砂漠渡りと長月――九月号
新幹線乗り場にアナウンスと到着音が響き渡る。割れた低い声と甲高い音が新幹線におされて迫ってくるようだ。
「何だか、懐かしくなる音だよね」
「まだ新幹線に乗る前だから」
間延びした言葉に私はツッコんだ。
地元に帰る前なのに、感性のゆるいゆう兄はなぜか懐かしいとのたまう。ずいぶんと彼の隣で過ごしてきたが、新幹線乗り場に懐かしさを感じるのは理解できない。
ゆう兄の感性と私の感性はつくづく反りが合わない。
ツッコミ所満載なことに気付かない幼馴染みは、可笑しいかなと呑気に首を捻っていた。
大きな体でする可愛らしい仕草に反応するのはきっと私だけだ。むしろ、私だけでいい。
停車した新幹線に二人して乗り込み、車両の一番前の席に腰を下ろした。少しだけゆったりと座れて、帰省するぐらいの荷物なら足元に十分収まる。机を気がねなく使える二つ並んだ席が私達の定番だ。
バイトやゼミの折り合いがつかない時はそれぞれで帰るが、二人の時は必ずこの指定席を取る。
そして、窓際の席が私。通路側の席がゆう兄。これがもう暗黙のルールになっている。
初めて二人で新幹線に乗る時、ゆう兄は体が大きいからと、私に窓際の席を譲ってくれた。きっと乗り物に酔う私に気を使っているのだろうが、新幹線では酔わないのでその心配は無用である。つまり、ゆう兄の優しさは検討違いだ。でも、その心遣いが嬉しくて素直に窓際の席に座っていた。
新幹線が走りだし、読みかけの本を開く。自然を装いながら、横を見る。
ゆう兄は開いたノートパソコンの前で腕組みをしていた。こんなに真剣な顔をする時は決まっている。悲しきかな、勉強に向けられた熱意ではない。
彼の勉強まで世話をしている身としては、やるせない気持ちになった。聞こえないように息を吐き出し、真剣な横顔に短く訊ねる。
「原稿?」
「うん、文芸部の」
ゆう兄が真剣な顔を見せるのは、原稿を執筆する時と、実地の研修などで動物を相手にする時だけだ。その集中力の半分でも勉学に向けてくれと数え切れないぐらい言ってきたが、立て板に水。のれんに腕通し。彼の成績は狙ったように赤点スレスレだ。
古いようで、ごくごく最近の現実に神経をすり減らしている間も、ゆう兄の指はキーボードを叩かない。
「原稿、そんなに進まないの?」
「そー。一ミリも進まない。企画のお題が難しくってさー」
文芸部ではたびたび企画が行われる。内容は多種多様、戦隊ヒーローから始まり、歴史や地下が舞台の企画まで、数え切れないほどの型破りな企画が不定期にゲリラ開催される。企画会社か何かかと思ったこともあるが、歴史ある学校公認文芸サークルだ。
目を瞑ったゆう兄は腕組みをした状態で難しい難しいと唸りながら揺れている。
「『砂漠渡りと長月』っていうのなんだけどさ。俺、ファンタジー苦手だからなぁ」
苦手ならなぜ参加した、というツッコミは心の中に隠しておいた。
見た目も雰囲気もつかみ所がない彼が書くのはガチガチのSFだ。いろいろな期待を振り切って、真理や理論に迫る物語を書く。取っ付きにくく、読む人を選ぶ読み物だ。
一癖も二癖も、むしろ癖しかないような
私は作り話が苦手だ。行動の意味が読めず、些細な優しさに裏を疑ってしまう。読むと言えば、伝記やノンフィクションものばかり。それも膨張しすぎだと思うこともたびたびあって、最近では啓発本や参考書を読み始めてしまった。ゆう兄は賢くなりそうだね、と誉め称えるけれど、うら若き女がすることではないと思う。
物語の内容には感想も意見も言えず、理論の矛盾しか指摘できない私は本当はとても悔しい。それもあって物語の真髄や、人物の心理描写に意見する
なぜ、ゆう兄と
ゆう兄はあいもかわらずパソコンとにらめっこしていた。画面を盗み見たら、案の定真っ白だ。
なんだか、かわいそうな気持ちになって携帯を取り出す。検索サイトを開いて、まず入れたのは『砂漠渡り』。インターネット上の辞書にはヒットしない。雰囲気から旅人とイメージしたらいいのかもしれない。間違っていても所詮はお題だ。書いた本人がそう感じていれば問題ないし、感性のゆるいゆう兄なら大抵のことは許される。
次に『長月』。一番最初に近隣の居酒屋を紹介されるが、用事はない。検索結果を指で飛ばし、予想通り旧暦の説明が書かれた文は読み流す。三文めの単語に惹かれてスクロールを止めた。
「長月って海軍の駆逐艦だったらしいよ」
「へぇ、そうなんだ?」
携帯を見ながら助言すると、ゆう兄が画面を覗きこんできた。やましいものを見ているわけではないので、好きにさせる。
「うわぁ……よくそんなの読めるね」
「人を化け物みたいに言わないで?」
怯えた顔に噛みつく勢いで言い返してしまった。
ゆう兄は文字の大群に弱く、私は文字の波が押し寄せてこようと平気だ。
長月が二隻あったとか、どの戦線でどう戦ったと説明しても、すごいねの一言で片付けられることが簡単に想像がついたので言わないことにした。
ゆう兄のことを知りつくしているからこそ、乗せ方も手をとるようにわかる。
「砂漠を渡る船ってかっこよくない?」
そんなことはありえないって、私の本心は鼻で笑う。
でも、ゆう兄は違うのだ。子供のように目を輝かせたかと思えば、口角をどんどん上げていく。
「やっば。イケる気がしてきた」
「そりゃよかった」
豪速で鳴り始めたキーボードを叩く音。何事かと向こうの席から視線が注がれるが、ゆう兄は気付いていない様子だ。
このように世話を焼いてしまう自分はどう足掻いても変われそうにない。口でも心の中でも罵ってしまうのに、結局はちょっと情けない幼馴染みを助けてしまうのだ。
きっと、最寄り駅まで相手をされないだろう。むしろ、パソコンにかじりつく彼を引っ張っていくという仕事が増えた気がする。一緒に帰っているのに、本当に意味がない。
いろいろと諦め、新幹線の狭い枠に頬杖をつく。
流れる景色を無機質に眺めていると、トンネルに入った車窓に自分の姿が映った。もの寂しそうな姿は、何かを待っているようだ。
新幹線の轟音にまじり、カタカタと軽い音が忙しなく鳴っている。
砂漠渡りは何を目的に旅をしているのだろうか。砂漠の本来の姿は岩ばかりで、砂だけの大地はほんの一握り。歩きにくい大地は太陽が隠れれば一気に氷点下だ。決して優しくない道を歩き、ぽかりと浮かぶ月を凍えながら眺める。違う角度から見ても、『砂漠渡りと長月』はなかなかハードな組み合わせだ。そんな険しい旅路を選んだ砂漠渡りを一生、理解できない気がする。
なんて、冷たい女だろう。自分の心の中で自身をこき下ろす。
「俺、すずがいると集中できるんだよね」
ぽかりと穴の空いた私の耳に声が届いた。信じられなくて、頬杖をついていた顔を上げる。
ゆう兄は画面から目を話さず、タイピングもゆるめずに笑っている。その横顔はひどく楽しそうだ。
「ほんと、すずがいてくれてよかった」
その言葉が、ちらりと向けられた流し目が私の心を鷲掴みにする。
これを素でやってのけるから、私はいつも白旗を上げてしまうのだ。
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