頭上で回るは観覧車――五月号

「え、水族館に行くの」


 ゼミの研究室で悲鳴を上げたのは私だった。

 駄弁っていた四人が話を止めて見てくる。


渡瀬わたせさん、魚苦手だっけ? それとも、最近行った?」


 そう首を傾げたのは妹尾せおくん。

 皆も不思議そうな顔をしている。


「そういうことじゃないデス」


 もにょもにょ答えた私は、どういうことよと突っ込まれた。

 視線をさ迷わせた先には教授が常備する黒糖くるみが見える。今の私には『黒』の文字さえ劇物だ。結局、タイルが所々欠けた床を見てもたつく口を動かす。


「ちょっと前に水族館が破壊されそうになる映画を見ちゃって、それを思い出して」


 説明する私は皆の顔を見なくとも手に取るようにわかった。

 ああ、ね。みたいな、納得したけど呆れの混じった冷めた目を向けられているだろう。そろりとうかがえば、妹尾くんが可哀想なものを見る目をしている。

 このやり取りも何回目か。

 映画研究部えいけんに所属する私の趣味は映画鑑賞。その楽しみも、鬼気迫るワンシーンがトラウマになるのがキズだ。経験していないが、経験していないからこそ、ぞわぞわと言い知れない恐怖を抱いてしまう。

 今、脳内でぐるぐると回ってるのは観覧車。そう。観覧車の輪の部分が地面に転がりおち、迫ってくる。破壊されていく音は遠く、確実に私をとらえていた。


「行くの、やめとく?」


 その言葉が私を現実に引き戻した。

 危なかった、ひき殺される所だった。

 心優しい友人達は私に決定権をゆだねてくれたようだ。呆れた顔と、面白そうな顔と、理解不能という顔、これから可哀想なものを見る顔。

 付き合わせるのが申し訳なくて、小さくため息を吐く。


「行きたいのは行きたい」


 うなだれて、ちぐはぐな本心をさらした。

 じゃあ、五人ね、と予定が組まれていく。

 示し合わせたわけでもなく、手分けして携帯でルートや料金検索。行き方は普通列車鈍行に決まった。あいにく、長距離運転に自信のある勇者はいない。

 水族館の最寄り駅までは二時間かけて行って、最寄り駅から水族館までバスで七分。

 日程は、


「来月の第一土曜日いける?」

「ゴールデンウィークだから、バイト休みづらい」

「んー、じゃあ、第二土曜日?」

「日曜日の方が休みやすいなぁ」

「次の日、学校だけどまぁいっか。第二日曜日で希望休出しとくわ」


 そんな感じで決まっていく。

 居酒屋でバイトをしている私も日曜日の方が休みやすいから、頷いて同意した。

 五月の第二日曜日で決定だ。

 集合時間は九時になった。現地で昼ごはんを食べる予定にする。食べる所は行きの電車で調べればいいかと落ち着いた。


「楽しみだねぇ」


 そうこぼしたら、お前が言うなとはたかれた。


 ∈( ‘Θ’ )∋


 最寄り駅についた。結局、昼ごはんに行く場所は決まらない。昼ごはんを決めようと検索をかけると、必ず市場が先頭に上ってくる。価格もそれなりで、親のすねを噛っている身としてはすぐに飛び付けない。現地で探そう、なんならファミレスでもいいじゃんという投げやりな結論に落ち着いた。行き当たりばったりでラッキーな出会いがあるかもしれない。それぐらいがちょうどいい気がする。

 バイト先の変な客の話や、青春18きっぷの利用期限が土日になればいいのに、と夢みたいな話をしてたら時間はあっという間に過ぎた。

 改札口を出て、フグの提灯に出迎えられる。青、桃、黄のちょっと間抜けな面々が天井近くでゆらゆらと整列している。


「焼きカレー食べたい」


 思わず携帯のカメラにかわいい仲間を修めていると誰かが呟いた。

 もう一人が看板を覗きこむ。


「有名なのココじゃないでしょ」

「まぁ、近所だしうまいだろ」

「私、何でもいいよー」

「さくっと食べるなら、それぐらいでいいんじゃない?」

「あっちで食べられる保障ないもんなー」


 次々に反応するが、まとまりがない。でも、空気はそこでいいか、になっている。そう、手頃な値段であればいいのだ。

 のぼりに誘われて、カフェらしき扉を開けた。古びた感じがレトロだ。当店一番人気の焼きカレーを三つとハンバーグ乗せ二つ。サラダとスープ付だから、十分だ。

 お冷やを飲んで一息つくと、携帯のお知らせが点滅していた。パスコード打ち込んで、中身を確認する。


「ねぇねぇ、カワウソいるかな」


 私は目の前に座る妹尾くんに訊いていた。

 店の奥を眺めていた妹尾くんが向き直り、答えてくれる。


「んー? 案内にはなかったと思うけど」

深川みかわさんにお土産いる? て訊いたらカワウソがいいって」

「あえてのカワウソ」

「かわいいよ、カワウソ」


 よくわからんと顔に書いた妹尾くんは、深川さんがねぇと呟く。


「全く関係なくてもぬいぐるみとかあるから大丈夫じゃない? アザラシいないのに、大群が積んであるし」


 つまらなそうにしてても律儀に返事をしてくれるのが、妹尾くんだ。

 確かに、前に行った水族館のショップにもマンボウやジンベイザメがいた気がする。ペンギンさえいなかったのに。


「大きいところだから大丈夫かな」

「探してもなかった、て言っても怒らないでしょ」


 妹尾くんの言葉にまぁ、そうかと思い当たった時に焼きカレーが来た。空腹に負けた何人かが頬張ってやけどしている。私は猫舌だから、入念に息を吹きかけてから口に入れた。


「なんか、濃いね」

「そこは濃厚と言おうよ」


 妹尾くんのツッコミを笑ってごまかす。

 私の食事が遅かったせいか、バスが停留所につくのと私達がつくのは同時だった。

 車窓の向こうで大きい小さいたくさんのビルが過ぎていく。家族連れが向かう先に思わぬものを見つけて、私は瞬きした。

 三個目の停留所。乗車時間の七分なんて、歩いていけるんじゃないか。の距離だ。

 皆の流れについてバスを降り、足元に向けていた目線を上げる。

 ちょっと、やめてほしい。

 水族館の横で観覧車が回っているじゃないか。


「渡瀬さん、どうしたの」

「……あの観覧車、水族館を破壊するかな」

「しないしない」


 妹尾くんの返事がおざなりなのは私のせいだけじゃないと思う。



(終)

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