ラストステータス

第39話 白衣の天使とランプを持ったメイド

 女はいら立っていた。女は自身の功績を高く評価されていた。しかしとても不満だった。中でも功績を称えて彼女につけられた愛称が屈辱的に嫌だった。


 白衣の天使。


 そう、彼女は看護師だった。そして、歴史上初めて〝白衣の天使〟と呼ばれた女だった。


 彼女の名前は、納音なっちんGゲール・かおり。


 良家の出で、数々の学問を修めた納音なっちんGゲール・かおりは、その学歴を全くもって無駄にして、戦地の後方の病院。つまりは身分が低いものが行う医療業務に自らの意思でおもむいていた。


 イカれている。


 そう、彼女はイカれていた。まともな思考回路ではない。彼女は少しでも兵士の戦死を防ぐため、夜通しかけて負傷兵がいる部屋を巡回した。

 しかし、死亡率は一向によくならなかった。


 納音なっちんGゲール・かおりは注意深く監察した。死にゆく負傷兵たちの病状を注意深く監察し、汚い不衛生な部屋のすみずみまでくまなく監察をすることで、なにゆえ、こんなにも負傷兵があっさりと死んでしまうのかに気づいた。


 このハエがたかり。異臭が漂う病室が悪いのだ! 空気が淀んでいるのが悪いのだ!!


 女は、すぐさま上に掛け合い、常に病室を清潔に保つよう要請した。

 しかし、上は一向に動かなかった。


 女はいら立った。


 怒りがピークに達したので、ふんぞりかえった上の人間を無視して、自分が指揮する40名ほどのシスターや看護師と共に好き勝手に病室の掃除をし、好き勝手に窓を開け、好き勝手に深夜の巡回を行った。


 結果、負傷兵の死傷率は、10人に4人から、数十人にひとりにまで減少した。


 奇跡だった。


 しかし行ったのは、部屋の衛生状態を徹底的に保っただけだ。だが、それだけで充分だった。負傷兵の死因のほとんどは、病院内の不衛生によって蔓延まんえんする感染症だった。


 そう、実は奇跡でもなんでもなかったのだ。今の我々にとっては、ごくごく常識的なことだったのだ。

 しかし、上は奇跡と呼んだ。そして奇跡を起こした彼女を〝白衣の天使〟と呼んだ。


 納音なっちんGゲール・かおりはいら立った。


 とにかく、もう〝白衣の天使〟という呼称が、嫌で嫌で嫌で嫌で仕方がなかった。わたしはもう30歳をとうに過ぎているのだ。メルヘンな少女時代はとっくの昔にすぎているのだ。


 何が天使だ! 気持ちが悪い!!


 私と、仲間の女性たちがしたのは清掃だ。負傷兵が傷を癒すにふさわしい、徹底的に清潔な環境づくりだ。そんなものは天使のやることではない。

 天使は、美しい花をまき散らす想像上の生き物だ。私はまき散らかした病原菌を心の底から憎み、執拗に掃除をする鬼のような生き物だ。清掃の鬼だ。


 全然違う! 根本的に違う!

 私と天使は正反対だ!!


「はぁ」


 納音なっちんGゲール・かおりは、ため息をついた。

 続いて肩で大きく息をした。最後に自由の効かない体にいら立った。


 そう。彼女の体は病魔にむしまばれ、ベットでの生活を余儀なくされていた。もう、長くないのかもしれない。


 それがまた、彼女の狂気的な行動が美徳だと勘違いされた。彼女の自己犠牲の精神が奇跡をもたらしたのだとフェイクニュースに尾ヒレがついた。いや、ニワトリの鶏冠とさかたとえたほうがジョークが効いているかもしれない。

 魚の尾ヒレは、水の中を泳ぐのに絶対必要だ。比べてニワトリの鶏冠とさかは、なんとも馬鹿馬鹿しい無用の長物だ。


 私の提案を、ふんぞりかえって一切聞く耳もたなかったのに、結果が出た途端に風に煽られたカザミドリの如く、くるくると態度を変化させる、ご都合主義でおめでたい脳細胞をした、役立たずのお偉いさんにそっくりだ。役立たずのトップのお飾りにそっくりだ。

 どうでも良いプライドを傷つけられ、怒った時の真っ赤な顔色にそっくりだ。


 本当に、ニワトリの鶏冠とさかどもがほざく、〝奇跡〟など無用の長物だ。

 〝白衣の天使〟などという肩書きステータスは、無用の長物だ。


 バカバカしい。


 ・

 ・

 ・


 ……コンコン。


「そうぞ」


 納音なっちんGゲール・かおりは、ノックの主に返事をした。


「失礼します」


 ガチャリ。


 ドアノブが時計回りにひねられて、ランプを持ったメイドが入ってきた。

 メイドは、東洋の少女だった。

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