【2021】彼方なるハッピーエンド*12月の短編集
かこ
はじめましての距離――四月号
やっと一年が終わった、と思ったら、また春だ。新入生を横目に共通学部棟を通りすぎる。
今年度から自分が知りたいことが学べる。それがなければ、一年耐え難かった。
英語の一斉テストは全生徒必須。合格基準を満たさなければ卒業できない。その項目を見落としていた自分も去年の話だ。マーク式で本当によかった。
第二外国語として中国語か韓国語、ドイツ語のどれかの単位を取れ、という話も入学してから知った。前期を落として、後期にはなったが単位も取得した。取りやすい講義があるなら早く教えて欲しかった。私が悪いとは思うが、英語ができない人が違う言語ならできるなんてことはない。講義の情報のついでに、
自然科学の論文なら英語でも読みたい。しかし、出題されるのは現代社会や文学、歴史ばかりだ。
自分の興味あることしか視界に入らない性分はなかなか変わりそうにない。
忘れ物を思い出して、理学部に直行しようとした足を手前の通路に向ける。芽吹いたばかりの葉をかすりながら進む。垣根の間にできた獣道のようなそこは学生達によって作られた、と渡瀬さんは言っていた。教授が歩いている所も見たことがあるし、嘘か本当かはわからない。わからないが、遠回りをしたくない面倒くさがり達が作ったことは確かだ。
獣道と自転車置き場を突っ切って売店に向かう。理学部棟と人文学部棟の間に置かれたプレハブでは、文具やお菓子、惣菜パンが売られている。学期始めは指定図書もいくつか並ぶ。
献血のポスターが代表を務める扉を開けた。ガラス張りなのに、様々なポスターで中がほぼ見えないのはいかがなものかと思う。
忘れた消ゴムを買おうと思ったのに見付からない。三個連なったものがあるが、私が欲しいのは一個売りだ。文具コーナー以外を探しても只の四角が見付からない。それはないだろう、と店内をくまなく探す。カウンターでひとくち菓子のように並んでいた。
呆れながら、カウンターに並ぶ消ゴムを買う。忘れた私が言えたことではないが、消ゴムの一個売りも文具コーナーで売って欲しかった。カウンターに消ゴムを置けば、おまけに買っておこうという思考になるのだろうか。理解できない。
売店から理学部棟に向かおうとした矢先、自転車置き場から声が飛んでくる。
「
渡瀬さんが駆けてきた。仕方なく待つ。
ふわりとしたシルエットの上着は春の日差しに透ける生地。その間から見えるパステルブルーの長袖。ぴったりとした白いズボンを履いている渡瀬さんはくたびれたパーカーを着る私とは真逆の人だ。
「何か用?」
「売店で何を買ったのか気になっただけ」
問えば、どうでもいい答えが返された。渡瀬さんは情報通だから、違うかもしれないけど。
期待の目が向けられている。彼女の望むように答えることにした。
「消ゴムを買っただけ」
「そうなんだ。売店で売ってる餅パンおいしいから今度、買ってみて」
感想と共に情報が発信される。毎回のことなので配信力への恐れはうすれ、最近では感心してしまう。同じ情報を出してこない所も驚きだ。
教室に向かおうと踏み出す前に渡瀬さんがねぇねぇ、と話題を振ってくる。
「この前、食堂で見たんだけど彼氏できたの?」
何の話だ。
しかめっ面をしてたのだろう。渡瀬さんはごめんごめん、と両手をあげて困った笑顔で続ける。
「携帯を仲良く覗いていたからさ、そうなのかなぁって思って」
「使い方を教えてもらっていただけで、特に仲良くしたつもりはない」
「えぇー! あれで?」
「むしろ初対面ね」
「初対面にしては距離近くない?」
距離とは。人との距離だろうか。そんなものを測りながら人と交流しているのだろうか。一つの画面を覗きこめば自然と距離は近くなる。
また、しかめっ面をしていたらしい。渡瀬さんがごめんごめん、と両手をあげている。そのごめんはどれに対してのものだ。
「誰なの、あの人?」
気になって仕方ないのか、渡瀬さんが小首を傾げている。
名乗られた気がするが思い出せなかった。また会ったら思い出すだろうか。渡瀬さんの期待に満ちた目はずるい。答えないといけない気がしてくるからだ。
私は無視することを諦めて口を開く。
「食堂でばったり会った人?」
「名前も知らない人なの?」
あいまいな言葉に、音が鳴りそうなほど瞬きをする渡瀬さん。
彼女に初めて名前を訪ねた日―― 一年前を思い出して笑ってしまった。
(終)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます