きょうを読むひと――十一月号

 代わり映えしないような世界に変化を見つけるのは嫌いじゃない。仕事でつける申し送りも苦じゃなかった。月、日の間に数字をねじ込んで目についたことを書く、それだけだ。

 30分開始なのに『時』の項目しかないのは、いい加減なおしてほしい。雑な支部長に何度か言ったが直らないのも事実で、いい加減、面倒なので放っている。『分』を書かないのは意趣返しだ。




実施日  11月15日(月) 18時30

場所   防山さきやま

クラス  中二数学

指導範囲 連立方程式 14~22P

申し送り

 連立方程式の復習は終了。次回から文章問題に入る。

 安井が部活のため、授業に遅れてきた。遅れる場合は連絡するように伝える。

 平林が理解が乏しいように思える。まず、公式を暗記しろとは言ったが、暗記する意義を感じないのか、訳がわからないという顔をしていた。気にかけて授業を進める予定。



「先生、何してるのー」

「あー? 申し送り……日誌だ、日誌。お前らもするだろ。学校に毎日、提出するやつ」

「なにそれ」

「……日々のこと書いて、学校の先生が毎日チェックするやつだ」

「小学生でしてた、かも?」

「中学はしないのか」

「しないよ。書くわけないじゃん」

「書くことないのか」

「ないこともないけどー。先生にいちいち言うことでもないでしょ」

「まぁ、赤の他人だしな」

「そーいうこと。先生って真面目なこと言わないよね」

「どーも、誉め言葉として受け取っとくわ」


 安井は気楽なもので、手を振って帰っていく。中学生はあんな風に話すものなのだろうか。

 俺の場合、時間ぎりぎりに塾に行って、終わったらさっさと帰っていた気がする。高校しか世話になってないが。

 ふと思い浮かんだ言葉を書き足す。


――なお、安井は反省した様子がないので要注意。



( θ_θ) Ф‥‥



実施日  11月16日(火) 17時

場所   南府なふ

クラス  小五算数

指導範囲 割合の基礎 45~48P

申し送り

 本日の予定であった、割合の基礎は終了。

 今週の土曜日が合唱会のせいか、浮き足だっている。授業は真面目に受けてはくれるが休憩時間には「先生の時は何歌ったの」と聞かれた。「覚えてない」と答えたら、ブーイングの嵐だったので、覚えのある人はきちんと答えた方がいい。



「カントリー・ロード」

「このみぃーちー」

「ずぅーとっゆけぇばー」

「次の授業があるんだ、帰れよ」

「はぁい」

「しょーがないなぁ」

「先生にもカントリー・ロードある?」

「何だそりゃ」

「学校の先生がね、皆さんもカントリー・ロードを作ってくださいね、て言ってた」

「先生の話し方って、こわいよね」

「慣れたけどね」

「……てめぇら、話をまとめやがれ」

「「「こわぁぁあい!」」」


 感心するほど、ぴったり揃った声に辟易とする。俺の底意地の悪さがわかったなら結構だ。

 追い払うように彼らを閉め出した。



( θ_θ) Ф‥‥



実施日  11月17日(水) 18時30

場所   南府校

クラス  中一数学

指導範囲 正の数負の数 50~56P

申し送り

 グラフや表を使った正の数 負の数の授業を行った。

 文字では理解していた生徒も頭を捻っていたし、逆にわかっていなかった生徒が身近に感じたようで急に飲みこみが早くなった。前者は藤木、後者は南だ。理解度、理解の仕方に個性が出ているように思える。



「数学ってさ、なにしてるのか不思議だったけど、気温ならわかるよ。先生、俺、数学好きになったかも」

「そりゃよかった。マイナスの計算はその方がわかりやすいしな」

「でさ、何でマイナスからマイナスしたら、プラスになるわけ?」

「絶対値にしろっていっただろ。負の数を引くわけだから負の数は正の数になるって、お前に言っても意味わかんないだろ?」

「ソダネ」

「覚悟しろ、来週は掛け算だ」

「ええーーっ」

「世界の真理を求めんな。数学の世界は法則に縛られた理想のもんなんだよ。諦めた方がはやい」

「教師が諦めろって言うなよぉ」

「世界の真理を諦めたから、数学の教師になってんだよ」

「屁理屈だぁああ」


 泣きべそをたれる南は世界に絶望しているようだ。それはそれ、これはこれと割りきれと言ってもわからない奴だ。理解できなくもないから、放っておいた。他人がしてやる世話でもない。

 持っていたペンを再び動かす。


――南は数学の法則に翻弄されている節がある。根気よく教える必要がありそうだ。



( θ_θ) Ф‥‥



実施日  11月18日(木) 17時

場所   南府校

クラス  小五理科

指導範囲 電磁石の性質 18~23P

申し送り

 予定通り、電磁石の性質を終了。

 藤木は姉が自由研究で金属の違いによる電磁石の変化をしていたらしい。前の授業で、水の働きをしたせいか、土地の違いによる川の特徴や利用を調べたいと言っていた。姉妹揃って、勉強熱心だ。



「先生、問題のプリントください」

「ドウゾ」

「……」

「どうした?」

「これ、やったことあります……」

「……たく、わあったよ。今度、新しいの持ってきてやる」

「秀啓堂と、サイエンスファクトリー、ワールド出版はもうやりました。それ以外でお願いします」

「……善処する」


 お願いします、と一礼して藤木は出ていった。

 さっき言われた出版社は事務所にある問題集ばかりだ。大学の研究室から、それっぽいのかっさらってきてやろうか。最悪、自分で作ることになるだろう。面倒だが、仕方がない。



( θ_θ) Ф‥‥



 11月19日金曜日、今日は休みだ。俺が受け持つ授業はない。開きっぱなしになっていたノートパソコンを再起動させようとして、やっぱりやめた。

 節々をのばせば、ごきりとおおよそ人間の体から生まれないような音が聞こえる。シャワーを浴びただけで、ここ最近は湯船につかっていない。


「風呂、行くか」


 昼飯代わりに、食べ損ねたサンドイッチをかじる。かばんにタオルと着替えの服を適当にぶちこみ、スウェットのまま、部屋を出た。無駄な信号待ちや駐車するのがわずらしく思えて、所々錆び付いた自転車にまたがる。

 ついた日帰り専門の温泉は平日のせいか、人はまばらだ。一番シンプルなプランを券売機で買って、カウンターに進む。

 ふわふわの髪をうなじの横で無造作に結んだ従業員に対応された。どこかで見た覚えがあったが、女は髪型でころころと印象が変わるのだ。白い肌に桃色の頬、リスのような瞳。ますます見覚えのあるような気がしたが、かなり遠い記憶だろう。思い出せない。


「やっぱり、帰ります?」


 目の前で対応する女は小首をかしげた。実際、前にも風呂に入らずに帰ったことがある。頭の中に文字が溢れてきたからだ。それを書き留めたくて、慌てて来た道を引き返した。

 その時の従業員か。いや、あの時は野郎だった気がする。

 カウンターに置かれたロッカーキーを乱暴に取って、温泉に向かった。

 服を脱ぎ捨て体を洗い、風呂のふちに頭をのせる。周りはじじぃばかりで、サウナに吸い込まれていく。騒ぎ立てる子供もいない。気を使うことなく四肢をのばせるのが平日休みのいいところだ。

 血の巡りのついでに頭の巡りもよくなったはずなのに、話が一つも思い付かない。目をつむり、首をひねっても足首を回しても気持ちがいいだけだ。

 湯だる前に上がって、新しいスウェットに着替えた。ショーケースから牛乳ビン片手にカウンターに向かう。

 二〇〇円を出したら、


「一五〇円です」


 レジを打たずして五十円を返された。

 掌の五十円に釘付けになっていると、ありがとうございます、の声だけ残してふわふわ髪が去っていく。

 また、こうなることがわかっていたのだろうか。遠くで、レジのチンという音が聞こえた。

 常連でもない俺はブラックリストにでも乗っているのだろうか。

 意味もないことを考えた。こめかみを中指の間接でほぐしながら、二階の休憩室に進む。不信感を牛乳で押し込んで携帯をのぞけば、熊公くまこうから忘年会の誘いが来ていた。予定が入る前におさえようという魂胆だ。

 熊公は残念がるだろうが、クリスマスも年末も冬季講習だ。知ったこっちゃない。返信せずに畳の上にごろ寝した。

 温泉に入ったのに、まだ節々がわだかまっている。血と肉と軟骨以外に何が詰まっているというのだ。熊公に訊けばわかるだろうか。んな、面倒なことは絶対しないが。

 ああ、書きたい衝動が降りてこない。


「お疲れですねぇ」

 

 影と笑いが立ち去っていくが、不快にはならない。今日、何度も聞いた声だ。

 府に落ちて、何だか面白くない。

 認めたくないないが、物語が書けない程に疲れているということだ。

 休むのも仕事。仕事のためにちゃんと休みを取れと言うのなら、休みなんて存在しないじゃないか。



( θ_θ) Ф‥‥



 11月20日土曜日、今日は中一中二の数学だ。

 きっと、安井が部活だと言って授業に遅れてきて、それを叱り、南府に移動する。授業を終えたら、藤木からの質問攻めにあう。これは鉄板だ。

 他の奴らとの無駄話も待ち構えているだろう。


 簡単に未来きょうが読めて、やる前から疲れる。

 大学を出て、金を稼ぐために働き、非効率に物語を書き散らす日常は一変した。それは疲れはするが、嫌いじゃない。

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