言葉がリピート再生かつスローモーション。もしかしたら、小野山さんに会えるのは今日が最後かもしれない。目の前が真っ暗なのか、なんなのか、いや、もう嘘だと視界が一変してほしい。


「食品メーカーに決まったから、祝日は休みだと思うが、店を手伝えるかわからないんだ。仕事に慣れるまでは、店の手伝いはできないかもしれない」


 繁忙期ぐらいは顔を出したいけど、と表情をぴくりとも変えずに話す小野山さんは相変わらずの不変のテンションだ。私にその強靭なテンションを教授してほしい。

 一喜一憂する私のことなんて気付かないのか、興味がないのか。それでも揺るがない小野山さんが大好きな私の心は震えていた。

 きっとまた、小野山さんに会えると信じて。


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