02話.[ここにはいない]

「ねえ」

「はい?」


 廊下の掃除をしていたら話しかけられた。

 シューズの色ですぐに二年生ということは分かったが、自分に話しかけてきた理由が全く分からなくてぼうっとしてしまった。


「林田丸君って知ってる?」

「はい、隣のクラスの子ですね」

「案内してくれないかしら」


 案内しつつ、これは佐奈にとっては面倒くさいことになるかもしれないと考えていた。

 とりあえずは目的を果たしたのもあって廊下掃除に戻ったけど。

 というか、掃除の時間なのに自由に行動していていいのかな、という疑問。


「やっほーっ」


 おお、先程の先輩と同じシューズの色だから多分探しに来たんだろう。


「ちょいちょい、無視ですかい?」

「え? あ、髪が長い先輩ならあのクラスに入っていきましたけど」

「銀ちゃんのことはいまどうでもいいんだよ、私は君に話しかけているんだから」


 僕に話しかける理由が分からないからそう口にしたまでのことだ。

 先程の人もよく僕に話しかけてきたよな、という感じで。

 だって僕よりも前のところに同じように掃除していた子がいたんだから。

 それをわざわざスルーして僕に聞いたことになるんだからね。


「君の名前を教えて」

「増森基弘と言います」

「ほうほう」


 話しているばかりではいられないから掃除をしながらの会話となる。

 ……下手をするとよくないところを見ることになるから気をつけないといけない。

 頻繁に細かく動くから動き方次第では衝突する可能性もあるわけだし……。


「はいこれ、私のID」

「え」

「まあまあ、別に損はしないでしょ?」


 まあいいか、普通に受け取っておいた。

 変に留まられるよりは帰ってもらった方がいい。


「あ、この子が諏訪銀子すわぎんこで、私が椎野果林しいのかりんね」

「はあ……」

「また来るからそのときは相手をしてよ、よろしくー」


 つまりふたりとも丸に興味があるということか。

 もうひとりの先輩が興味を示しているからってなにも遠慮しなくていいのにね。

 掃除の時間が終わってHRの時間が始まった。

 ただまあこれは特になにもないのと同じだからすぐに解散となる。

 そして解散となった瞬間に佐奈がやって来てすぐに察した。


「な、なな、なによあの女の人はっ」

「なんか急に案内してほしいって頼まれたんだ」


 そうか、運悪く教室を掃除していたのか。

 知らなかった方が、見なかった方がよかったことなんてことはこの世には沢山ある。

 彼女は運悪くあの綺麗な先輩の方を見てしまったというわけだ。

 さらにそこにあの先輩も加わるのだから丸を狙うのはそれはもう大変なことで。

 が、逆に燃える、なんてことにもなるかもしれないから悪いことばかりではない。

 臆しているばかりでは好きな人が取られてしまうとなれば、彼女だってもっと頑張ろうとすることだろうしね。


「やっほー」

「来たあ!?」

「ん? 堀井ちゃんどうしたの?」

「……って、なんであんたがいんのよ」


 お? どうやら知り合いだったらしい。

 ちなみに今回は黒髪長髪先輩はいないようだった。


「酷いよね、久しぶりに会えたのにこの態度なんだよ?」

「佐奈とお知り合いなんですか?」

「うん、同じ部活だったからね、ちなみに銀は吹奏楽部だったけど」


 ということは同じ学校だったのか。

 丸もやって来て先輩は頭を撫でたりしていた。


「……椎野先輩、あの人はどういうつもりで……」

「あ、恋をしているとかそういうのじゃないよ? 落とし物をしていたからさ」

「なんだ……」

「ふふ、相変わらず丸坊のことが好きだねえ」

「な、なに言って……」


 そこで「好きですけど?」って開き直れたらよかったのに。

 話を理解できていない丸は丸い瞳でこちらを見てきているだけだ。


「果林、ここにいたのね」

「あれ、なにか用でもあった?」

「いえ、あ、先程はありがとう」

「案内しただけですからお礼なんていいですよ」


 留まっていても仕方がないということで何故か全員で帰ることになった。

 佐奈はこちらの腕をかなりの力で握って諏訪先輩を見ている。


「そう警戒しないであげてよ、銀にそういう感情はないからさ」

「……分からないじゃない」

「分かるよ、一目惚れとかそういう風になる子じゃないから」


 で、何故か椎野先輩は佐奈と丸を連れて歩いていってしまった。


「ごめんなさい」

「あ、いえ、話しやすい人ですね」

「そうね」


 おお、佐奈と話し方が似ているけどどこか違う。

 こちらはもう丁寧! という感じだった。

 あとは少し低い声音がまたなんとも魅力的というか……。


「あ、私はこっちだから」

「はい、お気をつけてくださいね」


 椎野先輩とはまた話すことがあるのかもしれないが、諏訪先輩と話せる可能性はもうほとんどないように感じた。

 なんか雰囲気とかも違いすぎるからね。


「あれ、銀は?」

「もうあっちに歩いていきましたよ」

「そっか、じゃあ私も行くねっ」


 なにかを答える前に走っていってしまったから歩いていた自分。


「あれ、あのふたりは?」


 結局、少し待っても来る気配が感じられなかったから気にせずに帰った。

 危機感を抱いて佐奈が勇気を出せていればいいなとそんな風に思った。




「やっほー」

「こんにちは」


 椎野先輩は今日も元気だった。

 こういうところは丸とよく似ているからお似合いなんじゃないかと思う。

 ただ、親友としては佐奈に向き合ってあげてほしいという気持ちがあるから難しい。


「おいおいおーい、早速不満なところが出てきたんですけどっ」

「え?」

「なんでよろしくすら送ってこないんだよー!」


 ああ、実はあの紙を洗いに出してしまったことは言わないでおこう。

 いやもう本当に自然と忘れてしまっていたのだ。

 誰が悪いという話ではない、洗濯物からすれば確実に僕が悪いんだけど。


「実は書いてあったIDを打ち込んでも該当IDがないって出たんですよ」

「えっ、じゃあ一概に君が悪いわけじゃないか……」


 あー、これは流石によくない嘘だったと反省。

 というか、こんなことで嘘をつくなんて馬鹿のすることだ。


「……すみません、洗ってしまいまして」

「おいおい、嘘をつくのはよくないよ?」

「すみません」


 こればかりは僕が悪いからしっかり謝罪をしておく。

 矛盾ばかりなのはいまに始まったことではないから気にしない。


「まあいいや、スマホ貸して」

「どうぞ」


 登録してくれるということなら話が早い。

 それで返されたから確認してみたら、


「え、諏訪先輩の……」

「うん、どうせ近々交換すると思って」


 何故か諏訪先輩のIDも登録されていて慌てて消そうとしたがやめた。

 もうこの時点で向こうには通知がいっているから意味のないことだ。

 ただまあ無意味なことだが非表示にしておく。

 ……くっ、消さない僕の汚い心が情けない。


「基弘君って呼んでもいい?」

「はい、どうぞ」

「私のことも果林でいいからね」


 いやそれは無理だろう。

 恐らくいま試されているんだと思う。

 ここで気軽に名前で呼んでしまったら冷たい顔になって離れていくんだろう。

 自分のメンタル的にも無理だから考えても意味のない話だが。


「ねえねえ、銀に興味ない?」

「諏訪先輩にですか? 仮に僕にあっても来てはくれないと思います」

「じゃあないわけじゃないんだ?」

「はい、見た目だけで判断してしまってあれですけど、綺麗な方ですからね」

「ほうほう、あ、なんでこんなことを言うのかって言うとね? 堀井ちゃんは丸坊のことが好きだから君はひとりぼっちになっちゃうでしょ?」


 意外と知っているようだ。

 佐奈が話すとは思えないから見ていたんだと思う。

 先輩だったら普通にそういうことをしそうだという失礼な想像をしてしまっていた。


「よし、お昼休みに銀を連れてきてあげるね」

「え、いいですよ、迷惑をかけたくないですし……」

「大丈夫、あれでいて年下の子と関わるのが好きだから」


 いやそれ小さい子とは関わるのが好きだというだけだろう。

 こんな野郎のところに連れて行かれても多分困ってしまうだけ。

 が、先輩は教室から出ていってしまったうえに、もう授業だからどうしようもなく。

 それで本当にお昼休みになったら諏訪先輩を先輩は連れてきてしまった。


「本当にすみません」

「いいわよ」


 その先輩は「堀井ちゃんのところに行ってくるっ」と既にここにはいない。

 あと、なんかざわついているから教室を出てお弁当を食べることにした。

 母作のお弁当は本当に美味しいからゆっくり食べたいのもあった。


「私も一緒に食べてもいい?」

「あ、どうぞ」


 それならと階段ではなくて空き教室で食べることに。

 ……僕には椎野先輩みたいな人が必要なのかもしれない。

 そうでもなければ諏訪先輩みたいな人には会えないから。


「果林から聞いたけれど、林田君や堀井さんと仲いいのね」

「はい、ずっと一緒にいますからね」


 丸と佐奈次第でこれからもいられるかどうかは変わる。

 ただ、丸がいてくれる限りは一緒にいられるような気がした。


「あー……」

「うん?」

「……さっき椎野先輩が諏訪先輩のIDを……」

「ああ、別に構わないわ、ほとんど使っていなかったから使える機会が増えるのならね」


 綺麗な人って態度とかにも出るんだって分かった。

 どんなことにも冷静に対応できるというのは羨ましい能力だ。


「増森君、これからも果林が迷惑をかけるかもしれないけれど……」

「大丈夫ですよ――って、言ったら偉そうですよね……」

「構わないわ、私の方からちゃんと言っておくから」

「よろしくお願いします」


 って、僕はいまなにを頼んだのだろうか?

 別に先輩が来てくれることは迷惑ではなく嬉しいぐらいで。

 諏訪先輩を経由することで悪い方に捉えられてしまうのは困る。


「いい子ね」

「えっ」

「あ、ごめんなさい」


 少しだけ慌てたように「果林には四歳の妹さんがいてね、こうやってよく撫でるのよ」と説明してくれたけど……。

 い、いやいや、僕からしたら得でしかないわけだし……。

 まあそれを言ったら気持ちが悪いから無難にそうなんですねと返しておいた。


「ごちそうさまでした。戻りましょうか」

「そうですね」


 ……まだこの人とふたりきりでいるには僕は駄目なようだと分かった。

 が、こんな機会はそうそうないだろうからとありがたがる自分もいた。




「こんばんは」

「あ、えっと、あれ?」

「どうしたの?」


 失礼だとは思いつつもスマホを確認する。

 そこには確かに先輩から『私ひとりで行くから』という内容のものが送られてきているのに。


「あの、椎野先輩は……」

「あの子はもう少ししたら来るわ」

「というか、危ないですから迎えに行った方がいいですよね」

「そう? それならそうしましょうか」


 別に意図したわけではないものの、こうして先輩の家を知ることになった。

 あくまで普通な感じだったから落ち着――かない、だって隣に諏訪先輩がいるし。


「やっほー」

「椎野先輩っ」

「どうどうっ、まあ落ち着こうよ」


 そもそもの話として、こんな夜に集まってなにがしたいのだろうか?

 外で馬鹿騒ぎをするような趣味はないから変なことでなければいいんだけど。


「いまから手持ち花火で楽しもうと思ってね」

「え、大抵の場所は駄目じゃないですか?」

「そ、だから銀の家に行ってやろうと思って」


 それなら余計に家で待っていてくれればよかったのに。

 ほら、先輩なら余裕で躱せそうだけど諏訪先輩は無理そうだからさ。

 まあいいや、ごねても多分連れて行かれるから付いていくことにした。

 ……別に家を知りたかったとかそういうことではないことは分かってほしい。


「うわ……」

「ね、大きいでしょ?」


 なんだこの家、お洒落で大きい。

 この瞬間に諏訪先輩と仲良くなっても恋までは無理だと分かった。

 というか、諏訪先輩なら彼氏さんとかも既にいるだろうしね。


「庭もすごいですね」

「そう、ここでよくBBQもやったりするんだよ?」

「って、椎野先輩が勝手にお邪魔させてもらっているだけじゃないですか?」

「酷いっ、私はちゃんと銀から誘われているからっ」


 その諏訪先輩はあれから一度も言葉を発していないわけだけど。

 はっ、もしかしたらこのことを聞いていなかったのかもしれない。

 それなのに先輩が言っているからと付いてきてしまった僕が原因かも。

 あとはご両親のどちらかが厳しい人であまり見られたくないとかそういうの。

 まあこれは想像だから合っているかどうかは分からないけどね。


「やっぱり帰ります、外とはいえこんな時間に異性の家にいるのはよくないですから」

「堀井ちゃんの家に泊まったことはないの?」

「最近はありませんよ、それでは」


 歩き始めようとした自分の腕が掴まれて足を止める。


「椎野先輩――」


 ではなかった、先程まで黙っていた諏訪先輩だった。

 なるほど、家を知られてしまったから記憶を消したいとかそういうのかと察する。


「気にしなくていいわ、ただ、少しだけ待っていてくれる?」

「は、はい」


 そうしたら先輩を連れてどこかに行ってしまう諏訪先輩。

 ああ、帰ってきたときには多分……という感じかな。


「うわーん! 銀が苛めるーっ」

「なにが苛めるよっ、ちゃんと説明してから行動しなさいっ」

「でもさっ、七月の始めにする花火というのも悪くないでしょっ?」

「はぁ、もういいいわ、ちょっと待っていなさい」


 大変そうだなあ、やっぱり先輩は丸に似ているな。

 でも、このハイテンションさは嫌いじゃない。

 楽しそうにしてくれているのならそれで十分だ。


「ライターも持ってきているのになにしているんだろうね?」

「待ってください、どうやって手に入れたんです?」

「え、百均で買ったけど」

「吸っているとかじゃないんですね?」

「当たり前でしょ、タバコなんて吸わないよ」


 それなら一安心。

 諏訪先輩も戻ってきて始めることになった。

 水の用意をしてくれたみたいだ、それがなければ危ないもんね。


「やーい」

「あ、危ないですよ」

「大丈夫、最低限の常識はあるよ」


 赤黄青緑――色々な色が出てくるものだ。

 一瞬とまでは言えなくても、少し燃えたら消えてしまう。

 人間関係はそれをもっと凝縮した感じだと思う。

 だけど共通点があって、消えるときはこの手持ち花火のように一瞬なんだ。

 口では行くって言ってくれている丸と佐奈だが、多分ふたりの関係が変わったらそれもなくなるんじゃないだろうかという不安がある。

 先輩達だってそうだ。

 いまは興味を示してくれているのかこうして来てくれているものの、つまらない人間だと判断して来てくれなくなったらその瞬間に終わりだ。

 ……まだ一週間も経過していないのにこういう考えはどうかと自分でも思うが、こうして話せるようになったからには関係を続けていたかった。


「増森君」

「あっ、はい、どうしました?」

「なにか悩み事でもあるの?」


 悩み事か、それはあるようでないようであるという中途半端な感じだった。

 だってあのふたりが上手くいったらそれはもう自分のことのように嬉しいから。

 それに向こうにとってはメリットばかりしかないわけなんだからわがままは言えない。


「おいおい、先輩が話しかけてきてくれているのに無視ですかい?」

「悩み事はありませんね、色々とごちゃごちゃ考えるときはありますけど」

「うへぇ、基弘君はいつもえっちなことを考えていそうだねぇ」


 余計なことを言う先輩は無視をしてなんとなく空を見上げた。

 星がキラキラで見ていて落ち着く。

 意識を戻せばこちらもキラキラしているわけだからなんとも幸せな話だ。


「どーんっ」

「わっ」


 ……ああ、空が綺麗だなあ。

 なんで物理攻撃を仕掛けられたのかが全く分からないけど。


「イヤらしい目で銀を見てんじゃねーぞ」

「見ていませんよ」


 片付けを手伝って、終えたら帰ることにした。


「増森君、悪いんだけれど……」

「分かりました、この人を送ればいいんですよね?」

「ええ、よろしくね」


 その後もうざ絡みを続けてくる先輩を送ってから家に帰ったのだった。

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