沈黙に積雪――二月号

 部活終わりの更衣室。今日の片付け当番を済ませて、俺達は更衣室で着替えていた。


「なぁ、柴田」


 呼ばれたから振り返ったのに、谷隅たにすみは深刻そうな顔を伏せたままだ。しばらく待ってみたが、なかなか話さないのでマフラーを首に巻いた。深い緑のもので、クリスマスに彼女悠里にもらったものだ。

 谷隅はまだ何も言わない。そんなに大切なことなのだろうか。


「合同企業説明会、一緒に行かね?」


 放って帰ろうと思った矢先に言われた。


「いいよ」

「いいよ、てどっちのいい?! 了承の方?! それとも、遠慮の方?!」

「……一緒に行くよ」


 どうも俺の言い方は受け取り側に誤解をまねくらしい。テンションが低いつもりはないのに、テンションひくっと吐き捨てられることなんてざらだ。逆に明るめの雰囲気の奴や、浮き沈みが激しい奴は離れていくものだが、谷隅はなぜか俺によく絡む。


「急なんだけどさ、説明会……明日なんだよね」


 決まり悪そうな顔でゆるく笑う谷隅を見て、ああ、言いよどんでいたのはそのせいかと合点がついた。

 明日は祝日。居酒屋は休みの前日がかきいれ時だ。今日のシフトはあるが、明日はない。同じバイト先に世話になっている悠里は明日も出勤なので、俺は暇を持てあましていた。


「いいよ……バイトも入ってないし、予定もない」


 いいよ、だけでは伝わらないような気がしてちゃんと理由もつける。

 まだ、谷隅はすっきりしていない顔をしていた。こんなに歯切れが悪いなんて珍しい。

 黙って待っていると、床の板目を端から端まで眺めるように視線を泳がした奴は、力のない愛想笑いを顔に貼り付けた。


「金欠でさ。車、出してくんない?」


 車を出すなら、駐車場をちゃんと調べないといけない。年始の人混みをなめてかかったら、駐車待ちに一時間近く取られた。この地域で一番混む神社と知ったのは帰って数日たってからだ。

 こっちは計画を立てているだけなのに、なぜか谷隅が焦り始めた。ほら、ガソリン代とか昼代なら払うし、なんなら俺も運転するし。とよく回る舌で話している。

 そんなに焦る必要があるだろうかと思いながら、問う。


「何処まで?」


 なぜか拝んでいる谷隅が瞬きをしながら顔を上げた。間抜けな顔から言葉がこぼれる。


「博多のやつ。柴田も気になるって言ってただろ?」

「博多か」


 繰り返しながら、地図を思い浮かべる。会場まで駅から歩いて十分と書いてあったから、駐車場に困ることもないだろう。博多ぐらいなら、三時間を見とけば行けるか。下関まで一時間ちょいで行けたし。橋を渡ったらどれくらいかわからないから、調べる必要があるな。ああ、それから、ETCも準備しないと。

 俺が携帯を取り出すと、なぜか谷隅はびくりと震え、青春18きっぷが使えるならさぁ、安く行けるんだけど、とか騒いでいる。あいかわらず、にぎやかな奴だ。

 今、言うべきことなのかわからないことを言うのはいつものことなので、聞き流しつつ、現在地から、博多駅までの経路を検索する。二時間ちょい。思ったより、はやく行くみたいだ。

 問題は開始時間。


「何時から?」

「十時だけど、俺の予約は昼からだから」


 急がないし、と続く声は尻すぼみだ。

 何もした覚えはないのだが、叱られた犬のような顔をしている。どうした、谷隅。


「俺のとこに七時集合でいい?」

「え、行ってくれんの?!」

「そのつもりだけど」

「いやいや、いつもより声が低い気がしてさぁ。嫌なのかと思ったよ」


 なるほど、考え事をしていたから、声がこもっていたのかもしれない。

 俺はため息混じりに谷隅に言ってやる。


「興味あったし、行きたくないなら最初に断る」

「そうだよなぁ! おまえ、そういうヤツだもんなぁ」


 ばしばしと肩を叩かれる。

 元気の良すぎる谷隅が帰ってきた。いや、どこにも行ってなかっただろうが。

 運転中もこんな感じに絡まれるなのだろうかと想像しなくても思い浮かべることができる。車内の音楽は何もいらなさそうだ。

 着替えにもたつく谷隅を置いて、更衣室を出ると途端に冷えが襲ってきた。今までいた場所も十二分に寒かったのに、不思議なものだ。もうすぐ、三月だというのに影も形も感じられない。

 四月には四回生だ、去年であらかたの単位は取ったので、今年の後期は専門講義もだけだ。一月二月は過ぎるのがはやい気がするのはテストや課題のせいではない。担当教授の地味で地道で時々、無性に投げ出したくなる無限地獄の実験に付き合わされたからだ。小学校よりも中学、中学よりも高校、高校よりも大学になると時間が過ぎるのがはやいのは気のせいだろうか。

 院に進むこともできるが、社会人になりたいという願望もある。社会人になったら、もっと時間が進むのがはやくなるのだろうか。とてももったいないような気がする。

 白い息を見つめながら、思考を転がしていると谷隅が更衣室から出てきた。

 後は弓道場の鍵をしめて返すだけだ。連れだって、玄関をあける。

 沈黙が落ちた。冷たすぎる風が二人の間をすり抜けていく。

 俺達の目の前にはテレビでしか見たことがないような、白い世界が広がっていた。風が強く、白いつぶてが顔や体に突進してくるようだ。

 空から降ってきたもので、地面は埋め尽くされていた。言い直すなら、今も降り積もっている。ものすごい勢いで。


「明日、やめとこうや」


 谷隅の低い声に、俺は無言で頷いた。

 出かける時は、駐車場と経路の算段も大切だが、天気も忘れてはならないと頭に刻んだ。



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