咆哮

 翌日。

 

「行ってきます」

「あ、一緒に行こうよ鎖理ちゃん」


 玄関で靴を履き終えた妹は、苦虫を噛んだような顔を浮かべた。

 

「なんでバカにーと一緒に登校しないといけないんだよ」

「いいじゃんたまには」

「……4秒で支度しな」


 ドーラの十分の一かよ! 

 俺は鞄を取りに自室へ走ったが、玄関に戻ると本当に妹の姿はなかった。

 俺は扉を開けて駅へと続く道を確認したが妹の姿はなかった。

 

 それもそのはずである。

 

 再び扉の方を見ると鎖理はそこにいた。

 俺と目が合うと今度は苦虫を吐き出すように気分悪そうに舌を出した。

 観念した妹と並んで歩く。

 

「どんだけ俺のこと嫌いなんだよ」

「世界一」


 冗談や容赦といったオブラートなしのきわめてシンプルな言葉が俺に耳に刺さる。

 聞くんじゃなかった。

 

「それで、なんで今日はこんな早いんだよ。日直?」

「違う。人に呼ばれたんだ」

「ああ、副部長」

「いや」

「じゃあ誰だよ」


 陽木屋さん、と言っても鎖理には伝わらないだろう。どういったら伝わるだろうか。俺は逡巡して言葉を相応しい言葉を見つけた。

 

「彼女」

「……ああ」


 妹は小さな声で合槌を打つと俺を仰ぎ見る。

 ぼさぼさの髪の間から覗く瞳には憐憫がこもっていた。

 

「なにか?」

「可哀そうな兄貴。どうせ体育館裏で待ち合わせとかしただろ」

「ま、まあ」


 8時30分体育館裏。

 昨夜、陽木屋からのメッセージを確認した俺は折り返しの連絡を入れ明確な時間と場所を決めのだ。

 なんの用事かはなんとなく聞けなかった。勇気がなかったと読んで貰ってもさしつかえはない。


「きっと物憂げな顔を見せて近づいてきて、それっぽいことで兄貴をその気にさせて、抱きしめられた所で他の仲間が盗撮したりするんだぜ」

「怖いこと言うなよ」

 

 やたら具体的なうえ待ち合わせ場所を言い当てられたせいで、どこか予言めいてして不安になった。

 

 が、しかし幸か不幸か鎖理の言葉は現実に起こらなかった。 

 いや、どちらかというとやはり不幸なのかもしれない。

 

「やっぱり、昨日の話なしにしない?」


(そんな意識的に見ていたわけではないが)普段クラスでは決して見ることのない神妙な面持ちで、陽木屋は別れ話を切り出した。

 彼女は予定時間よりも少し早く着いた俺よりも早くその場所で待っていた。意外そうな表情を浮かべていたであろう俺の姿をみるとバツが悪そうに「おはよ」と呟いたあと、単刀直入にそう言ったのだ。

 

 髪に湿った風が絡まる。

 朝練をするバレー部の掛け声も野球部の快音もやたら耳に障る。

 

「なんで?」


 俺の言葉に陽木屋は目を泳がしたが、しばらくするとスカートの裾をキュッと握り俺を見据えた。

  

「さすがに、こーいうのは良くないと思ったから」


 短いスカート、腰に巻かれた淡い桃色のカーディガン、はだけた胸元、高校生離れした丁寧なメイク。蝶のネックレスに花のピアス。昨日アクセサリー作りが趣味っていってたし、たぶんそれもお手製なのだろう。

 

 どこから見てもギャルギャルしている彼女の瞳は奥は少女のように透き通り、そのさらに奥底から放たれた言葉は実に無垢なものだった。

 

 ギャップがすごい。

 だが俺は不思議と萌えない。

 なぜか。

 

 思案する俺をよそに彼女は言葉を繋ぐ。

 

「やっぱ、付き合うっていうのはもっと段階も踏まえるべきだと思うし」


 目を合わせられないのか視線は下がり、手持無沙汰なのか指をもじもじといじっている。

 そんな様子を見て、沸々といらだつ。

 なぜか。

 

「上井のヤツさ、彼女できてからずっとチョーシノッてて、たぶんあたしがフッたはらいせなんだろうけど、あたしが無視してるうちにどんどんエスカレートしていって、悪い奴じゃないんだけどさ--」

 

 まどろっこしい、要領を得ない言葉が続く。


「つまり、内輪の喧嘩に巻き込んだけどなかったことにしてほしいと」


 陽木屋が小さく頷く。


「どこまで自分勝手なんだよ……」

「ごめん。上井には私からちゃんと話つけるから」 


 俺が前髪をかきあげため息をつくと、陽木屋は委縮した。

 たぶん、本当に申し訳なく思っているんだろう。

 俺のことを考えて、俺が望んでいることをしているつもりなんだろう。俺の昨日の決心なんて知る由もなく。

 

「どうせ自分勝手なら、反故にすればよかったのに。どうせあの場だけのノリですむんだろ。お前らの中では」

「それは」

 

 陽木屋は一度言い淀んで、しかし続ける。

 

「いい奴って言ってくれたじゃん。そー言ってくれる人の中では、いい奴でいたい」

「好意は裏切れないと」

 

 だから少し冷たく当たりながらも上井をさげすむことはできず、俺をないがしろにすることもできなかったと。

 陽木屋はなにか哀願するような瞳で俺を映す。

 

「でも日食だって、こんな成り行きで付き合うなんてイヤっしょ? こんなテキトーな関係とか嬉しくないっしょ?」

「そりゃあ嫌ていうか不快だったけどさ」


 だが後者は。純粋に、陽木屋のような女子と付き合うことをどう思うか。

 気恥ずかしい言葉がすぐ浮かんだ。気持ちをごまかすために声量が必要だった。俺は息を大きく吸い込み、そして言った。

 

「嬉しくないわけねえだろ!」


 ごまかすことはできたが理性というか、堰のようなものが壊れてしまった。

 

「だってお前、かわいいじゃん!」


 止まらない。

 俺は声の奔流に任せ、言葉を口から流し続ける。

 

「顔立ちめっちゃいいし、化粧上手いしおしゃれだし、それだけで俺の妹と取り替えてほしいくらiだわ。しかもそのネックレスもピアスも自分で作ったんだろ? すげえじゃん! だからかは知らんけどそういう几帳面さの表れがその化粧の上手さだろ! ほんと、ガサツで男っ気のない妹に爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ! なのに、そんなナリの癖に友達思いでいろいろ考えてて、それで勝手に苦しんでわざわざ俺を呼び出して罪悪感まるだしでそんな風に謝ってくる女子と恋愛関係になることが嬉しくないわけないだろ!」


 俺は振りぬくように頭を下げた。酸素が足りない。膝に手を置いて地面を見つめながら息を整える。その間も陽木屋は黙っていた。ただ思ったことをそのまま口に出しているだけだ。多分どういう意味か上手く伝わっていないんだろう。

 俺は下がった頭のまま、陽木屋に告げる。

 

「だからもし本当に申し訳ないって思ってるなら、3か月付き合ってくれないか。こんな話持ちかけたこと後悔するくらい、俺と付き合ってよかったって思わせてやるから!」

 


 反論する様子がなかったから思っていたこと全部言ってしまった。不意に妹の言葉を思い出す。

 まさか盗撮されてるのか。だから黙っていたのか。なんか俺が可笑しなことになってるから泳がしてみようって魂胆なのか。俯いて見えないその表情では笑いを堪えているのだろうか。

 

「バカじゃん」


 俺が周囲を見渡していると、不意に陽木屋が呟いた。やっぱりなのか。やっぱりどこかで隠し撮りしてるのか。

 

 そう思って彼女を見る。その表情たるや。

 

 顔は化粧越しにもわかるほど紅潮し目は潤み、息苦しそうな表情をしていた。人間ってそんな顔できるのか。たぶん見たことがない。いやでもどこか懐かしい感じがする。もしかしたらあるのかもしれない。

 そんなことはどうでもいい。

 

 その表情に俺は、ひどく惹きこまれた。

 だから見入ってしまった。陽木屋が視線を外すまで。

 

「勝手にすれば」

 

 そう行って足早にこの場を去ろうとする陽木屋。

 

「勝手にって?」

「だからちゃんと付き合おうって言ってんだよ! そのくらいの察しなよ! バーーーーーカ!!!」


 陽木屋は踵を返すと俺にも負けない声で叫んだ。グラウンドの野球部が一斉に振り向いたが、そんなことなど彼女は気にも止めない様子で校舎へと向かっていった。

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