妹と俺。死ぬのはどちらか

「おまえ……おまえさあ……」

 俺はもう気の利いたつっこみも出てこない、言葉は尽きた。

 うすうす予感はしていたが、この妹は兄にナイフの切っ先を向ける前に、華奢で壊れそうなガラスのような少女に殺意を向けてすったもんだしていたようだ。確かに彼女は人間ではないので、たとえその息の根を止めてしまっても俺たちの法律上では罪に問われない。が、そういう問題ではない。

「分かった。分かったぞ……。そうだ、なぜこんな簡単なことが思いつかなかったのだ、妹よ。ははは」

「急にどうしたの、眼がギラついてて気持ち悪いけど」

「一言余計なんだよ」

 いまのこの状況を一気に解決して片づける魔法の名案がひらめいたのだ。今日の俺は冴えている。疲れ切っていて冴え冴えとしている。ランナーズ・ハイだ。

「エリーゼはここを離れられない、追い出せない、ならば俺たちが家を出ればいいんだ!」

「冗談でしょ。自宅以外でどうやって生活するわけ? この家はわたしの聖域だから。外では生きられない」

 多感で傷つきやすい年頃の窓は、やみうさのぬいぐるみを膝に抱えて急にカタカタと震え始めた。引きこもり系の妹にとっては、家をでることは清水の舞台から飛び降りるようなものらしい。俺なんかは生まれたときからずっとこの土地に住み通しだから、いい加減飽きて、引っ越したいのだが……。

「いやいやいや、考えるまでもなく、ちょうどいい場所があるじゃん」

「だ、だめ……! だめよ、あの場所だけは!」

 同じことを思いついたようで、窓はすがるようにソファの傍にあるカーテンを掴んだ。

「バカ温!! そのことだけは一生思いつかないでいてほしかったのに!!」

「なんでだよ、兄ちゃんの家からなら学校に通えるだろ。ちょっと狭いかもしれないけど背に腹は代えられないよ。このままここにいても、おまえが俺を殺そうとしてきたりエリーゼを殺そうとするなんて生活が続くなんてまっぴらだ、今すぐ引っ越そう!」

 そんなに大荷物は持っていけないから、父親が使っている海外旅行用のスーツケースを拝借して、詰めるだけ詰めて行けばいいだろう。いや、荷物の準備より先にすることがあった。

 引っ越し先の住民に許可を得ること。

 俺は尻ポケットから取り出したスマホで、めったに呼び出さない名前に電話をかけた。一分待っても、呼び出し音ばかり。つながらない。風呂かトイレか無視か……。

 兄の整然とした見た目だけでは伝わってこないが、窓以上に社会生活に支障のある性格をしている。

「ったくなんで出ないんだよあいつ。もういいや、俺すぐ荷物まとめて出る」

「え、どこいくの!」

「だから兄ちゃんのとこだよ。寝込みをおまえに襲われたらたまらんからな……」

 疲れ切っていたが、今夜は家でおちおち眠るのも危険だ。窓は正気を失っているし、こいつを兄殺しの犯罪者にしたくない。俺は階段を登りはじめると後ろから首元を引っ張られた。

「うっ」

「行かせないから!」

「なんでだよ、むしろおまえも一緒に――」

「絶対にイヤ」

 窓がそんなに読を嫌っていたとは初耳だった。

窓は読と深く関わった経験がないはずだ。窓にとって読は、一度も一緒に暮らしたことのない、年の離れた兄。

 だからこそ希薄な間柄で、読を怖がっているのかもしれない。でも読は恐怖を与えるような顔でも性格でもない。逆だった。

 がつがつしたところがなく、線が細く柔和で、写真映えするカフェのハーブティーセットみたいな奴だ。

 身内の贔屓目を差し引いても、ハンサムの部類に入る。

 ここまできて如実に判明してしまった無慈悲な事実に、賢明な諸君はお気づきだろう。そう、俺はハンサムな兄と美人の妹という顔面偏差値の高い二人に挟まれて圧迫されて焼かれたホットサンド。ぎゅっとつぶれたチーズとハムとたまごなのである。ひがんでないからな! ホットサンドうまいからいいじゃん! そう、ホットサンドはうまい。具のないただの食パンの兄・妹と違って、俺には知恵と中身が詰まっている。それこそが俺の誇りなのだ。

「あの、べつにわたしはいいんですけど、ここから去っても、あまり意味ないと思いますが……」

「え!? なんで!」

 俺と窓がタイミングよく声を合わせて同時にエリーゼに叫んだ。

 注目を集めると急に居心地悪そうに、彼女は頻繁にまばたきし、答える。

「確かにわたしは人ではなく土地に死の気配を感じてやってくるバンシーですが、この家から住民がいなくなれば、この土地、家から死が遠ざかり、わたしはまた別の死のもとへと赴きます。そして、引っ越しをしたあなたたちのもとへは、わたしではない別のバンシーがやってきます。ただ、バンシーがやってこないこともあります。でも死なないわけではなく、死にます。死の傍らに必ずバンシーがいて心を慰めるわけではないからです。バンシーに看取られる者は、ある意味選ばれた特権の者。その時点で幸運でもあります」

 俺は一考した。

「つまりだ……俺か窓のどちらかがこの家を出れば、おのずとエリーゼはどちらを看取ろうとしたのかわかるってことじゃないか?」

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