大陸城主黒江成光

あかつき

第1話 大陸城主

中央歴105年10月2日午前 東大陸西端・瑞穂国占領地、名も無き城郭




 小さいながらも急峻な山に設けられた名も無き城郭から北には、しばらく続く山々の向こうに見渡す限りの平原が広がっている。


 その先西には南西に控える遠浅の海へと注ぐ大河がゆったりと流れ、東には北から続く狭い帯状の平原を挟んでなだらかな丘が続き、山脈を所々形成している。


 南には山々が途切れてなだらかな丘を伴う地続きの半島が長く砂州と遠浅の海を伴って伸び、更にその先には大海と瑞穂群島の山々が霞んで見えていた。


 半島の脇には低い山が抱くようにして深い港湾を抱えており、その南に開けた湾内には軍船が浮塵子のように集まって瑞穂の武者や兵を乗せ続けているが、遠目に見ても項垂れて生気の無い様子が見て取れる。




 軍船は南海は瑞穂群島に覇を称えたばかりの真道家の家紋である丸に真の字が黒々と染め抜かれた白帆を上げ、南海群島特有の角張った防壁が構造船の上に積み上げられた形の戦船だ。


 今も桟橋や艀、果ては縄を使ってそれらの船に南海武士達が乗り込んでいるのが見える。


 砦の頂上櫓からその光景を沈痛な表情で見つめる若武者は、後頭部で結い上げられた髪を気にしつつ紺色の烏帽子に小手と革手袋で覆われた手を添えて位置を直すと、同じ紺色で誂えられた具足の様子を確かめる。




 その若武者の鎧は、袖こそ大袖おおそでと呼ばれる古風な物だが、他は襟廻えりまわし、胴丸、草摺、佩楯、小手、臑当は当世風で真新しい。


 腰には業物と見える対の脇差と刀が差し込まれており、地味ながら陣羽織を着用していることからもそれなりの地位にある事が分かる。




 年の頃は20代前半。




 沈痛ではあるが悲観していないことは、その切れ長の眼差しの強さを見れば分かる。


 武者らしく確りとしてはいるが、然りとて野卑さはない涼やかな顔立ち。


 その形の良い頤おとがいに手をやり、ふっと息をつく若武者。




「……さて」




 年相応の若々しい声でつぶやいた言葉に、低い落ち着いた声が応じる。




「黒江成光殿くろえしげみつどの、総撤退は最早決まった以上、殿しんがりを如何に務めるか思案致さねばなりませんぞ」




 振り返る若武者の後ろには、声の持ち主である漆黒の鎧を身に付けた威丈夫がいた。


 がっしりとした長身に、斜めに刀傷が走る四角く厳めしい顔。


 口と顎に蓄えられた髭は黒々とした50絡みの威丈夫は、頷く黒江成光を見て満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと惨めな撤退作業の続く湾を見回してから、再び口を開いた。




「誰も彼もが我らをこの地に縛って殿にすべく、如何に勿体を付けて置き捨てにすることだけを考えておりますが、黒江殿の考えは違いそうですからな」


「刀槍の妙手と名高い今泉忠綱殿に助けて頂ければ、それも出来るかも知れませんね」




 呼ばれた若武者、黒江成光に笑顔で頷く今泉忠綱に続いて現れたのは、緑色の当世風鎧を身に付けた、長身で細身ながらもしっかりと鍛え込まれた体躯を持つ20歳代前半の女武者で、兜では無く鉢金と呼ばれる金属の鉢巻を額に巻き付け、長い艶やかな黒髪を後方で結って背中に垂らしている。


 手には大弓があり、背には大きな矢筒を背負っている彼女が、厳しいながらも美しい顔に満面の笑みを浮かべ、その鎧の胸元を軽く叩いて言う。




「今泉様には及びませんが、この十河結希とがわゆうき、黒江君、いえ、黒江殿に精一杯尽力致しましょう」


「十河姉さん『殿』は止めて下さい。従姉の姉さんにそう言われると背中がかゆくなりますよ」


「ふふふふ」




 従弟に優しげな笑みを向ける結希に目を向けてから苦笑をしつつ、成光は言う。




「弓術の得意な十河衆に残って頂けるのは心強いですが、本当は一緒に撤退して欲しいのですけどもね」


「それは言わない約束ですよ。黒江君が残るのなら私も残ります」


「分かりました。ありがとうございます」




 頷いた十河結希が背後を見るのにら釣られて成光がその先に視線を向けると、ぽりぽりと頬を書きながら無精髭を生やした20代後半の無頼風の武者が苦笑を浮かべている。


 その手には火縄銃が握られており、青色の鎧兜に加えて火薬入れや玉入れといった道具類も青で統一されていた。




「これは、鈴木義武すずきよしたけ殿、あなたまで?」


「何やわいらに近い身分のもんが殿しんがりせなあかんらしと十河の姉やんから聞いてよ。まあ、ちっと手伝てつどうちゃろ思たんや。ほいでもまさかやな、黒江の三男坊のお前まんとは思えへんかったわ……よう気張ったのし、成光。値千金の殿やぞ」




 驚きながら発せられた黒江成光の言葉に、無骨な顔に似合わぬ愛嬌のある笑みを向けつつ答えた鈴木義武。


 彼は成光の実家と隣接する領地を持つ地侍で、結希や成光とは顔見知りだ。


 その義武は笑顔で気安げに成光に近寄ると、どんとその背中を叩いて言葉を継ぐ。




「ほいでも久しいのう成光、黒江の親父殿らは塩梅どうな?」


「お陰様で、領地で元気にしています」


「はっは、曲者親父が元気とはええ言い様やな。ほいでもわいらの仲やないか、お国言葉でしゃべられやんのか?」


「他の人が何を言ってるか分からなくなりますので」




苦笑しつつ答える成光に、結希や忠綱も笑いを隠そうともしない。


 それなりに交流のある十河家や今泉家でも、黒江家や鈴木家の領地がある南方道なんぽうどうに位置する諸国のお国言葉は理解出来ないほど特別なのだ。


 成光の言葉にふんと鼻を鳴らすと、義武は言葉を継ぐ。




「左様か……しかし見事に地侍の端武者ばかりが集まり果おおせたもんやな。まあ一々何ぞするごとに小煩い上が居てへんのは、ええこっちゃ。殿かて思う存分やれるやろ」




毒突くような義武の言葉にも、気を悪くした者は1人も居ない。


 かつて5万を称した瑞穂国の大陸遠征軍は、高位の大名を将帥としてきら星の如く揃えていたが今やそれも昔。


 1年前の威容は落魄して見る影もない。


 最早ここにあるのは武者や兵つわものでは無く、目的を果たせないまま惨めに南海の瑞穂群島へ逃げ帰ることだけを目標にした者達の群れだ。




 無論、大名達はいち早く帰国している。




 今頃は瑞穂の列候を統べる真道将軍に対しての言い訳を、帰りの大船の中であれやこれやと考えている最中であるに違いない。


 今回の遠征には大名のみならず、無主の地侍や将軍位を持つ真道家の直轄領からも相当数の動員が為された肝煎のものだったが、その失敗は明白で、後はそれに付随してどれだけの諸侯が処罰を受けるか、その処罰はどの程度でのものが科されるかであろう。




 兵卒は既に自分の身をもって代償を支払った。


 ある物は命、そしてある物は腕や足、目や耳で。


 財産でもある鎧兜や刀槍、鉄砲、故国から持ち出した糧食や金銀銅の貨幣も全て投げ捨てて逃れ出したのだ。




 大名衆はそうでは無い、本当に失うのはこれからなのだ。




 それが地位になるのか、領地になるのか、はたまた別のものになるのかは分からないが、少なくとも申し開きの余地があるだけ救いがあり、その救いを得るべく一刻も早い貴国が必要なのだ。


 それを思った成光の顔が暗くなる。 




「章京しょうけいでの敗北、続く北宣府の撤退戦で全てが狂ったな」


「勝敗は兵家の常……仕方ありません。後は敗戦の汚名を濯ぐ事が出来るかどうかです」




 忠綱が苦虫を噛み潰したような顔で言うと、沈痛な表情に戻った成光が言う。


 東の大陸を長く統治する超大国、大章帝国。


 平和が続き、諸国とも融和的な施策を取り続けて来たが、ここに来て皇帝の地位を巡って内紛が起こった。


 未だ幼い皇帝が即位したことから、その摂政として皇帝の姉にあたる北王ほくおうの東香歌とうこうかが摂政に就任、その権勢を集めた。


 そして5年にわたり大過なく統治を進めてきたのだが、ここに来て皇帝の叔父にあたる東王、東厳君とうげんくんが政争を仕掛けたのだ。




 思ったより北王の政治が的確で、おそらくはこのまま見過ごせばその統治は益々固まり、自分達が日の目を見る可能性が失われると考えたのだろう。


 北王の失政を待つことを止め、積極的に討って出たのだ。


 当初は優勢であった北王派だったが、東王の他に、やはり現皇帝の叔父にあたる西王と南王までもが皇帝位を狙い始めるに至り、政争は一気に激しさと凄惨さを増す。


 大章帝国の首府である章京では、北王派の官僚達が東王と西王の私兵に粛正される事件が勃発、北王は皇帝を伴って大章帝国の首府である章京を捨て、北王領の中心である北宣府へと逃れて体制の立て直しを図った。




 そしてその一環として北王から真道将軍が統一政権を打ち立てたばかりの瑞穂国に援兵を要請する使者が立てられたのだ。


 瑞穂国は長く戦乱が続いたが、7年前に東平道にあった真道家が武略政略を尽くしてこれを統一し、大王から瑞穂を統べる大将軍位と大臣位を授かった。


 7年間の長きに渡ってじっくり内政に時を費やしていた瑞穂の再統一者、英傑真道将軍は、代替わりを前にして正に海外へ討って出るか否かを検討している最中であり、そこに折良く訪れたのが、大章帝国は北王からの使者であったのだ。




 無論、体裁は大章帝国の皇帝からのものであり、周辺諸国の物と合わせて大章帝国の政治事情は真道将軍も抜かりなく集めている。


 瑞穂国再統一の英雄、真道長規しんどうながのりは、熟考の末北王派に対する援軍派遣を決定、配下諸侯のみならず、瑞穂群島全域に動員令を発した。




 総兵力5万5千。




 総大将は真道家の家老職でもある、石鷲長誠いしわしながまさ。


 配下大将には大身大名の大河勝永おおかわかつなが、阿辺康信あべやすのぶ、喜多原義友きたはらよしとも、片切秀弘かたぎりひでひろが付き、水軍大将に栗須弘盛くりすひろもりを配して万全の態勢を整えた。


 それに付随して、最後まで真道家の再統一に抵抗したものの、最後に恭順して来た各地の地侍達にも招集を掛けたのである。




 ここについては瑞穂国内の政治的思惑がある。




 真道家は、手強く最後まで残った、降伏したばかりの地侍達がどの程度軍事動員に従うかを試すと同時に、その勢力を削ごうと画策したのだ。


 地侍達に最早不服従の選択肢は無く、身代が1万石前後の小身ながらも相当数の兵を集め、武具や矢弾、糧食を持参せざるを得ず、その負担は地侍達に重くのしかかることになったが、その状況は正に真道家が望んだものであったのである。


 大陸に派遣された遠征軍は、まずは瑞穂群島から海を経て北上した位置にある無主の地でもある半島を制圧し、ここに拠点を構えた。




 今正に成光らが籠もる城砦こそ、その際に築かれたもので、この場所を拠点にして北西側から大章帝国領域に侵攻した瑞穂国大陸遠征軍は、北王領で大歓迎を受ける。


 そして緒戦の北宣府近郊の戦いにおいて東王と西王、南王の連合軍を撃破、続く章京に向かう途中、北の関門である北元関おいてもこれを陥落せしめてその強悍ぶりを遺憾なく発揮し、武名を轟かせた。


 その後、章京の長城を抜けずに長期戦となったところに長城を回り込んできた支隊に不意を突かれ、瑞穂軍と北王軍は総崩れとなったのだ。




 一旦体勢を建て直すべく撤退した後に行われた、第二次北宣府近郊の戦いで、瑞穂大陸遠征軍は不利を悟って撤退、ここに瑞穂国真道政権による大陸出征は一旦終了したのである。


 最後の戦いにおいて、戦い自体は敵にも相応の打撃を与えて何とか引き分けに持ち込んだものの、総大将の石鷲長誠の判断で総退却となったのである。


 成光や忠綱、結希、義武らは、そもそもが小勢の地侍であったので、手柄を立てたい大名達に先陣を独占されていたのが幸いし、まともに戦ったのは最後の第二次北宣府近郊の戦いのみであったため、損耗はそれ程でもない。




 それ故に最後の戦いで大活躍した黒江成光が、本来選ばれるはずもない殿しんがりに抜擢される羽目となったのである。


 無論、軽輩たる成光に危険極まりないとは言え名誉ある殿軍を任せることには反対意見もあったが、大身大名達は早く故郷に帰って体制を立て直すこと、もっと言えば申し開きをして罪を軽くする運動を始めるための帰郷を強く望んでおり、また将軍に誠意を示すためにもいち早く帰国する必要があったため、最終的に異見は封じられたのだ。




 それに加えて、瑞穂国内部での勢力争いも影響している。




 英傑真道長規も既に老境に達しており、大陸遠征で有力者の何名かが不在になったこともあるだろうが、ここに来ていわゆる後継者争いが激化し始めているのだ。 




「大名方のやり口もなかなかえげつないわ」


「まあ、殿を任せられるのは黒江君以外にいないでしょうけども……」




 義武と結希が不満も露わに言うとおり、敗戦が明らかになった時点で大名達はやる気を失っており、北宣府近郊の戦いを引き分けに持ち込んで名分が立ったと考えたのか、さっさと退却を決めている。


 しかしさすがに地侍に殿を任せることには抵抗があったのか、はたまた小身の地侍、しかも当主でもない者に殿を押しつけたと誹りを受けたくないのか、あるいはそれなりの者に任せたと言い訳をする為なのか分からないが、大名達は満場一致で成光をこの名も無き城の城主に推挙し、殿を押し付けたのである。




「殿しんがりの為とは言え、一介の地侍の小倅である私如きが郡代なんて地位を仰せ付かってしまうとは思いも寄りませんでした。おまけに父上の身代は高々5千石程なのに、私は名目とは言え今や1万石の領主ですからねえ。陣羽織まで貰ってしまいましたし」




 成光が苦笑を通り越して失笑しながら、自分が身に付けている簡素な陣羽織の端をつまんで見せる。


 それはここの城主を命ぜられ、更には殿を命じられた際に総大将である石鷲長誠から投げ与えられた物で、簡素ではあるがしっかりとした絹製の物だ。


 そんな成光の様子に忠綱は真面目腐った顔で応じる。




「黒江殿は紛れもなくこの城の主であらせられますぞ?」


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