ラストライブとニューイヤー

第46話 酉(とり)担当のアイドルとたった一曲のセンター曲

 アンコール!

  アンコール!

   アンコール!

    アンコール!


 新木場にある、キャパ2,000人のライブハウスは熱気の渦と手拍子に包まれていた。

 本日の主役が再び登場するのを、今か今かと待ち望んでいた。


 客席の隅っこに、三人の男女がいた。


 特徴のない地味な私服に身を包んだ青年ふたりと、上半身は淡くてオレンジのダッフルコート、下半身は淡くて青いフリッフリでふわっふわの珍妙なドレスに身を包んだ不思議ちゃんだった。不思議ちゃんは、黒い長髪をくるんくるんのツインテールにオメカシしていた。


「次が、最後の曲か」


 特徴のない地味な私服に身を包んだ、パソコンど素人の大男が言った。

 タクミ・ケブカワだった。


「だね。大トリは、コトリちゃんのセンター曲」


 特徴のない地味な私服に身を包んだ、〝いい人〟に尻に惹かれる運命の確定した男が言った。

 イツキ・ケブカワだった。


「…………おかしい。おかしい。おかしい」


 不思議ちゃんは、さっきからずっと手拍子に合わせて、ぶつぶつ、ぼつぼつとつぶやいていた。

 安楽庵あんらくあん探偵事務所の所長、キコ・アンラクアンだった。


「わたしはいのしし担当。なぜワンコは、わたしをスカウトしない?

 …………おかしい。おかしい。おかしい」


「よう! 先生!」


 くるんくるんの髪型のキコ・アンラクアンに、壮年の男が語りかけてきた。

 貫禄のある雰囲気と、割腹かっぷくのよい体、そして心許こころもとない頭髪をしていた。


「うげ! ハッサク!! ハッサクは酸っぱい!」


 声をかけられたくるんくるんの髪型のキコ・アンラクアンは、露骨にイヤな顔をした。

 ハッサクと呼ばれた心許こころもとない頭髪の男が、負けずに困った顔をした。


「おいおいおい、そりゃないよ先生!

 今の俺は刑事じゃない。仕事上がりだよ。行方不明者を探してくれなんて言わないからさ」


 ふたりのやりとりに、ケブカワ兄弟が気づいた。


「ハッさん、お疲れ様です」

「このあと皆んなで、ウチの店で打ち上げです。ハッさんもどうです?」


 ケブカワ兄弟の誘いに、ハッさんと呼ばれた八朔はっさく刑事は、露骨に嫌な顔をして手を左右にふった。


「やめとくやめとく! あのステージで歌ってる若い女の子が、大挙して押し寄せるんでしょ? こんなオッサンには居場所はないよ! 辛すぎる!

 ビストロたくみは、〝静か〟なところが良いんだ。絶望的に客が来ないところが良いんだ。

 静かな店で、最高の酒のアテが楽しめる。隠れ家的な名店なんだ。

 最近、ただでさえ、どっかの誰かさんたちの夫婦喧嘩でうるさいってのに? 夫婦喧嘩は犬も食わぬってか? あ、ワンコが噛みつくのか!」


「ちょ! やめてくださいよ!」


 八朔はっさく刑事の軽口に、イツキ・ケブカワは本気で嫌がった。


 面倒な事になっていた。本当に面倒なことになっていた。

 恋愛脳のコトリ・チョウツガイは、イツキ・ケブカワとワンコこと、犬飼一子いぬかいかずこが付き合っていることを、会う人会う人に言いふらしていた。


 元国民的アイドルで、今も大人気タレントのワンコの大スキャンダルなのに、情報セキュリティ意識が低すぎる。


 こんなセキュリティ意識で大丈夫か?


「大丈夫だ、問題ない! ない! ない!」


 キコ・アンラクアンが脊髄反射的に叫んだ時、丁度ちょうどステージが暗転した。

 すぐさま手拍子が鳴り止み、ほんの少しのざわつきの後、会場は静寂に包まれた。

 息を飲む瞬間だ。次に何が起こるかは会場の全員が知っている。


 コトリ・チョウツガイの最後のステージだ。


 観客はじららされた。焦らされて、焦らされて、焦られまくった。

 そしてもう限界だと言いたくなる瞬間に、大音響の楽曲が鳴り響き、観客のボルテージは瞬時にMAXに到達した。


 十二支がモチーフのアイドルグループの、とり担当、コトリ・チョウツガイがセンターを務める楽曲だった。


 アルバムにひっそりと挿入されていたその曲は、コトリ・チョウツガイが、たった一回だけ、センターを務めた楽曲だ。

 ライブで歌われることは滅多にない。ましてや、一番盛り上がるアンコールの大トリに選ばれることなど絶対にない。なによりタイトルが大トリ向けではなかった。


『あなたにお酢そわけ』


 めっちゃ、ふざけたタイトルだった。


「みんなー! 最後の曲や! 楽しんでー!」


 真っ白なコスチュームに身を包んだ、コトリ・チョウツガイが、6人のアイドルを引き連れて登場した。堂々と、センターに陣取った。


 楽曲も歌詞もかなりしっかりした曲だった。とてもノリの良い、キャッチーな曲だった。しかし大サビの歌詞が『あなたにお酢そわけ』だった。


 めっちゃ、ふざけた歌詞だった。


 とはいえ、いつもニコニコ可愛くて、いつもニコニコ前向きで、めっちゃ一生懸命な、お酢が大好きな、コトリ・チョウツガイにふさわしい歌詞だった。


 キコ・アンラクアンは、ステージを見ながら、ボツボツ・ブツブツつぶやいた。


日干にっかん甲午きのえうま。親しみやすい性格。真夏にできる涼やかな木陰。人のために奉仕する。

 日干にっかんの左右にひのえひのえは太陽。そして足元の地面も正午の太陽。メイド、占い師、そして偶像アイドル。『三足のわらじ』。奉仕がすぎる。

 だが、中心星「偏官へんかん」逃げない。運命から絶対に逃げない。どんな理不尽からも絶対に逃げない。人により寄り添い奉仕する。悪口言えどもニコニコ笑って奉仕する。

 エライ。エライ。エライ」


 キコ・アンラクアンは、冷静に淀みなく、まるでキャラクターの設定資料を読み上げるかのように、コトリ・チョウツガイの人物評を行った。とても良い人物評を行った。


「そんなコトリに、木行もくぎょうのお酢は一服の清涼剤。こんなん、いくらあっても良い。いくら飲んでも飲み足らない」


 キコ・アンラクアンは、冷静に淀みなく、まるでキャラクターの設定資料を読み上げるかのように、コトリ・チョウツガイの人物評を行った。まるでコラムの欄外コーナーの様に、お酢好きの理由を説明した。


 歌って踊って、完璧なパフォーマンスを見せるコトリ・チョウツガイは、締めのワンフレーズを歌った。


『あなたに お・酢・そ・わ・け!』


 ふざけた楽曲が終わり、歓声が沸き起こる。


 歓声を受け、今まで完璧に歌って踊ってアイドルを演じていたコトリ・チョウツガイは、口を抑えて涙をどばどばと流していた。


 プロデューサーの犬飼一子いぬかいかずこが大きな花束を持ってきた。犬飼一子の小さな体が、完全に隠れてしまうような、大きな大きな花束だった。


 花束を受け取ったコトリ・チョウツガイは感極まって、犬飼一子いぬかいかずこが、やさしくやさしく抱きしめた。


 歓声はいつまでも鳴り止まなかった。鳴り止むわけがなかった。


 当然だ、だれも彼女の卒業を望んではいない。卒業する本人ですら望んでいない。

 でも、辞めなければならなかった。彼女には、やるべきことがあった。


 2019年に残る必要があった。これでもう5回目だ。


 彼女は2019年を5回繰り返していた。そして、6回目の2019年をやり直す為、アイドルを卒業するのだ。


 コトリ・チョウツガイは、メンバーからマイクを受け取ると、静かに話を始めた。


「ちょっと、ワガママ言わせてもろて、卒業させてもらいます。

 でも、わたし、アイドルやるの大好きやし、歌って踊るの大好きやし……ワガママやけど、またいつか戻ってこれたらなって思います。そん時はどうかよろしくお願いします」


 会場は、割れんばかりの拍手につつまれた。

 コトリ・チョウツガイは、拍手に負けないありったけの声で叫んだ。


「みんなーーーー! お酢、いりますーーーー?」


 彼女の決め台詞だった。


 コトリ・チョウツガイの言葉に、会場にいる全員が叫んだ!


「けっこうです!!」


「みんな! めっちゃありがとー!!」


 2019年1月31日、コトリ・チョウツガイは、アイドルを卒業した。

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