第6話 序章 5
アレクセイの楽観的な見立てとはよそに、二時間経っても状況は全く改善しなかった。それどころかますます悪くなっていった。現に、放った斥候が誰一人帰ってこないのだ。部隊内でも多くの兵士が自分達は前線で孤立してしまっているという事実を身に染みて感じ始めていた。
事実、司令部に部隊に所属する兵隊だけではなく行き場を失った一般人も集まってきていた。更に入り組んだ状況になったということもあり、相変わらず司令部は対応を決めかねている。彼らもただ単に撤退するわけにはいかないのだ。彼らが捜しているのは撤退の理由だ。
「このまま孤立して部隊丸ごと心中なんて付き合っていられるか。脱出して他の部隊に合流するしかない」
ヴェルナーはいらだっていた。彼自身伍長という下士官の端くれでしかない。しかし、アレクセイと同様にそれなりの上流階級の出身ということもありそれなりの教育をほどこされ、素養も身に着けている。自分の名前も書けないような兵士たちよりもはるかに状況の重大さを認識していた。彼の中ですでに命令遵守それ自体は意味をなさなくなっていた。
むしろ、このままでは敵前逃亡したところで罰する自部隊の将校は皆殺しになっているのだろうから逃げても全く問題ないとさえ思っていた。
ヴェルナーはアレクセイとイを呼び寄せ、脱出を提案した。二人は一瞬難色を示していたものの、状況を鑑みヴェルナーの案に乗ってきた。
三人は脱出を決めると銃や食料といった必要最低限のモノだけを持ち、周りの人間にばれないように脱出した。
実際、ヴェルナー達に行くあてなど全くなかった。ただ、あそこにいれば確実に死ぬ。それだけは確かなことだった。アレクセイはあの場に残した仲間が気がかりだと話をしていたが、ヴェルナーは置いていくしかないと思っていた。少数でなければ敵に見つかる可能性が高くなる。半端な優しさは足枷になるだけだ。
三人はまずポーランド国内を抜けるべく進んだ。しかし、徒歩による移動は思うように順調に進まなかった。大地は草がまばらに生えるだけであるため、歩くことそれ自体はそれほど苦労しなかったが、広大な平原は人間から方向感覚を奪う。
幸い三人は太陽や星を頼りに順調に進むことが出来たが、いつ敵に見つかるかもわからない緊張感は三人から確実に体力を奪っていった。また、食料は最低限の量しか携行しなかったため、食糧不足に陥ることは明白だった。
脱走して三日目にはポーランドとベラルーシの国境の近くまで進んでいた。しかし、一向にドイツ軍の進撃に追いつくことはなかった。
ヴェルナーはイに見張りをさせてアレクセイと共に休むことにした。民家はすでに空だったので、そこで休む手も考えられたが、ドイツ軍に見つかる可能性が高かった。
そのため、森の岩陰に穴を掘ってその中で休むことにした。岩はひんやりとしていて汗だくになって走っていたヴェルナー達には心地よい冷たさだった。ヴェルナーは連日の疲れもあり瞬く間に睡魔に襲われ、気が付いたら意識を失っていた。
蟻の屍 駄作製作所 @shutaro1218
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