第11話 天災の恋4

『君は彼女の手を離すべきだ。君では彼女の力を活かしきれない』

 俺が黙り込むと、怪盗はさらにスケッチブックのページをめくる。

 確かに、俺が連れ出したことで、影路はさらに無意識の差別を受けていた。少なくとも、組織の仕事をしていなければ、警察官から嫌味をぶつけられる事はなかっただろう。

「……それでも、俺が影路と一緒にいたいんだ」

 最初は影路をこんな寂しい場所に置いていきたくないと思った。それに影路は凄い力を持っているのだから、自信を持ってもらいたかった。

 でも今は、俺の方が影路を必要としている。


『それは君の都合だよね。本当にそれが彼女の幸せにつながるのかな?』

「でも職業選択の自由は私にある。勝手に人の職場を決めないで欲しい」

 再び怪盗がスケッチブックをめくったその時だった。

 いつの間にか影路が顔を上げていた。更に彼女の手には拳銃が握られ、その銃口を怪盗の後頭部に押し当てている。あまりに鮮やかな逆転に、俺は目を丸くした。

 そんな中怪盗は胸のポケットからペンを取り出すと、スケッチブックの白紙のページにさらさらと文字を書いた。

 予知の能力かと思っていたけれど、それだけではなくもしかして、喋ることができないのだろうか。


『あれ? 無関心の能力を使うと殺気をこっちに向けられないんじゃなかったっけ?』

「別に能力は使っていないから。貴方が佐久間と話している間に準備しただけ」

 影路は表情一つ変えず、冷静な様子で話す。ただし、怪盗に向けた拳銃は下ろされない。

 普通ならもっと動揺しそうなものなのに。

「この拳銃の安全装置がちゃんと外れているかどうか、自分の体で試してみる?」

 ……影路が冷静すぎて、どっちか俺にも分からない。

 基本人を傷つけたことがない人は、人を傷つけるのにためらいを持つし、拳銃を扱ったことがなければ、もっとだ。

 Dクラスの影路が拳銃の訓練を受けたことがあるとは思えない。だから安全装置が外れていないような気はするけれど、あまりに冷静すぎて俺にも分からない。


『止めておくよ。分かった、今回はちょっとお姫様を口説くには強引過ぎた』

「口説く?!」

「佐久間黙って」

 とんでもない単語を怪盗が書いたため、俺が叫ぶと影路から冷たく言い渡された。……すみません。でも俺もまだ口説けていないのにと思ってしまったのだ。

「ごめん。この人はたぶん、佐久間の動きだけ予知してるから。どの範囲かは分からないけれど」

 俺がしょんぼりした所為か、影路が慌てた様に理由を付け足した。

 良かった。うるさくてウザイと思われていたら泣いてしまいそうだ。付き合ってもないのに、影路の交遊関係に口出ししたらウザがられても仕方がないとは思うけれど。

 でも、影路に言われてなるほどと思う。

 影路にはペンで文字を書いて返事をしているけれど、俺には既に用意されているものを見せるだけだ。


『今日は撤退するよ。レプリカの王冠は返そうか?』

 怪盗はスケッチブックに文字を書き、ひょいと宝石が沢山ついているように見せかけた王冠を片手で、持ち上げ見せる。扱いが雑なところを見ると、本当に記念に持ってきたのだろう。……何の記念だよ。

 自分も危険にさらされるだろうに、警報機を鳴らしてまで持ち出すとか、はた迷惑な奴だ。


「持ってけ。とりあえず、俺は影路を返してくれればそれでいいから」

 今ここで争った場合、影路がどうなるか分からない。影路が拳銃を持っているから、怪盗を撃つ事はできるだろう。

 でもあの距離でもしも撃った場合、多分怪盗は即死だ。

 結果影路の体は傷つかないだろうけど、人を殺した事のない影路の心には大きな傷ができる。

 それに組織から俺らへの依頼は、王冠を守ることで怪盗を捕まえる事ではない。

 だからひらひらっと俺は手を振った。


 すると何を思ったか、怪盗は振り返り影路の拳銃を持った手を握ると、少しだけ仮面をずらして口づけをした。

「……よっぽど、殺されたいらしいな」

 今すぐ影路に拳銃で撃てと言ってやりたい。

 俺だって、まだそんなことしてないんだぞ? それどころか結構仲良くなってきたけれど苗字呼びなんだぞ? 俺より後に出会った明日香に追い越されているんだぞ?

『やだなぁ。ただの挨拶じゃないか』

 スケッチブックには既にそんな言葉が書かれていた。

「この国にはキッ……その、そういう挨拶はないんだよ!!」

 こいつ、風で車ごと吹っ飛ばしてやろうか。

 そう思ったが、怪盗がスケッチブックに文字を書く間に車からサッと下りた影路がギュッと俺の手を握った。

 影路の手は微妙に震えていた。

 無理もない。影路は何でもない顔をしているけれど、怖くないわけではないのだ。しかもこんな風に拳銃を誰かに向けたのだって初めてのはず。


 こんなふざけた怪盗を気にするより、今は影路をフォローするのが先だ。

「影路、怪我はないか?」

「大丈夫。ちょっとスタンガンで怯んだすきに殴られたけど」

 それは大丈夫とは言わない。

 俺はやっぱり車ごと吹っ飛ばしてやろうと思ったが、俺が何かをする前に、勢いよくタクシーが走り出した。俺達は引かれない為に横に避ける。


「今は佐久間の動きを全部読まれているから、追いかけない方がいいと思う」

「だな」

 フロントガラスにひびが入ったタクシーは、ものすごいスピードで遠ざかっていく。追いかけることも可能だけれど、多分俺が追いかけたら、何かをしかけてくる気がする。

「……影路。殴られた所は痛くないのか? それにスタンガンも」

「うん。スタンガンって、やられても痛いだけで気を失わないんだね。初めて知った。勉強になる」

「それ、実戦で学ぶべきではない勉強だけどな」

 確かにスタンガンを実際に使うとどうなるかなんて、普通に生きていたら知ることのない知識だろう。


「でも知っておけば、今後スタンガンで脅されてもやりようがあるし」

「やめろ。本当に、無茶するなって」

 やりようって何だ。

 影路の能力は戦闘向きじゃない。だから俺が組織の仕事を勧めたのは、そういう経験値を積んで欲しいからではないのだ。

「うん。無茶をしないように見極めをする為だから。とりあえず、防弾チョッキを着ていても撃たれたら心臓が止まることもあることは分かったし」

「本当にそういう経験値を積んで欲しくて、組織に誘ったんじゃないからな?!」

 それは本来お願いしていた範疇を超えることをしたからであって。いや、今回の連れ去りは想定外だったのだけど。

 影路が拳銃を持っていて逆に脅してくれてよかった……って、そういえば、拳銃?!


「影路、その拳銃どうしたんだよ」

「【無関心】の能力を発動した時に、警察から拝借した」

「えっ。マジで?!」

「というのは嘘。本当は、これ、水鉄砲。今は本物みたいなのもあるんだね。怪盗が私の行動まで予知できていなくて良かった」

 ギョッとすれば、影路は苦笑いしながら否定した。

 良かった。確かに必要だったけど、勝手に持ってきたら、影路に対して不親切な警察の事だ。影路を捕まえるとか言い出すかもしれない。

「でもなんで、水鉄砲なんか」

「もしもの時に使えるかもと思って、忍ばせておいたの。私、護身術を何もならっていないから。……Dクラスでも受け入れてくれる道場ってあるのかな?」

 いやいやいや。

 前向きなのはいいけれど、もしもの時の想定が恐ろしい。そして、影路の演技力も只者ではない。

 どうしてあの場面で平然と水鉄砲で脅せるのか。


「とりあえず、美術館に戻ろう。本物の王冠が盗まれないように」

「ああ、うん」

 一応本物は無事なのは確認しているけれど、影路は見ていないので気になるのだろう。

 俺は横倒しになっているバイクを起こすと、またがった。

「影路も乗って」

「えっ……二人乗りって、大丈夫なの?」

「ああ。風の能力で倒れないようにできるから、安心しろ」

 俺がまたがるとおずおずと影路もまたがる。

「ただ、ちゃんと俺につかまってくれよ」

 戸惑うように腕が回されたが、走り始めると影路は力一杯俺にしがみついた。そこまでしがみつかなくても振り落としたりしないけど、何だか気分がいいのでここから美術館につくまでの間ぐらいは黙っておこう。

 影路を取られなくて良かったと思いつつ、俺は美術館へと向かった。

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