第2話 北宣府近郊の戦い

「それ、本気じゃないですよね?」




 困ったような表情で発せられた成光の言葉に、忠綱や結希が噴き出し、義武が大笑するのみならず、周囲に居た配下の兵達までもが笑っている。


 一頻り笑った後に、目の涙を指でぬぐいながら結希が言う。




「そうは言っても黒江君が前の戦で大功を上げたからこそでしょ?あれがなければ誰も付いて来はしないわ」




 結希の言葉に周囲の兵達も頼もしそうに成光を見つめる。




「まあそうやなあ。側面攻撃の主力やった騎馬部隊を追い払うたんやさけ」


「うむ、そのまま敵陣を攪乱して撤退に追い込んだのだからな。あれは見事であった」


「負け戦での武功ですから、大名方も処遇にさぞ困ったことでしょうね」




 義武と忠綱の言葉に応じて心底気の毒そうに言う成光に、再び周囲から笑いが上がる。


 みんなが笑い終わるのを待ってから、成光は北の方角に視線を移す。


 山間の向こう、そこには手付かずの広大な原野がただただ広がるばかり。




 今は見えないが、後方にあたる南の方角には大きな半島が控えている。




 自分の領地とされたこの城の周辺の土地は、広大ではあるものの民はほとんど住んでおらず、境界もはっきりしないような未開の地だ。


 それを思いながら寂しそうに成光が言葉を継ぐ。




「まあ、いわゆる身分の裏付けをするための方便ってことでしょう。土地は広いですが、ここに1万石分の収入なんてあるはずもないのですから」


「……まあ、そうやな。ここにあんのは寒村と散村、それもこれからの戦に怯えて、民人は逃散しちゃあるわ」




 義武の言うとおり、この場所はあくまでも瑞穂列候軍が大陸東方へ出兵するために足がかりとして築いた城と湊。


 元々はどこの国に所属しているとも言えないような、それこそ未所属の寒村が散在しているだけの地であったのだ。


 主として湊が整備されており、岸壁や桟橋が整えられ、兵糧を蓄える倉庫や兵舎も整備されているが、これも軍が撤退すれば火が放たれることになる。


 成光の籠もる砦は、最低限の見張りが出来るように作られた粗末な物で、この砦をもって籠城の上、敵を撃退することなど最初から想定されていない。




 というのも、最初はこの場所自体が侵攻作戦の通過点でしかなかったからだ。




 しかし情勢は著しい変化を遂げる。


 今やこの貧相な砦こそが瑞穂軍の頼みの綱で有り、文字通り最後の砦なのだ。


 大名達は想定しているかどうか分からないが、ここで勢いに乗ってやって来る南王や西王、東王の軍を食い止めなければ、数年後には瑞穂群島への侵入を招きかねない。


 この場所が今とは逆に瑞穂群島への出撃の出口になりかねないのだ。


 この場所の利便性を、瑞穂国が今回の大陸出征で示してしまった。




「まったく、貧乏クジ中の貧乏クジですよ」


「それだけの活躍をしたのだ。北王殿下や皇帝陛下からお褒めの言葉も頂いたのだろう?武人冥利に尽きるというものではないか、のう?」




 ぼやく成光に、忠綱は励ますように言うと、周囲の兵達に同意を求めるように目を向けると、兵達はここぞとばかりに堰を切ったように言い始める。




「そのとおりです、成光様。成光様は我らの誇りです!」


「卑下されていますが、地侍がいきなり1万石の大名に取り立てられるなど、前代未聞の大出世ですぞ!」


「先の戦で命を救って貰った私たちは、成光殿に尽くします!」


「2回目の北宣府での戦いで、隣の陣にいましたが……あの戦振りは目に焼き付いています、屹度お役に立ちます!」


「異国においても瑞穂武者の矜持を失わない振る舞いには、頭が下がります!」




 黒江家差配の兵や武者は今や50ほどであったが、成光が殿を命じられたと聞いて集まった武者は100名余。


 噂が広まれば、武者はもう少し集まるだろう。


 成光としては、殿はあくまでも殿であり、ここで死ぬつもりは毛頭無い。


 最初から総撤退が成功した段階でこの場を離脱する腹積もりでいる。


 故に、ここでもう一度戦功を挙げ、箔を付ける必要があった。




 しかしながら、敗戦後の殿ほど危険なものはない。


 武運拙く全滅という事もありうるだろう。


 当然、そうなったとき人死には少ないに越したことはなく、成光としてはこれ以上兵を集めるつもりはなかった。


 そして、それには敵と味方の戦力を正しく把握し、的確な戦術を採る必要がある。




「私のところには武者と兵が併せて150程ですが……皆様は如何程兵を割いて頂けますか?」




 成光の遠慮がすける言葉に、今泉忠綱が不敵な笑みを浮かべて応じる。




「我が家は物好きが多くてな、全員残るそうだ……概ね100というところか」


「奇遇ですね、我が十河家の武者達も全員残りたいそうですから……数はやはり100と言ったところでしょうか」




 続いて十河結希が微笑みながら言うと、はんっと息を吐きながら鈴木義武が言葉を続ける。




「鉄炮はそれなりに必要やろう?わえらも総勢100人やな。大筒も5門あるわ」


「今泉殿と結希姉さんの十河家、鈴木殿が100。うちと併せて450ですか……あとは少し居残ってくれる人も居るみたいですから、概ね500と言ったところでしょうか」




 内訳としては、刀槍武者が150、弓武者が100、鉄炮武者が150、雑兵が100、大筒と呼ばれる瑞穂製の小口径砲が5門。


 まずまずの戦力だ。




「まあ、皆故郷には帰りたいだろうからな」


「そないに物好きもようけ居らんやろうし、そんなもんかいの」




 成光の言葉に、忠綱と義武が慰めるように言うと、揶揄するように結希が言う。




「それに、足手纏いはむしろ邪魔よ。やる気がある者だけ残れば良いでしょ」


「きっついのう……まあ、しかし真理やな」




へっという感じで結希の辛辣な言葉に同意した義武に、忠綱が苦笑しつつ言う。




「尤も、5万からの敗残兵を逃がすには少なすぎる殿しんがりだが、ここには小なりとは言え城がある。まずはこの城を落とさねば湾にはたどり着けないが……如何に山間に有るとは言え貧相だな」


「それにこの先は平原ですからね。追っ手は歩兵に速度を合わせているとしても、もう十日程は猶予があります。騎兵だけが突出してきても城と山があれば怖くありませんから」


「言いますね。でも騎兵が来るとすれば、我が軍が撤退する元凶を作った北秦族ですよ?その前の北元関の戦いでも活躍していました。既に大章の叛徒共と誼を通じているのは明白。十分警戒せねばなりませんでしょう」




 成光の台詞に否定的な意見を述べつつも結希が不敵な笑みを浮かべると、成光はこの撤退の切っ掛けとなった大戦おおいくさを思い出した。








 中央歴105年8月2日午前 東大陸・大章帝国だいしょうていこく、北宣府近郊ほくせんふきんこう=後称・第二次北宣府近郊の戦い=




「申し上げます!北側側面より騎馬が多数突入して参りました!左翼の大河勝永殿と大章北王殿下配下の楊将軍敗走!続いて第2陣の喜多原義友殿の隊も共崩れを忌避して後退しております!」


「何っ!?大河殿に続いて喜多原殿も下がったと!」




 本陣の上席に設けられた、漆塗りの立派な床几に腰掛けていた50絡みの武者、この瑞穂国大陸遠征軍総大将の石鷲長誠が驚きの声を上げる。


 敵の左翼を一旦は撃破したのに、新手が登場するとは聞いていない。


 左翼からの攻撃で敵を敗走に持ち込めば、また武功第一となったのであろうが、大河勝永隊には疲れが見え、また敵を一旦撃破した事で油断から突進力や士気も失われている。




 漆黒に仕上げられた烏帽子に、古式ゆかしい赤を基調とした大鎧を身に付け、錦織の陣羽織を重ね、その手には赤漆と金糸で仕上げられた扇子がある。


 きらびやかな戦装束をまとうこの威丈夫こそ、瑞穂国を再統一した真道長規に付き従い、活躍に活躍を重ねて大功を上げ続け、ついには大陸遠征軍の総大将となった、石鷲長誠その人であった。


 しかしその装束の賑々しさとは裏腹に、顔はどす黒く頬がこけて貧相であり、また目は濁っている。




 武勇優れた大将ではあるものの、その欲得ずくの行動には批判も多い。


 この大陸遠征の総大将に自ら名乗り出たのも、大陸の土地や財宝を目当てにしてのことであり、その形振り構わぬ賄賂や脅迫じみた交渉で他の候補者を引きずり下ろした経過は瑞穂国でも広く知られていた。


 それでも将軍位にある真道長規が石鷲長誠を総大将に指名したのは、欲深い面を欠点として数えても統治と武勇のバランスが良い武将ではあるからだ。




「石鷲殿、このままでは正面の叛徒軍に押し込まれてしまいますぞ!」


「直ぐに本陣から左翼に後詰めを送りましょうぞ!幸いにも中央の阿辺殿と右翼の片切殿は持ち堪えております。左翼を建て直し、2陣の喜多原殿を本陣に戻して編制し直せば、まだ勝ちの目はあります!」




 石鷲家の直臣のみならず、今回の大陸遠征で配下に付けられた大名や諸将が相次いで進言するが、石鷲長誠は決断しかねていた。


 兵数ではほぼ同等であるものの、本陣を手薄にすることで自分の身に及ぶ危険を嫌ったのだ。


 それに加えて石鷲長誠には気がかりがある。


 この一年余りで瑞穂国の政治状況が大きく変わったことだ。


 石鷲長誠が出征したことで真道家の政治的均衡が崩れ、後継者選びが政争に発展しつつある状況下で、のんびり大陸で戦っている暇など本来は無い。




 しかし戦況は予断を許さない。




 緒戦と次戦で続けて2勝したものの、3回目となる前回の戦では大敗したのだから、ここで踏ん張っておかねばならない場面であろう。


 しかしながら、既に得られる物が少ないことは分かっており、石鷲長誠としては何時までも大陸にかまけている場合では無いというのが本音であり、彼からすれば早く帰国して真道家の後継争いに加わりたいのが実際のところなのだ。




 最初は最早武功が得られない平和になった国元を出て、これから戦乱の時代に至ろうとする東大陸へ出征し、戦功を重ねて発言権を得ようと考えての総大将立候補だった。


 ところが当初考えていたような戦功は挙げられなかったばかりか直近の戦では大敗してしまい、結果増大した敵勢力を考えればその汚名をそそぐことがかなり難しいのは明白で、石鷲長誠は今後の道行きに大きな不安を抱えていたのである。




「うぬぬ……っ、まさか北の騎馬部族が大章の謀反人共にこれほど本腰を入れて味方するとはっ!北王の東香歌殿は北は一旦大丈夫だと申していたはず!」


「しかしっ、現に北の馬賊共はその北王殿下の支軍を撃破して我らに攻め掛かっております!ここは一刻も早い手立てを!」




 家臣の言葉に左翼を改めて遠望すると、大河勢の敗走する姿の更に先に、大きな四角の生地に吹流しを付け、中心に北王と記された旌旗が見える。


 それこそ、大陸のこの場所に彼ら瑞穂国の武者達が居る理由の最大のもの。




 大章帝国の北王であり摂政位にある皇姉、東香歌の本陣のある場所であった。




 傍目にも騎馬部族に攻め立てられて苦戦しているのは分かったが、それを石鷲長誠は忌々しげに睨み付けると、ざっと床几から立ち上がる。


 諸将は本陣を前に押し出すべく号令を掛けるために立ち上がったものと思い込み、さっと顔色を緊張と興奮から紅潮させたが、次ぎに出された命令に目を剥く。




「撤退よ!この戦、既に利あらじ、撤退する!」


「なっ!?お、お待ち下され!未だ勝敗は決しておりませぬっ。それにここで撤退すれば敵に追討ちを受けて損害が大きくなるばかりで御座いますぞ!」


「持ち堪えている各備えも崩壊しかねませぬ!ご再考を!」

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