宿で出会った隣人さん


 三年勤めたドナーズ男爵家のお屋敷を、鞄一つで出て行くことになった私がまず第一に決めないといけないこと、それは……


「宿ね」


 メイド兼お嬢様の家庭教師の頃から城下町にはよく出歩いていたけれど、流石に宿の場所は知らない。

 大体の地図は頭の中で出来上がっているものの、端から端まで歩くにも丸一日掛かるでしょう。

 行き当たりばったりで見つけることは困難。

 だとすれば手段は一つ。


「人に聞きましょうか」


 私は朝食を食べ損ねたので、屋台でパンを売っている男性にパンを買いがてら聞いてみることにした。

 そうするとすぐに教えてくれた。


「ここから南は貴族街専用の高級宿だ。旅人が泊まるような宿ならこっから西に向かっていけば宿街に着くよ」

「西ですか。住民街だと思っていました」

「その通り、住民街だ。住んでた者が出て行った民家をそのまま宿にして使っているところがあるんだ。どうやらはお嬢さん旅人じゃあなさそうだな」


 ドナーズ男爵家はギリギリ貴族街にお屋敷を構えていたので、住民街に行ったことは無かった。


「はい。メイドとして勤めていましたが急遽仕事が無くなりまして」

「ありゃ。そりゃあ残念なことだ」

「ええ、本当に」


 気の良い男性は本当に私を気の毒に思ってくださっているようで私はほんの少し慰められた。

 私自身思っていたよりもクビになったことに傷ついていたのね……


「以前はメイドの仕事なんざすぐにでも見つかってたらしいけど、今はお隣の国と関係が危ういってんで警戒して紹介状無しじゃあ難しいって話だぞ?」

「やっぱりそうですか……」

「紹介状は無いのかい?」

「頂く時間もなくて」


 旦那様にご挨拶する時間もなく追い出されたので仕方ない。

 私はパン屋の亭主にお礼をしてから西へと向かうことにした。

 大きな街はいつも賑わっているけれど、最近はパン屋の亭主が言っていたように国内に不安要素があるせいもあって、何処か武装した方も多い。

 見上げれば大きなお城。テーランド王国の象徴でもある金糸城。

 

(確か、初代の国王が金の糸で紡いで築き上げた王国だという伝承ね)


 それ以降、この国の嫡子は金糸のように美しい髪をしていると聞く。この目で見たことはないけれど。

 金糸城と呼ばれるだけあって金色の飾りが所々に飾られている。国がどれだけ栄えているのか、という象徴として金を扱うことも多い。

 私は眺めていたお城から目を離し、西へと進んでいった。

 随分と歩いた先に宿場はあった。住民街を見たことが無かったので宿の量の多さには驚いた。

 確かに中心でもある王国なのだから宿が沢山あってもおかしくない。その事に気づかなかったのは、やっぱり聞いて知るよりも見て学ぶことの方が多いということ。

 幾つかある宿の中で、そこそこに安く、そこそこに景色の良い宿を選んだ。

 せっかくの城下町。

 考えてみれば、初めて一人旅のようなことをしているかもしれない。


「ふふ……」


 借宿の窓辺から景色を眺めている間に、ついつい笑ってしまっていたらしい。


「何が面白いの?」


 だからまさか。

 お隣の部屋から、そんな風に聞かれていたなんて気付きもしなかった。


「すみません。煩かったですか?」

「いや、全然。丁度外を見てたら笑い声が聞こえたから」


 お隣さんの姿が突然現れた。

 隣の窓から顔を出して、こちらを覗いている。

 

 まず印象に残ったのは、色の付いた眼鏡だった。

 眼鏡を掛ける人は多くない。視力を調整することが出来るレンズを購入できる人は限られている。

 特に、色付きの眼鏡は光に弱い方が掛けられていると書物で読んだことがあるけれど。


「色付きの眼鏡を掛ける方を初めて見ました」


 つい遠慮なく言ってしまった。


「これは借り物なんだ」

「そうなんですね。すみません、気を害してしまいましたか?」

「いいや? 全然」


 眼鏡に釘付けになってしまったけれど、改めて隣の方と顔を合わせる。

 茶色の髪に白いシャツを来た軽装の方。

 耳元に付けたピアスがよく似合う方だった。歳は二つほど私より下でしょうか。


「それで? 何が面白かったの?」


 そういえば。

 そんな質問を受けていたんだった。


「はい。お恥ずかしい話ですが、今の境遇を楽しんでいたみたいです」

「境遇?」

「実は……」


 私はかいつまんで仕事をクビになったことと、新しい仕事を探していることを隣人に話した。

 何だか、こんな風に身の上話を見知らぬ方とするのも楽しい。

 きっと今の私は、様々な感情が入り乱れているのかもしれない。


「そうか仕事探しか。いいねぇ、新しい門出になるといいね」

「ありがとうございます」


 眼鏡越しに見える微かな瞳は偽りなく仰っているように見える。

 優しい方なんだと思った。


「僕はハルド。君は?」

「私はマリアです」

「いい名前だ。マリア港って港があるのは知ってる?」

「はい。確かアゼンバイルド公国にあると」


 アゼンバイルドは現テーランド王妃の故郷で、友好条約を結ぶのと合わせてご結婚された友好国。

 涼やかな大地と広大な海のある美しい国だと書物で読んだことがある。


「一度だけ行ったことがあるけれど、とても綺麗なところだったよ」

「そうなんですか」

「うん。春に行ったんだけどその日は珍しい大雪でさ。海の水が凍っててさ……あれは感動したなぁ」

「流氷ですか……」

「冬の時期なら見かけることが出来るけど、寒いのが苦手だとキツイな」

「ハルドさんは寒いのが苦手なんですか?」

「苦手。寒いぐらいなら暑い方がいい。暑いのは脱げばどうにかなるし」

「まあ」


 それから私はすっかりハルドさんとの会話に盛り上がってしまい。

 結局その日は仕事を探すこともなく終わったけれど。

 とても気持ちよく眠ることが出来た。

 

 その日見た夢は、大雪の降る何処かの港に立っている私がパンを頬張りながら海を見ていた。


 そんなおかしな夢でした。


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