エリーゼ登場

 ひとまず窓に果物ナイフをしまってもらうことに成功したので、『エリーゼ』の登場は悪いことではなかった。

見た目で判断するけど、ぴっちりとした黒スーツを着た屈強な中年男よりは、安心できた。

 俺と窓、それにエリーゼはリビングに移動し、ダイニングテーブルを囲んで話をすることにした。

 現在、二人しか住民がいない冬村家だが、ダイニングテーブルは4人掛けだ。俺と窓が同席することはない。窓はいつも俺を避けるため、時間をずらして食事を取る。俺手製の温かいごはんがすっかり冷めた頃に、重い腰を上げてようやく2階の自室から降りてくるのだ。ひどいと思わないか?

 今も、話し合いをしようというのに同じテーブルにつくのを嫌がり、窓は3メートルほど離れたソファに腰を下ろして、こっちを監視するように見ていた。

 余って仕方ない生姜ごぼう茶をポッドに抽出して、湯飲みにそそぐ。エリーゼは丁寧に礼を告げてから、「あの」と申し訳なさそうに頭を垂れる。

「わたしには人間の食べ物や飲み物は、ひつようないんです。その……体の構造が違うから」

「そうなんだ。えーと、エリーゼさんは、どこからきたの?」

 少女はしばらく逡巡し、答えるのをためらっていた。

「……なんていうか……つまり、妖精の国からきました」

 人間ではないその気配からして、幽霊のたぐいだと考えていた。可愛らしいし怖くもないため、悪霊ではなく良性の霊(?)だと。

 しかし本人は妖精だという。妖精というと昆虫のような羽が生えているイメージだが、エリーゼの背中はすとんとしていた。

「妖精や精霊や妖怪といったものは、目に見えたり関わったりがないだけで、この世界にも数多く存在しています。わたしはとても弱い下級妖精で、バンシー族の一人です」

「バンシー? ああ、聞いたことある。どういう妖精だっけ?」

「そんなことはどうでもいい。なぜその、よくわかんない妖精がうちにいるのか、それが問題でしょ」

 窓が冷たい声音をぶつけると、エリーゼはひゃっと肩を縮ませて椅子から滑り落ちそうになっていた。かわいそうに少し青ざめている。

「あ、いや、そのー、べつに悪さしてるわけじゃないなら、いてもいいんじゃないかな? 食費もかからないっていうし」

「本気で言ってる? 得体の知れないヤツが家にいるのに。わたしは何度も追い出そうとしたの。温に気づかれないうちにね。面倒なことになりたくないし」

「じゃあ、前からエリーゼはうちにいたってこと?」

「2日前からわたしの部屋にいたよ……よく気づかなかったね。けっこうしゃべってたのに」

 おまえいつも一人で喋ってるからな……とは心の中だけで言う。

「いや、なんで俺に相談しなかったんだよ」

「あんたにも見えるなんて普通思わないでしょ。妖精だよ、フェアリー。わたしは神に選ばれた世界に数人レベルの希有な存在だから、エリーゼの姿が見えるのは当然のこととして。温なんて気のいい凡夫ですらない、わたしという主人公の物語の背景にいるモブだし。しかもすぐ死ぬモブ」

 あ、そう……。モブがすぐ死ぬということは、窓が主役の物語は戦国時代か、宇宙戦争時代。そこかしこで爆発が起こるのだろう。

 人にはそれぞれ個別の人生があり、俺の人生の主役は俺だと思いながらも今そこをただしていても仕方ない。

「で、エリーゼ、きみはなぜここにきたんだ」

「それは……あのう……仕事で」

「え? 仕事って」

 エリーゼは癖なのだろう両手で髪に触りながら、視線をテーブルの上に落とした。

窓の、俺を呪い殺すためのグッズセットは目に入らない所に片付けてもらったが、テーブルはまだ雑然と散らかっていた。父親宛のダイレクトメールが、行き場を失ったまま、端に積まれている。

「わたしの仕事、というかバンシー族のお役目が……そのう、まもなく死ぬ人間のそばにそっとやってきて、その死を見届け、その人の死を悼み泣くのです。バンシーがそうすることで死者の魂が慰められると、遙か昔の神話から言い伝えられています。いわばわたしたちは……自分で言うのもなんですが、天使のような存在なのです。実際に死にゆく方がバンシーに付き添われることをどう思われているかは、定かではありませんが、わたしはバンシーとして、ここにやってきました。通常ならばわたしたちは人の眼に見えません。ですが、窓さんに見つかってしまって……。窓さんは妖精に詳しく、すぐに正体を見破られていました」

 確かに、厨二病プロ級の妹ならば妖精やその妖精の特性、行動の習性まで頭に入れている気がする。思い起こせば妹の勉強机に、西洋の妖精の伝説や逸話について解説された専門書があった。もちろんその勉強机で妹が学習指導要領に沿った勉強をすることはない。窓が好きな、武器の本とか黒魔法とか呪術の本を読むだけだ。

「えーと、話を整理すると。エリーゼはこの家で誰かが死ぬ気配を察知してやってきた、と」

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