妹の話(2)

「……第五章、憎い相手を呪い殺す方法。相手をじわじわと呪い殺す呪い術。これいい」

 音読するな。ぬいぐるみに読み聞かせするな。よくない。

 来年は私立女子校の高等部に進学するのに、窓は未だぬいぐるみと「遊んでいる」。撫でたり抱きしめたりに止まらず、ぬいぐるみに話しかけ、声をあてて、一人二役、もしくはほかのぬいぐるみも合わせて3役4役くらいはこなし、ぬいぐるみの手足を器用に動かしながら、その場その場で即興ストーリーを紡ぎ出し、えんえんと喋り続けるのだ。ひとりで。

 それも二時間くらい休まずに。

 もう軽く映画一本のボリュームである。驚異だ、いや、もう狂気だ。子どもだってそんなに長時間、ひとつのごっこ遊びに集中できないと思う。

 窓はその行為を、俺に見られて恥ずかしいという意識も持っていない。俺のことは、洋食レストランの壁にかけられたレプリカ絵画くらいにしか思っていないのだろう。

「ヤミウサとも、相談したんだけど――」

 窓はごく当然のように言う。ヤミウサとは、そのお気に入りのぬいぐるみのことか。

「やっぱり温が死ぬしかない。うん」

 思い詰めた風でもなく、新聞の投書欄を音読するかのようにさらりと言う窓。

「だから、なんで? 俺恨まれてるの?」

「べつに恨みはないけど。あんたに特に興味もないし……」

 ひどい言われようである。しかも、照れ隠しとかそういう次元ではなく、本当に窓はヒラメのような眼で平坦に告げる。

「おい、どれだけ俺がお前の人生に貢献してると思ってるんだよ!」

 俺は冬村家のほぼすべての家事を一手に引き受けている主夫だ。現在、一六歳、高校一年生。窓とは一歳しか歳が離れていないにも関わらず――だ。

 窓は食う・寝る・遊ぶの好き放題、ほかになにもしない。涙を流して俺に感謝し、「お兄様!」と肩を揉んでくれてもいいくらいである。

 窓は、明日学校があっても深夜まで起きてテレビにゲームに読書にいそしみ、平気でお菓子やカップラーメンを食べるようなヤツなのだ。

 俺がまともな料理を作らなければ、妹の食生活は破綻する。もう生活も破綻しかかっている。いわゆるお嬢様学校と呼ばれる、私立女子中学。気が向かないと学校に行かず、部屋に一日中引きこもる。出席日数がぎりぎりで、あわや留年の一歩手前まで来ている。

 ろくに運動もしないくせに、雨期のたけのこのようにすくすくと成長し、俺は背丈を追いつかれそうになっている。

 窓は『恩を仇で返す』を地で行く奴だった。

「とにかくなんでもいいからさっさと死んで」

「……いや、さっきから言葉で言われるだけでさ、具体的になにもされてないし……」

「うーん、おかしいな……」

「おかしいのはおまえだ」

「直接手を下すなんて、割を食い過ぎるでしょ。わたしが殺人者になってしまう。だから、二年前から隠密に温を呪い殺そうと計画してきたんだけど」

「そんなに前から……?」

 窓は、愛読書らしい『禁書 黒魔術の呪法』のページに眼を落として鼻を鳴らした。二年かけて殺すっていうのは、さっきのあれか、じわじわと呪い殺す方法って項目か。

「呪い殺せばわざわざ手を汚さずにすむし、わたしがやったという証拠もいっさいのこらない。ぜったい犯罪にならないから、完全犯罪を遙かに上回る完全よ。わたし、天才か?」

 バカだ。

 たとえばあなたに、クラスメイトとか上司とか、こめかみが千切れそうなほど憎い相手がいるとする。直接は手を下せないから、そうだ、呪い殺そう☆いいこと思いついた☆とでも思うだろうか?

「で、昔から民間で行われてきた呪術の方法なんかを調べて実行してきたけど、ぜんぜん呪われないし事故にも遭わない。やっぱり呪いなんて抽象的なもの、物理の前には敗北するのね」

「二年かけてやっと気づいたのか?」

 俺は性根が優しいナイスガイなので、兄に対する自殺強要めいたことを妹が喋っている間も、けっしてスマホの録音メモ機能を使うことはしなかった。

「ねえわたし、急いでるのよね。もたもたしてないで、はやくしてくれない?」

「はやくってなにを? ばかじゃないの? 死ねって言われて死ぬわけないだろ」

「しょうがないな……」

 やれやれと、大仰にため息をつく窓。

「なんで俺がものわかり悪いみたいになってんの?」

「一応家族のよしみもあるし、話し合いでなんとかしようとしたけれど、通じない。じゃあ最後の手段」

 家族のよしみなんていうものが、たった今交わされた会話の中で存在したか? しかし、もう窓が次の行動に移ろうとしているので突っ込んでいる余裕がなかった。

 窓はジェダイのマントの中を探るようにしてから、スッと立ち上がる。その、指にバンソーコが何枚も巻かれた右手には、きらりと刃を光らせた果物ナイフが握られている――

「殺します」

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