第23話 腹を切る男と女中の娘

 男は黙っていた。無口な男だった。

 僧侶の口から放たれる、自分の運命を静かに聞いていた。


 男の名前はムネハル・クリアリバー。

 ビッチュウ・タカマツ城の城主。つまりは連合国家の小領主だった。

 そしてこの男は、あと四半刻の後、つまりは30分後に死ぬ運命だった。切腹をして、その首を魔王軍に差し出すのだ。


「……以上がヨシハル殿のお言葉です。異論はございませぬな?」


 僧侶は、英雄の息子、ヨシハル・クリアリバーのふみを読み終えた。


「ぎ、御意にござります」


 無口な男、ムネハル・クリアリバーは、震えながら静かに答えた。

 怖いからでは無い。武者震いだ。嬉しいからだ。連合国家のお役に立てるのが心の底から嬉しかったからだ。


 私は幸せ者だ。この役立たずな脳みその詰まった頭を、首から離して魔王軍に差し出すだけで、和議を果たせるのだ。


 先のいくさかつえ殺しをまる半年ものあいだ耐えしのぎ、最後は草民の命を安堵するために見事な自決を果たしたツネイエ・グッドリバーに比べて、私はなんと無能なのだろう。そして、なんと幸運なのだろう。


 一切の策を練らず、ただただ川がき止められるのをボケーっと眺めつづけた末、城を水浸しにされた愚鈍な私の役立たずな脳味噌を、首から切り離すだけで魔王軍より連合国家の安堵を約束されるのだ。

 私は無能だ。価値のない男だ。そんな私が自刃じじんをするだけで、我が連合国家の同胞とその草民、一日一万一心ひゃくまんいっしんを、救うことができるのだ。


 全ては、英雄の息子、ヨシハル・クリアリバー、タカカゲ・リトルリバー、通称リバー兄弟の心配りの賜物たまものだ。


 武者震いに震えるムネハル・クリアリバーを無表情で眺めていた僧侶は静かに言った。


「……準備が整い次第、表に出てくだされ。船を待たせております故……それでは」


 僧侶は無表情で、お神酒みきを起き、そのまま静々しずしずと部屋を出て行った。


 僧侶の退出を頭を下げて見届けたムネハル・クリアリバーは、ほどなく、声を上げた。


「だれか、うたげの用意を」


 腹を切る男ムネハル・クリアリバーは、最後の食事を楽しむことにした。とはいえ、この城は水浸しだった。補給は一切たち行かない。兵糧などとっくの昔に尽き果てた。


 酒のさかなは、兵糧攻めに備えて植えた松の皮だけだった。


「失礼します」


  スライドするドアが半分開いた。女中の娘が、両膝をつき腰をかがめていた。

 女中の娘は、一度ドアを開くのを止めた、そして両手を添えてドアを全開にした。

 そして、部屋に入ると音を立てずに「そっ」ドアを閉めた。


 とてもマナーが良かった。


 マナーの良い女中の娘は、シンプルな造りの床のヘリを踏まずに歩き、腹を切る男ムネハル・クリアリバーの前にしずじずと料理を出した。

 見事な鯛の昆布締こぶじめだった。


「これは?」


「タカカゲ・リトルリバー様の差し入れでございます。公方くぼう様の今宵の膳の一品を拝借したとのことです」


公方くぼう様の!? おおぉ! なんともったいない」


「そしてこちらは、公方くぼう様よりたまった短刀です」


 女中の娘は、しずしずと短刀を差し出した。


「なんと、タカカゲ様はそこまで……そこまで便宜べんぎをはかってくださったのか! この役立たずの私に……もったいない……なんともったいない」


 女中の娘は、しずしずと言葉を発した。


「鯛は丁度ちょうど頃合にございます。ご賞味ください」  


 女中の娘に言われるがまま、腹を切る男ムネハル・クリアリバーは箸をもって、鯛の昆布締こぶじめをつまんだ。

 箸につままれた切り身は、ねっちょりと糸をひきながらしずしずと宙に浮き上がり、流れるようにムネハル・クリアリバーの口中へと放り込まれ、ゆっくりと咀嚼そしゃくされた。


 鯛の滋味じみあふれる甘味、昆布のハッキリとしたしょぱさ、そして酒……だろうか、淡くピリリとした苦味。そして、その奥にかすかに、しかしながらしっかりと輪郭の立ったコクのある酸味。〝知らない味〟だ。かように見事な鯛料理は食べたことがない!


———————————————————

 ムネハル・クリアリバーの木行ポイントが1上がった。

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 腹を切る男ムネハル・クリアリバーは、知らない味〟の興奮を女中の娘に伝えた。

 

「すばらしい。かようにふくよかで複雑、それでいて優美で艶やかな味の鯛を食べるのは初めてだ!

 そして問いたい。微かに感じた苦味の正体を教えてくれぬか?」


「ビールにございます。注ぐと泡の立ち込める南蛮なんばんの酒にございます」


南蛮なんばんの酒か! 公方くぼう様はかような食事を常日頃から食べておられるのか!!」


「……はい」


 女中の娘はニコニコしながら返事をした。


 嘘だった。


 この異世界のこの文化圏には、ビールはまだ伝来していない。つまり武家の頂点に君臨する、公方くぼう様すら〝知らない味〟だった。

 腹を切る男ムネハル・クリアリバーの最後の食事は、この世界で二人目。そして、この世の〝全ての異世界〟をひっくるめても、十人未満しか食べたことがない、〝知らない味〟だった。


 女中の娘はニコニコしながら、言葉をつづけた。


「最後に、タカカゲ殿よりふみを預かっているのでお読み……ありゃ?

 しょ、少々お待ちください!!」


 女中の娘はニコニコしながら、しずしずと、しかしそそくさと退場した。


 女中の娘は、唐草模様からくさもようの風呂敷をまさぐった。


 なかった。


 悩める男、タカカゲ・リトルリーバーのふみが、唐草模様からくさもようの風呂敷に入っていなかった。


 女中の娘は、青ざめて、〝かわのたて〟を天にかかげた。


(めっちゃやばい! 〝だいじな手紙〟をどっかに落としてもうた!!)


 プルルルル……プルルルル……プルルルル……


 〝駅馬〟は、鳴り続けた。

 女中の娘コトリ・チョウツガイは、生きた心地がしなかた。

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