ラストミステリー

第30話 天才小説家とテンプレ小説

 男は覚悟を決めた。殺す覚悟を決めた。男は紳士だった。そしてこの異世界で大変に人気のある小説家だった。


 男の小説は、それはそれは革新的な小説だった。そしてとても面白かった。

 圧倒的に支持されて、爆発的な人気があった。そして、その作品のフォロー小説が大量に出現した。瞬く間に小説界のトレンドとなり、今やテンプレと揶揄やゆされるくらいの一大ジャンルになっていた。


 小説家は常に続編を催促され、書いた作品は飛ぶように売れた。

 そして書けば書くほど、小説家の作品は神格化されていった。

 そして作品が神格化されていけばいくほど、小説家はうんざりとしていた。


 飽きていたのだ。


 テンプレ小説を書くのにもう本当にうんざりしていたのだ。

 小説家の名前は、戸居どいるあさ子。(もちろんペンネームだ)


 戸居どいるあさ子は、この異世界に素晴らしく革新的な作品を生み出していた。


 ミステリー小説。


 奇怪な殺人事件に緻密に張り巡らされたトリックの数々。名探偵と博識な医師の名コンビの軽妙なやりとり。そして最も新しかったのが、誰もが予想だにしなかった意外な人物が犯人となる「どんでん返し」だった。


 天才だった。


 戸居どいるあさ子は、まごうことなき大天才だった。

 しかし、天才小説家は飽きていた。ミステリーを書くことに飽き飽きしていた。本当は歴史小説が書きたかった。しかし、歴史小説は見向きもされなかった。そして、手垢のつきまくったテンプレ小説を世間は欲した。


 ファンレターも山のように来る。それも天才小説家、戸居どいるあさ子を苦しめた。いら立たせた。

 いら立たせたのは、ファンレターが戸居どいるあさ子宛てではなく、彼が創作したキャラクター宛だったからだ。

 そして、最もいや立たせたのが、創作した探偵がその驚異的な推理力を褒め称えられているからだ。

 私ではなく、なぜ、この世にいない創作の人物を褒め称えるのだ?

 そしてなぜ、一切の生活力がない変人の探偵が褒められるのだ? 実利に優れた医者ではなく? 私のように、医学と言うアカデミックな知識を納めた医者のキャラクターではなく?

 

 天才小説家、は、うんざりしていた。もう本当にうんざりしていた。


 法外な報酬をふっかければ天狗になったと思われて断られると思ったのに、編集は二つ返事でニコニコしながら承諾してきた。


 だから今、戸居どいるあさ子はいやいや小説を書いていた。探偵などという、この世にありもしない職業の人間を活躍させるために、人を殺すのにとても非効率かつ珍妙なトリックと、常軌を逸した利己的な理由で殺人を犯す馬鹿馬鹿しい犯人の思考回路をうんざりしながら書いていた。そして気づいた。


 殺せば良いのだ。


 探偵というよくわからない職業をしている人間を殺してしまえば、私は二度と、このキャラクターを書かなくて済む。ミステリー小説を書かなくて済む。

 だから殺した。探偵を滝壺に落として殺してテンプレ小説を完結させた。


 満足だ。これで私も心置きなく死ねる。


 探偵を殺して私も死のう。

 天才小説家、戸居どいるあさ子は、そう心に決めていた。


 コンコン


「どうぞ」


 ガチャリ


「失礼します。食事をお持ちいたしました」


 ドアノブが時計回りにひれられてメイドが現れた。メイドは、手際良くテーブルにランチョンマットを敷いて食事の支度を整えた。戸居どいるあさ子は、テーブルに置かれた料理を見た。

 パイだった。


「ルバーブのパイです。執筆は脳が糖を欲しますので。でもおかわりはありません。食べすぎるとお腹を壊しまので何事もほどほどに……」


 ルバーブは、植物の茎だ。赤くなった頃が食べごろで、まるでフルーツのように甘くなる。よく煮てパイに入れたりカスタードクリームと混ぜ込んでデザートにする。

 そして食べすぎると下痢をする、つまりとても緩やかな下剤の効果があった。


 天才小説家、戸居どいるあさ子は、パイに塩をこれでもかと振りかけようとした。だがその手を止めた。そのパイから、とても複雑な匂いを嗅ぎ取ったからだ。


 戸居どいるあさ子は、銀のスプーンで、パイに「スッ」とナイフを入れた。

 パイはとても軽やかにサクサクと切れていった。知らない手応えだった。

 戸居どいるあさ子は、そのままサクサクと小気味良い音を立てながらパイを一口大の大きさに切り分けると、きれいに手入れが行き届いた髭が汚れるのを気にすることもなく口の中に放り込んだ。


 ルバーブの自然な甘みと、それを邪魔しない程度の砂糖の甘み。そしてなんとあらかじめ完璧に整えられた塩味と、ほんの少しだけ、青臭さを感じる旬の手前のルバー苦味。そして、その奥にかすかに、しかしながらしっかりと輪郭の立ったコクのある酸味。〝知らない味〟だった。


———————————————————

 戸居どいるあさ子の木行ポイントが1上がった。

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「うん、悪くないね。実にエレガントだ。素晴らしい」


 天才小説家、戸居どいるあさ子は、いかにも紳士的にめんどくさく、極上のルバームのパイを褒め称えた。


 メイドは、ニコニコしながた返事をした。


「本日は、少々オリエンタルに調理を致しました。遥か東の彼方にある、故郷の調理法でございます」


 メイドの名前は、コトリ・チョウツガイ。昨日雇ったばかりの、新人メイドだった。

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