妹の話(3)

 ***

 

 明確な殺意があって、確実に俺の息の根を止めたいなら。

親切に前振りとか殺人予告なんぞせずに、家族に対してなんの警戒もしていない俺の背中からナイフをズブリ、これが一番だ。

 俺は体育系の部活はやっていないものの、平均的な男子高校生の力がある。窓は運動とか体育とかスポーツとか、そういった健康的で明るい、わきあいあいとしたものを総じて憎んでいる引きこもり系女子。非力だ。体格や筋力の差から見て、どう考えても、馬鹿正直に真っ向から挑んで窓が俺を追いつめ殺傷することはむずかしい。つまり――

 窓は、本気ではないのだろう。

悪ふざけ。そう分かっていながらも、ナイフを向けられるのは愉快な気分ではない。

「おいおい! 手を汚すのはいやなんだろ!」

「よく考えたらわたしまだ十四歳だし、2親等を一人くらい殺してもそんなに重い罪に問われないなって。だいたい、十八歳未満の兄妹がふたりだけで生活とか、どう考えてもおかしい。放置してる親の責任じゃん。殺傷トラブルが起きるのも仕方なくない? マジで、なんであんたとふたりきりで暮らさなきゃいけないの? なんでお父さんは大阪に出向になるの? なんで会社のクソども、そんな人事にしたの? もう意味わかんない」

 確かに、妹は俺に具体的な恨みはないのだろう。ただし殺意はある。この閉塞した、息の詰まる家庭。なんの会話もない。食事はいつも別々。冷め切ったリビング。暴れ出したくなる気持ちも、少し理解できる。

 俺だってこの状態をなんとか打開したいとは思っていた。ただ窓にあれこれとちょっかいを出しても逆効果だ、そのうち窓の反抗期も終わる。嵐が過ぎ去るまで、岩場の影でただじっと耐えるしかないと。

 考えが甘かった。窓は俺の想像以上に傷ついていた。

 窓がこうなる前に火消しできなかった俺にも、責任の一端がある……

「窓」

「それに最終手段で、兄に襲われそうになったって言えばいいもん。世間はわたしの味方よ。美少女だし」

 前言撤回、血も涙もない妹。心臓がオリハルコンで出来ているのだろう。

なんの恨みもない兄を殺したあげく、俺の名誉を毀損する気満々だ!

「いや、そんなイージーモードじゃないって! 人生なめすぎだって!」

 窓は近づいてきた。ソファすぐ横にあるピアノの椅子を邪魔そうにどけると、ギィと耳障りな音。俺も窓もまったく弾けないピアノが、リビングで大きな位置を占めている。なんでこれうちにあるんだろう。

 俺は気圧に押し出されるように廊下に出た。階段をちらりと見やるが、二階に逃げたらろくなことにならないと直感でわかったので、玄関口へ。

スニーカーを履き立ちあがるが、紐を踏んで膝をついてしまった。靴など気にしている場合じゃなかった。すぐに体制を立て直せない。背中がガラ空きだ。

 窓の気配が迫ってくる。

「ねえ――」

「や、やめろ…」

 これまじで、死ぬかも。

 さっきまで悪ふざけだろうという希望がほんのちょっと、いやだいぶあった。けどそのかすかな光は消え……

 と、その時。

 たたたたた!と、階段を駆け下りてくる軽やかな足音が響いた。

「ちょっとまったぁぁぁぁっ!!」

 突然に、甲高い女の子の叫び声がして、俺の耳穴は焼ききれるかと思った。それほど強烈で特徴的な声。窓は地声が低いぼそぼそしゃべりだ。声が高めの俺よりも低音かもしれない。

 だからその高い声の主は窓ではないし、聞いたこともない。膝を立てて顔を後ろにようやく向けると。

 果物ナイフを構える窓の腰に抱きつく、一人の少女がいた。勇敢にも、丸腰で止めに入ったその子。

 窓よりだいぶ小柄で、対抗できるとは思えないほど幼い。

 髪は綺麗なストロベリーゴールド、桃色かかった金髪を両サイドで少し取って赤いリボンでゆるく結び、肌は透き通るような白。

 毛穴がまったくなく、人形のようにつるりとしている。ちらりとのぞく青みがかった瞳はオパールのような輝き。袖がゆったりと膨らんだ、フリルがたくさんのピンクのワンピースを着て、裸足の白い足が少しだけ見えている。

 彼女の周りだけ冷蔵庫のなかに囲われているような、冷気。寒いというほどではないが、確実に温度が異なっている。たぶん人間ではない――妖怪とか幽霊に近いなにかだ。

 生まれて初めて見た。

「やめてください!」

「え!? 誰~!?」

 俺が驚いて叫ぶと、女の子は振り返ってきた。スカートの裾や髪がそのたびに揺れる。

「はっ……」

 息を呑み、彼女は俺から目をそらした。え、なんで? 驚きたいのはこっちだ。家の中に知らない人がいるのだ。

「はじめまして……温さんですね……わたしはエリーゼといいます」

「ど、どうも。ずっと二階にいたの……? あ、窓の友達?」

 窓に友達がいると思えなかった。ましてやこんな年下のかわいらしい女の子と、家に招くほど親しい間柄になるとは。

「違う。わたしに友達はいない」

 まっさきに窓本人が否定した。その手にはまだナイフが握られていたが、戦意は喪失したようでだらりと腰の横に提げられている。横目でエリーゼを一瞥し、窓は薄く息を吐いた。

「ふうん。あんたにも『そいつ』が見えるとはね」

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