第3話 北宣府近郊の戦い2

側近や大名達が慌てて翻意を迫るが、石鷲長誠は強張りながらも嫌らしい笑みを浮かべて言う。




「二度は言わぬ……撤退じゃ!」


「何を言われるかっ、お考え直し下されよ石鷲殿!」


「正気か石鷲殿!?」




 食い下がって翻意を迫る一部の諸将を袖にし、石鷲長誠は床几を蹴倒して呼ばわった。




「誰ぞわしの馬を連れて来い!」


 自分付きの小姓にそう命じると、石鷲長誠はすっと笑みを深めてから言う。




「おう、そうじゃ、欲に駆られて付いて参った地侍共が2千ばかりおったろう。功挙げる機会じゃ、殿を申し付けよ。そうよの、殿しんがりに功があった者には上陸地の名無し城の城主とその周辺の1万石の領地をやろう……ついでに郡代の地位を授け、我らが撤退するまでの殿しんがりも合わせて申し付ける。これで名も無き地侍も晴れて万石持ちの大名よ」




 あまりの内容に、諸将は呆気にとられている。




「何を言われるか!地侍共は確かに功を狙っておるだろうが、それもこれも真道将軍の軍令に従って恭順の意を示すためのもの。彼らとて今や同胞であり真道家の家臣。処遇に分け隔て無しと約束したはず!」




 将の1人、水軍将の栗須弘盛が辛うじて立ち直って言い募るが、石鷲長誠は全く取り合わない。




「ふん、そもそもわしらと地侍共が同輩とは恐れ入るわ。わしは納得しておらぬ」


「何と?」




 石鷲長誠の言葉に眉をひそめる栗須弘盛。


 確かに、地侍を恭順させるにあたっては、他ならぬ真道長規の発案で誇り高い彼らが降伏し易いよう、身代に関わらず真道家の直臣としたのだが、それに反発する譜代の家臣もいたとは聞いていた。


 しかし真道長規の側近であり、石鷲長誠ほどの高位にある者が、地侍の処遇に不満の思いを持っているとは思わなかったのだ。




「薄汚い半農半士の奴原が長規様への恭順の意を示すなど、然様な殊勝な心懸けを持つはずもあるまい。ここで使い潰すのが上策よ。おおよそ叛徒の元であるに違いないからの」




 そう言いつつ石鷲長誠は筆を執ってたっぷり墨を付け、呆気にとられる諸将を余所に近くにあった絵図面の端にその旨を記し、最後に署名と花押を付した。


 そして筆を置くと、脇差しで歪な形にそれを切り取る。


 将の内三分の二はそれを面白そうに眺め、残る三分の一は無表情。


 石鷲長誠は馬を連れてきた使い番に、その切れ端を渡す。




「これは?」


「地侍共の陣へ行ってこれを誰か適当な者に与えてこい、誰に与えるかはお前に任せる」


「はっ?」


「くくくく、薄汚い地侍が功名争いで自滅する様が見えるわ。愉快じゃの……では行くぞ」




 出来損ないの感状を手にして驚く使い番を余所に、石鷲長誠はそう言い置くとさっさと陣を出て自分の馬に乗る。


 それを見ていた諸将が慌てて続くと、たちまち本陣は閑散とした。


 手にした感状を呆然として眺める使い番に、苦い顔のままの栗須弘盛が近付く。




「……わしの知る地侍に今泉忠綱というのがおる。そやつに渡せ」


「はっ?」


「今泉はまとめ役になり得る。恐らく悪いようにはなるまい。本当ならばわしも居残りたいが、水軍将のわしは全軍の撤退の準備をせねばならぬ。今泉めは恐らく他の地侍と共に北王殿下のそばにおる、頼んだぞ」




 驚いて見返してくる使い番の背中を軽く叩いてからそう言い置くと、弘盛は踵を返す。


 早急に船団の準備をしなければならないが、時間は少ない。




「敵も損害が多い上に狙いは北王殿下だ、腹立たしいが石鷲めの撤退はまず失敗はするまい……悪いが後は頼むぞ」




 弘盛はそう独白しながら足早に陣を去る他ないのだった。












同時期、北王・東香歌の前備、地侍連合隊




「北側に大盾と垣盾を居並べろ!騎馬突撃が来るぞ!」


「陣を建て直す!一列鉄砲、二列弓、三列刀槍の順に並べ!」




 矢継ぎ早に配下の武者達へ命令する黒江成光に従って、100余りの黒江家の軍兵がきびきびと動き、やがて小さな堅陣が出来上がっていく。


 その様子を見ていた周辺に陣を敷く地侍達も同調し、次々と100余りの兵による小さな堅陣が北王軍本陣の北側正面にいくつも出現した。




 地侍達が構築した陣の眼前には、北王軍の左翼に陣取っていた楊将軍配下の陣営を突破し、後退する瑞穂国軍の大河隊の側面をすり抜けて向かってくる騎馬部隊の姿がある。


 曲刀や短弓を装備し、袖や襟、兜の縁にふさふさの毛を付け、堅く煮固めた毛皮で設えた兜や鎧を身に付け、裸馬とも見紛うべき簡素な革紐で出来た馬具を使っている。




 歯を剥きだして闘志を露わにしたその集団は正に北の騎馬部族のもので、その数はざっと見ても5千は下らないだろう。


 大河隊の後退に合わせて、全体的に北側に配置されていた瑞穂国軍はどんどんと後退を重ねており、地侍達の陣までいわゆるがら空きの状態。




 北王軍は正面と南側の敵に対処するので精一杯であって、ざっと見渡してもこの突撃に対処できるような部隊は無い。


 瑞穂国で浮備うきぞなえと呼ばれる遊撃隊であるところの、成光ら地侍連合体しか今は動けない状況なのだ。




「大陸に来てから難しい戦ばかりだけど、今日のは極めつけだなあ」


「瑞穂と違ってだだっ広いんで、馬を使った突撃の強烈さは骨身に染みますぜ」




 ぼやくように言う成光に、黒江家配下の兵長である正兵衛しょうべえが答える。


 成光は正兵衛の肩をぽんと叩くと、顔を引き締めて言う。




「まあ、簡単にいくと思ったら大間違いってのを見せてやらないとね」












 選りすぐりと言えば聞こえは良いが、実態は烏合の衆であるところの地侍連合。


 彼らは独立独歩の気風が強く、山間や島嶼などの攻め難く守り易い小さな所領を頑固に保持して真道家の支配に抵抗してきたが、時勢は完全に瑞穂再統一に傾き武運拙く総降伏となった者達だ。


 彼らの降伏をもって真道家は瑞穂国再統一を成し遂げたが、真道家の家臣達や早くに降伏してその傘下に加わった大名小名から地侍達は良く思われていない。




 そして、瑞穂国から戦乱が名目上一掃されたが故に、地侍達は忠節を最大限に示す場であるところの戦場で武功を挙げる機会を得られず、真道家中に認められるどころか降伏したという事実ばかりを背負う羽目になったのだ。


 つまり、最後に降伏したことで、序列が完全に最下層で固定化されてしまったのである。


 立場的には真道家の直臣扱いだが、世間はそうは見ない。


 武功を挙げて忠誠を示す機会が失われてしまったということは、序列を入れ替える機会をも完全に失ってしまったことを意味した。




 そこでやむなく東大陸への出征に応募し、真道家に対する忠誠を示し、多少なりとも世間体を向上させ、序列を上げるべく、文字通り血のにじむ努力をすることになったのである。


 活躍してもしなくても、領地が増やされるわけではない地侍達。


 彼らはただ生き残るために、家を潰さないため、そして真道家の家中で認められるために赤心を見せる必要に駆られ、遠い異国の地への出征を受け入れただけなのだ。




 しかし、戦となれば小なりといえども彼らも侍。


 侍の端くれとして意地や誇りがある。




 一応名目上の上位者は真道家から任じられているが、実質は個々の指揮に任されているため指揮系統はバラバラで統一的な行動が取り辛いという弱点はあるものの、地侍達は敢えて置かれた過酷な戦場でも良く耐えて活躍した。


 石鷲長誠からすれば、地侍連中に対する露骨な嫌がらせなのだが、地侍達は活躍の場を与えられたと張り切って戦に望み、犠牲を出しながらも活躍したのである。




 加えて地侍個々の武勇も一般的な大名の家臣に比べて秀でており、今までも全ての戦においてかなりの武功を挙げている。


 石鷲長誠らからすればこれは面白くない事態であるが、彼らがやった配置決めであり、部署決めであるためにそれ以上の横槍は入れ辛く、結局今回の遠征で地侍達が一番の武功を挙げる結果になりつつあった。




 それでも瑞穂国の大名達は地侍の活躍を認めようとはしない。


 それどころか更なる嫌がらせ、あるいは彼らを厄介払いするべく、以前から北王より求められていた直接の援兵としてその元へ送り出していたのだ。


 瑞穂国での経緯いきさつを知らない大章帝国の士卒は元より将や高官は、石鷲長誠から嫌がらせで送られた地侍達を本当の精鋭だと思っており、大歓迎する。




 そして、相応の礼をもって地侍達を受け入れ、本陣の総備えとして北王東香歌の前備えの位置に彼らを配したところで、開戦と相成った。


 所詮は拮抗していたものの、北王配下の楊将軍が戦列を維持しきれずにずるずると下がると、北王軍は脆くも崩れ始める。


 一時は瑞穂からの援軍で勝利を手にしていたが、本来の北王配下の弱卒が露わとなる。


 北王はその卓越した政治力で若くして叔父にあたる諸王を押さえて大章帝国を取り仕切っていたが、然程軍事的能力は高いわけではない。




 治安維持や対外防御で軍を使うことはあっても、積極的な軍事行動を取ったり対外遠征での権威高揚を図るタイプの政治家ではないのだ。


 その弱点が露呈してしまったのである。


 そして、北王軍が崩れ始めたのを見て取り、瑞穂国軍も一斉に引き始めた。


 物見の兵が相次いで北王の元にやって来た。




「申し上げます!左翼の楊将軍配下の部隊が崩壊しました!」


「右翼の采将軍の陣が押し込まれております!」


「左翼に陣を張っていた、瑞穂国大陸遠征軍総大将の石鷲長誠様が退却し始めております!」




 最後の兵の注進に、北王軍の本陣が動揺する。




「何と!未だ戦は続いておるというのに、どういうことだ!何故強兵で鳴らす瑞穂の軍兵がこれしきのことで退くのか!」


「呼び戻せ!使者を派遣せよ!南海の蛮兵共が!」




 いきり立つ将官達に対し、天幕の中央に座する瀟洒な東方大陸型の鎧兜に身を包んだ妙齢の美女が、ほうっと溜息を吐き、手にした羽扇を動かした。


 黒を基調とした鎧に白い羽扇が目を引く。


 いきり立っていた将官達が、思わず言葉をと動きを止めるほどの妖艶さを見せ、兜からこぼれる長い艶やかな黒髪をそのままに、切れ長の目を周囲に向ける妙齢の美女こと、北王東香歌は言葉を発する。




「……瑞穂の武士達は去るということでしょうね」


「くっ!このままではここも敗残兵に巻き込まれて混乱してしまうぞ!」


「落ち着きなさい」




 再びいきり立つ将官達をその一言で黙らせると、東香歌はそう言うと、再びそっと溜息を吐いて考える。


 瑞穂軍はこの大陸に来てから一年余りの短い間に既に大きなものだけで既に三度、戦闘に参加しており、疲弊していることは東香歌にも分かっている。


 緒戦と次戦はともかく三戦目は大敗、しかも今また主体であるはずの北王軍の後退から劣勢が始まった。




 それに加えて、瑞穂国内部での情勢も一年前と変わってきていることは、東香歌も掴んでいる。


 この場に来ている武将の筆頭、石鷲長誠は瑞穂の高官の1人であり、その地位を保つためにも早く瑞穂に戻りたいのだろう。


 あの粘つくような視線を自分の身に受けることが無くなるのは有り難いことだが、それと引き替えに5万もの精強な援兵を失うのは手痛い。




 瑞穂の援軍はあくまで援軍であり、逆に腹の据わらない者に率いられた強い軍など、厄介事の種にしかならないのは、誰もが認めるところだ。


 しかし瑞穂からの援軍が全く無くなってしまうと言うのは、この期の政治的駆け引きの観点からも不味い状況だ。


 瑞穂からの援助が一切無くなったと知れば、敵勢力は攻勢を早めるに違いなく、体勢を立て直す時間を稼ぐためにも瑞穂との関係は維持しておきたい。




 出来れば一部だけでも、しっかりとした将に率いられ、統制の取れた部隊が残ってくれれば助かるが、それは高望みというものだろう。


 引き上げてくれるのなら、民や国土に負担の無い今のままの形でお引き取り頂くのが無難であろう。


 そこまで考えると、東香歌は徐に口を開く。




「今瑞穂国の撤退を責めても仕方ありません。何より先に崩れたのはこちら側、最早勝機が無い事は戦下手の私でも分かります。瑞穂国にこれ以上負担を掛けてもかえって反感を招くだけ。気ままにさせます」


「し、しかし北王殿下っ」


「良いのです。ここは一旦北宣府に籠もり、耐えて時機を待つ他ありません……撤退です」




 次に北王が発する言葉を察し、必死に食い下がろうとする将官を羽扇で制し、ゆっくりと宣言する東香歌。


 その台詞が終わるか否かのその時、喊声と共に馬蹄の音が轟き、それに呼応するかのように本陣の前備え付近から火薬の激発する音が響き渡る。


 そして真白な煙が前陣から幾つも吹き上がった。




「尤も、すんなりと退かせてくれる状況では無さそうですが……」




 戦場に響く剣戟や喊声を間近に聞き、北王は形の良い眉をひそめる。


 余りに近いその音に、いきり立っていた将官達も浮き足立つ。




「仕方ありません。皆は皇帝陛下をお守りするべく北宣府へ退いて下さい。私はここに残って敵を防ぎましょう」


「い、行けません北王殿下!」


「お退き下さい!」


「では誰がここに残って敵を防ぎ止めるのですか?」




 顔を青くした将官達が東香歌に言い募るが、当の本人から問われて更に顔を青くする。


 誰もこの場には残りたくないのだ。


 これまでは友好的であった北方の騎馬部族達が裏切ったことを、北王軍は既に戦の前から知っている。




 しかし、瑞穂軍には伝えていない。


 戦の前に瑞穂軍が劣勢を知って離脱してしまうことを恐れたからだ。




 一旦戦になってしまえば、途中で切り上げることは出来ないし、離脱も難しい。


 それに、戦の前から瑞穂軍が離脱してしまえば、戦いにすらならないおそれもあった。


 三王の連合軍は10万を数え、北王軍と瑞穂軍は併せて約8万。


 瑞穂の援軍5万が無ければ、会戦に持ち込むことすら出来なかっただろう。




「皆は退きなさい。私が残ります」




 再度の北王の宣言に、将官達は力なく承諾の意を伝え、退陣の準備をするべく本営から散っていく。


 その後ろ姿を見送った後、東香歌はもてあそんでいた羽扇を置き、ため息を吐きつつ、つぶやいた。




「戦いはままならないものね」




弟が皇帝位に即位してから反乱が勃発するまで、大過なく国政を取り仕切ってきた。


 そこまでは順調だったのだ。


 それがいきなりとは言えないまでにしても、まさか武力に訴えて乱を起こし、国を割るような判断をあの叔父達がするとは思わなかったのだ。


 弟が成人すれば、自分も皇帝の姉として何れ他国へかあるいは国内の有力貴族かは分からないが、嫁ぐことになっていたであろう。




 その思い描いていた未来まであと少しというところで、躓いた。


 傍らに置いた羽扇は、家臣の1人が年若い女性である東香歌の威厳を演出するべく持たせた物だ。


 その有能な家臣は、照京で叔父達東王や西王の挙兵に巻き込まれて亡くなってしまった。




「……このままでは済ますつもりはありません」




 羽扇から目を離さず、東香歌は口を引き結んで部隊に直接命令を発すべく、本陣を後にするのだった。

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大陸城主黒江成光 あかつき @akiakatuki

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