タダより怖いものはありません 2


 迎賓館に泊まらないか、なんて冗談でも言わないような事を真顔で提案された私は、どうにかして話題を変えたいと思ったのですが。


「早速だけど事情を説明してもいいかな」


 ハルドさんが話題を切り替えてしまったのでそれ以上言うことは出来ないまま、彼の話が始まりました。


「君が見かけたロメド国の者とは先日ある事について話をする機会を設けた者たちだったんだ。話し合いの内容については詳しく話せないんだけど、まあ……国に関する大事な話ということで許してくれるかな」

「勿論です」


 国家に関わるような重要な事を聞く気はありませんので。


「僕はその話し合いの参加者だった。二日前に彼等との話し合いの場を設けたんだけど……結果、あまり良くない形で終わったんだよ。最悪の場合、命を狙われるような事もあるかもしれないから、元々泊まっていた宿を囮にして昨日泊まった部屋に隠れていたんだ」


 私は緊張で冷えた指先を握りしめた。


「昨日は特に警戒をしていたんだけど何も無かったからバレていないと思ったけれど、どうやら見つかっていたみたいだったね。君には怖い思いをさせてしまってごめんね」

「…………」

「彼等については今サイラスに任せている。サイラスっていうのはさっき僕と一緒に居た男だよ」

「ああ、あの方ですか」

「彼は僕の護衛なんだ」


 考えてみれば確かに彼は体格も良く軍人のような印象だった。


「刺客なんて怖いことを言ったけど、彼らが僕の部屋を荒らしていた様子から見て、何か盗みに入ったんだと思う」

「盗み……ですか」

「そう。オスカー王子からの密書」


 オスカー王子の名前に私は口が開いてしまった。

 オスカー王子といえばテーランド王国の唯一の後継者でもある王太子様。

 生まれつき身体が弱いことから現在は静養できる離宮でお過ごしになっているとか。


「まさか殿下のお名前があるなんて」


 そんな事を私が知ってしまって良いのでしょうか。

 そう……知ってしまうなんて。


 ん?


 私は顔を上げた。

 相変わらず笑顔が素敵なハルドさんのお顔に違和感があった。

 そうだ。

 先ほどまで付けていた色付き眼鏡を外していた。

 私は初めてハルドさんの顔を見たかもしれない。

 何故か私には悪魔が微笑んでいるように見えるのは気のせいですか?


「……あの〜」

「うん?」

「殿下がロメド国と交渉をされているお話ってもしかして」

「うん。国の最重要極秘案件だね」

「何で言っちゃうんですか!」


 聞かなきゃよかった! 聞きたくなかった!


「ハルドさん! わざと私に聞かせましたね! 大事なお話で済ませばよろしかったのに!」


 弁明もせず笑っていらっしゃる。

 ああ、やっぱりわざとですね。


「どうしてそんなことを……」

「ねえマリアさん。昨日、仕事を探しているって言ってたよね?」


 一つ空けていた席に座り直したハルドさんが私に近づいた。

 捕捉されるような危機感。

 聞いてはいけない。

 この続きを聞いたら、もう後戻りが出来ない。


「ハルドさん……私やっぱり宿に戻らせて頂きたいです」

「まあまあ。最後まで話を聞いてよ。君に紹介したい仕事があるんだ。給金は前の職場の三倍は約束できる。衣食住全部付いてるし待遇も良い。最高の職場だと思うよ?」

「いえ、お断りします」

「とてもアットホームな職場でね」


 それ、真っ黒な仕事場の常套句です。


「マリア・テレーズ・ウェンゼル伯爵令嬢」

「どうして私の名前を」


 誰にも語ったことのない懐かしい名前を呼ばれて、私は息が詰まる。

 もう何年と聞いていない名前。

 私が捨てた名前を、どうしてハルドさんは知っているの?


「君が昨日隣の部屋に泊まった後すぐに調べたよ。ロメドの国の間者じゃないか確認したくて」

「…………」

「ごめん。不快な事をしているのは承知している。でも、僕もなりふりかまっていられないんだ」


 私の手をハルドさんが握りしめた。

 細い身体からは想像出来ないぐらい力強い手の力と熱さをもって。

 私を説得してくる。


「今日一日で見た君の観察力や行動は他の者には出来ない。何より異国語が分かるメイドなんてもっての外だ。君には国のために協力をして欲しい」

「私に何が出来るというのですか」


 認めてくださっていることは率直に嬉しいけれど、国家機密に関われるほど私は賢くない。


「どうしても信頼できるメイドを探していたんだ。君には、ある方のメイドになって頂きたい」

「ある方……?」


 ハルドさんのお顔が近い。

 あれ?

 よくよくハルドさんの瞳を見ていて、私はとある記憶を思い出した。

 金糸のように美しいテーランド国の王家は、その金色の髪に似合う美しい青色の瞳を宿しているという。

 色合いこそ様々だが、王家の血に連なる者は総じて瞳が青色を帯びていると。

 ハルドさんの瞳は、透き通った青色。

 王族の色。


 まさか。


「ある方というのは、オルガ・ディアエイナ・テーランド。オスカー王子の双子の妹姫だよ」


 オルガ姫とオスカー王子の名前を聞いた私は、その場で一瞬気を失ったのだった。






ーーーーーーーーーーーーーーー



「申し訳ございません。取り逃しました」


 夜半遅くにサイラスが戻ってきた。

 僕の部屋に入るとすぐに頭を下げてくる堅物の彼に僕は苦笑いしか返せない。


「囮の屋敷はどうだった?」

「何も変化はありませんでした。どうやら居場所は知られていたようです」

「そのようだね……内部に間者がいる。分かっていたことではあるけれど……目の当たりにすると胸が痛むなぁ」


 仲間を疑わなければならないことは辛い。

 けれど信じ続けることも出来ない。

 そして、一人見つけたからといっても、どうせまた新しい間者を仕立ててくるだろう。

 だったら泳がせておくのも悪くない。


「そうだ。マリアさんの荷物も持ってきてくれた? 一応使いを出したけどちゃんと届いたかな」

「はい。問題なく支払いも済ませ、荷も全て運んできましたが……彼女はここに?」

「うん。彼女には姫の専属メイドに就いて貰おうと思ってる」

「…………ハルド様……」


 堅物のお説教が始まる前に、僕は少しだけ大きな声を出してサイラスの名前を呼んだ。


「今日はご苦労様。明日はマリアさんを王城に案内しようと思うから、朝には出発するよ」

「市民を無闇に巻き込む事は陛下からキツく言われていらっしゃいながら……」

「さーて! 報告は終わり。お先に休ませてもらうよ。サイラスも今日は疲れただろうから早く休みなよ」

「ハルド様!」


 二十は違う年上の護衛の小言を子守唄にするつもりはない。

 僕は今日一日に起きたマリアさんとのあらゆる出来事を思い出してほんの少しだけ頬が緩む。

 マリアさんは不思議な人だった。

 昨日、隣の宿を借りた女性に対し警戒を抱き話しかけてみたけれど、彼女は今回の件に全く関係がない女性だということは直ぐに分かった。


 アゼンバイルド公国にある広大な港と同じ女神の名前を持つマリア嬢。

 華美とはかけ離れた、けれど品の高い女性。


 僕が嫌悪する王族の一員である証、青色の瞳を見ても態度を変えるどころか、むしろ怯えていたのが面白かった。

 そんな反応されることって今まで無かったから新鮮だ。

 彼女は恐らく自分が王族に縁ある者だと気付いた。

 まあ、気付いてもらうために眼鏡を外したんだけどね。

 その反応全てが僕には新鮮で目が離せない。 


「マリア・テレーズ・ウェンゼル」


 彼女の名を知った時には感じなかった興味が今では嘘のよう。

 自身の境遇に対して悲観することなく前を見つめる彼女が。

 

 僕にはとても。

 眩しく見えた。

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